イエティを求めて(密教的解釈)

メスナーについて


ラインホルト・メスナーは1978年5月、無酸素・単独で世界で初めてエベレストの頂上に立った人物です。

その時のトレーニングは過酷を極めていました。
まず飛行機で8,000メートルまで上昇し、無酸素状態を体験。

1,000メートルの高度さのある山道をはだしで駆け登ったり、
少しの水で長期間過ごしたりするトレーニングをこなしての征服だったのです。

エベレスト登頂後も彼の挑戦は続き、無酸素・単独で世界の8,000メートル峰14座すべてを征服しました。
世界でも比べるもののない冒険家、登山家です。

彼は1970年ナンガ・パルパットで弟を失いました。
登頂が終わり下山の際、弟と共に800メートルの崖を墜落しました。

その時に、落ちていく自分を静かに見つめる、もう一人の自分がいることに気づいたのです。
凍傷で足の指6本を切断しました。

1986年7月、彼はチベットの山奥でイエティに何度も遭遇しました。


イエティとの遭遇
 (「イエティを求めて」ラインホルト・メスナー著/P7〜8より抜粋)
     

それはチベット台地の沢筋を登っている時でした。
30フィート(9m)前の石楠花の藪に、何かが亡霊のようにたたずんでいました。

ヤク(長い毛の生えている牛)だ、と一瞬考えました。
飼い主のチベット人がいるなら、暖かい食事と寝る場所が手に入ると喜びました。

それはしばらくたたずんでいると、音もなく軽い足取りで、
森の中を現れたり隠れたりしながら、スピードを速めて行きました。
小川やその支流のところで、その動きは遅くなりました。

ヤクではありません。
すばやい動きで支流と、木々のカーテン奥に、その後ろ姿は消えてゆきました。
瞬時にして10ヤード(3m)ほど動き、上方に移動しました。

藪に私の影が映っているようでした。
一瞬、音もなく立ち上がり、たそがれの中に消えてゆきました。

何かの音を期待して聞き耳を立てたのですが、音はしませんでした。
森は静寂なまま、小石の落ちる音や、枝木の折れるパチパチ、カサカサの音はしないのです。
灌木の藪に柔らかな足音を聞いたかもしれません。

驚き当惑しながら、その亡霊が立っていた所を見つめました。
何で写真を撮らなかったんだ!! 

私はたたずみ、静寂の中で、その動物に対する警戒心が湧き上がりました。
下草のところにもぐりこみ、探し始めるころには、
世界が動き出し、木々の上部で優しい風がそよぐ音が聞こえます。

森の黒い地面の所に、巨人のような足跡を見つけました。
つま先の形は間違いようがありません。
踏み跡は新鮮で、次々と土を触ってみました。
新鮮です。

写真を撮り周りの土も確かめました。
私の靴は、その生物のはだしの足裏ように、深くは沈まないのです。

 

黒い土を見つめながら、私は1951年にチベット・ネパール国境メール氷河で撮られた、
エリック・シンプトンの有名な足跡の写真を思い出しました。
この写真は、イエティ存在の有力な証拠だと考えられています。

ヒマラヤ登山家の一人として、私も充分イエティの伝説は聞いていました。
その話はシェルパの世界において、語り継がれていました。
しかし私はその生物が現に生きているなどとは、考えたこともありませんでした。

私はチベットやヒマラヤの多くの場所を知っています。
そのような僻地では、近代的な装備なしには私たち山男のようにタフな人間でさえ、
一ヶ月間と生きていけないでしょう。
そのようにタフな生物がいるとは信じられません。

ヒマラヤの風景(雪峰・氷河・雪嵐・吹きすさぶ冬の夜)がイエティの伝説を描き出しています。
ここは囲炉裏で話される、口承文化がいまだに当たり前のように考えられている場所です。

キッチンテントの中で、シェルパのイエティについての話を何度聞いたことでしょう。
雪に残された多くの足跡の現場では、少女の誘拐や、あの大きなヤクが一撃で殺されたのです。

湯気でかすむ薄暗いテントの中で、登山装備や、食料品の箱に囲まれ、
しゃがみながら話半分で聞いていました。
シェルパはイエティに遭遇し追跡した話を、特定の場所や人名を挙げて話し出します。

しかし私が確認しだすと、父親が言った話しが、祖父になり、
特定の村が、そこいら辺の地域に変わってしまいます。
私にとっては確実なことに興味があるのです。-----中略--------

私は足跡を追いながら登り始めたとき、
誰もがこの旅をイエティが邪魔するなどと話していなかったことを思い出しました。

冗談半分であれ本気であれ、ここで何かが起こっていることを、
警告してくれた人はいなかったのです。

この地域には、ネアンデルタールやキングコングのように、
イエティの流行が届いていなかったのでしょうか?

