ユング心理学と仏教
河合隼雄

  

天皇崇拝の時代に生まれ、敗戦を迎えた河合隼雄先生には、
神道や仏教のような宗教性に対する忌避観が深層意識に埋まっていました。

そして西洋合理主義を受け入れつつ、ユング研究のためアメリカに留学しました。

そこで先生は、アメリカやスイスで欧米の研究者たちに出会い、彼らが深層意識の変容の過程として研究している、
禅仏教における十牛図や密教の曼荼羅に出会ってしまったのです。

これはまた、ユング研究の錬金術における「賢者のバラ園」とも共通のものでした。

その後の河合隼雄先生の研究は「夢の記」を描いた明恵の華厳経に及びました。
しかし華厳経をいくら読んでも、とても眠くなるだけでした。

そこで、気づいたのです。

お経は読むものではなく、唱えるものだったのです。

唱えているうちに、意識が変容するように仕組まれているのです。

「日常の意識を自立させ洗練させて西洋の近代自我が形成され、それは自然科学という武器を手に入れたので、
その強大さで世界を席巻するかに見えました。

これに対して仏教の説く意識は、西洋の自我と逆方向にそのあり方を洗練させていったのではないでしょうか。

そこには能率とか操作とかの概念がまったくありません。

何の役にも立たないと言いたくなりますが、近代自我の罹っている病を癒す力をそれは持っているのです。」

    *河合先生は近代的自我の病を治す道具としての仏教を発見したのです。

   「心とは如何なるものを言うやらん ふすまに書きし 松風の音!!」

禅には臨済宗と曹洞宗があります。

その中でも臨済宗では合理的な回答の得られない「公案」を呈示します。
「隻手の音」はその代表的な公案のひとつです。

   「片手の拍手の音?」

これは表層の意識による思考に頼らずより深層の意識にと全人的に関わっていくための契機として、
公案が与えられていると考えられます。

クライアントが症状に悩む時、それを解消することにも意味があろうが、
解消せずにいることも意味があると思っています。

どちらを選ぶかはクライアントの個性化に従うのでしょう。

日本の青年を襲っている極端な無気力状態の多くは、A領域に向かう心を「公案」としてもらっていながら、
B領域のことを無価値なものとして感じてしまうので、無為になる状態であると私は考えました。

私はそのような無気力な青年に、仕事をすることの意味や、社会に活躍することの意味を説くよりも、
その人に与えられた公案が、どのようなものか探し出すことに、ともに努力するという態度をとってきました。

   *A領域とは筒井俊彦先生の大乗起信論の心真如(仏心)、B領域は衆生心と解説しています。


 河合隼雄「ユング心理学と仏教」(岩波書店)より抜粋




いつも何度でも

     千と千尋の神隠し・テーマソング(歌:木村弓・詩:覚和歌子)


呼んでいる  胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい

悲しみは 数え切れないけど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返す過ちのそのたび ひとは
青い空の 青さを知る

果てしなく道は 続いて見えるけど
この両手は 光を抱ける

さよならの時の 静かな胸
ゼロになるからだが 耳を澄ませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も みんな同じ

ららら・・・・♪