その夕方、四つ以上の足跡を発見しました。
その動物は山の上、森の中に登っていたのです。もし、それが動物ならば。
それは熊なのでしょうか?
その動物の足跡は、雪ヒョウよりも遥かに大きいのです。

    -----中略--------

真夜中になり、茂みを掻き分け掻き分けするうちに、森を抜け出すことが出来ました。
明るい月明かりが渓谷を照らしていました。
黒い山の陰が空に浮かんでいました。

山陰が蛇のように上下し、奥のモレーンの暗がりに向かって牧草地が広がっています。
小屋は見えず、動物の匂いもなく、灯火も見えません。

灰色の拝松を掻き分けて足で道を作っていると、突然不気味な音が聞こえました。
ヤギが警告をするときに発するような、シューシューという警告音です。

視野の端に、立ち上がっている姿が、牧草地から森の中にダッシュしていく姿を捉えました。
その形は、音もなく背を丸くしてかがみこみ、月の光から隠れるように、木の陰に隠れようとしました。

それは立ち止まり、一瞬振り返り、私を見つめました。
先ほどよりも、怒りのこもった警告の唸り声が聞こえました。
悲痛なことに、私は両眼と歯をむき出しにしている姿を見てしまったのです。

灰色の顔、黒い身体、その生物は脅すように立ち上がりました。
毛に覆われた、それは短い二本足で垂直に立ち上がりました。
力強そうなその腕は、ひざに届くほどの長さでした。
身長は7フィート(約2m)でしょう。
人のサイズよりも大きく重そうです。

でもそれは機敏に動き、急斜面を力強く登りましたので、
とりあえず私は気を抜き、安心しました。

もちろん動転していました。
人間ではこんな真夜中に走ることは出来ません。

大きな木の下の低い潅木の茂みの所で、それは振り返りもせず、
呼吸を整えるように再び立ち止まりました。

私は催眠術を掛けられたようで、ザックから双眼鏡を出すことも出来ませんでした。
端から端までそれを見つめていると、その形は変化しているように見えました。
それは先ほど見つけ、足跡をたどった生き物と同じように思えました。

ねっとりした悪臭が漂い、生物の退いていく声が鳴り響きました。
それが藪の中に突入していく音を聞きました。
それは高みに向かって、山の奥の暗がりに向かって四本足で斜面を駆け上りました。
それは消え、すべては元に戻りました。

私は夜の闇の空を見つめました。
両手が震えていました。

シェルパは「シューシューという音は危険な状態を表している。」と言っていました。
「イエティから逃げるために出来るだけ早く駆け下りることだ。」と言っていました。

灌木や藪の中を、その生物よりも早く逃げるだって?
そいつは半月の月明かりのもとで、沸き起こる巨大な怒りに動かされて、
つまづきもせずに消えていったのです。


ニュースになる(P72要約)
                    

カトマンドゥに戻って、彼はチベット人通訳のタルチェンに会い、
チェモ(チベット語のイエティ)についての話を聞くうちに、
彼に今回の遭遇を話すことになりました。

この話は彼の口を通してチベット人の難民の間に広まりました。
そしてそれはカトマンドゥ中の噂として広まってしまったのです。

1986年秋、マカルーとローツェの8,000メートル峰は成功のうちに終了しました。
その登頂発表会で、インドのジャーナリストが質問しました。

「マカルー・エクスペディションの間にあなたはイエティに会ったのですか?」

私は返事にためらいました。

「この情報を確認、証明したいのですが。」質問は続きました。
「それはマカルー登頂のときではありません。チベットで、です。」私は答えました。
私の言葉は騒ぎを引き起こしました。

「でもこれは、今話している件(マカルー登山)ではありませんよ。」
「イエティを見たのですか?見なかったのですか?」
インドのジャーナリストは確答を求めました。

「はい、見ました。でもこの件につきましては、これ以上お返事を差し控えさせていただきます。」
翌日の新聞を見て驚きました。
14座の8000m峰登頂のビッグニュースは、イエティの遭遇とその疑問のニュースに消されてしまっていたのです。

マカルー調査登山での会話(P60抜粋)

あるときコックのサクラマンが聞きました。

「旦那、毎朝、岩の上に登って森のほうを見てますけど、隠れた洞窟でもあるんですかい?」
「イエティだよ。」私は笑いながら答えました。

「類人猿がここいら辺にいるなんて信じているんですか?」
「信じているんじゃなくて、探しているんだよ。」

  --------中略------------

「足跡は雪や湿っぽいところに残るから、やわらかい地面は追跡に便利なんだ。
 だから秋はイエティ捜査に最高なんだ。」
「だからはっきり言うけど、朝から晩まで探しているんだ。」

「で、いかがでした。」
「まだ何も。」

「明日には足跡のようなものを見つけますよ。」
「お前の作ったやつだろ。」私は言い返した。
サクラマンは笑った。

「偽者か本物かすぐ見分けられるよ。偽者は固くて自然じゃないんだ。」
「本物の足跡を見つけた人はいるんですかい?」
「写真を撮っている人がいるよ。」

「だけど、なんで突然、足跡が消えてしまうんですかい?」
私は肩を持ち上げて言った。「知るもんかい!!」

「たぶん、イエティは飛べるんですよ。」
「何だって!!」
「ちょっとした考えなんですけど、いつも、キャンプからキャンプに
 飛べたらどんなにいいだろうって思ってますから。」

その晩、私はサクラマンに彼のエクスペディションの参加数を聞いた。
「ざっと70でしょう。だけどここ十年は年を取りすぎましたよ。
 まー、後20年生きればいいでしょう。だから『空を飛べたらなー』と思うんですよ。」

「イエティが飛べると思うの?」
しばしの沈黙の後に、こう質問した。

「イエティは眠らないし、宙に浮くって、言われてますよ。だから飛べてもいいでしょう。」
「人間に出来ないのに、イエティに出来るだって?」
「少なくとも、私はそう思いますけど。」
サクラマンは答えた。

   
神か悪魔か・新聞記者との会話(P74抜粋)

Q「それじゃイエティはある種の神なのですか?」

A「たぶん神であり、悪魔でもあるのです。でも西洋の人々は、こんな宗教的暗示を希望してはいないでしょうね。」

Q「オランウータンのような類人猿は、ヒマラヤで生きていけるのでしょうか?」

A「間違いなく、生きていけませんね。」

Q「イエティは人々の集合無意識に広がっている、想像的な生物だと思うのですが?」

A「人類がそのような怪物を作り出す必要があるとは、どう考えても思えません。
  忘れないでください。わたしはそのような動物を見たのですよ。」

Q「イエティが幻覚であるとは言えないのですか?」

A「酸素不足による幻覚だって!!とんでもない。イエティが生きていようがいまいが、
  この酸素不足の薄い空気の中で、シェルパやチベット人は生きているのですよ。」

   -------中略-----------

A「もう想像するのはやめましょう。チベットに行けばわかるでしょう。
  あなたはイエティの足跡を、編集室や図書館で得ようとしています。ここでは、邪推するだけですよ。」

真実を求めて


2000年2月、私はアリゾナ州セドナでネイティブ・アメリカン
セコイヤ・トゥルーブラッドに会いました。

しばらくして彼は自分のUFO体験を語りました。

もちろん私は彼の話を、ほとんど信じていませんでした。
幻覚だと思っていました。

しかし彼は皆を前に、あまりにも熱心に彼のアブダクション(UFOによる誘拐)を話していました。
彼とジョン・マック医師が半年後日本来てフナイオープンワールドで講演したとき、
通訳のソニー常務・天外司朗さんは、
「このような体験を日本人がすると、観音様を見たというのです。」と言っていました。

ダマヌールからUFOやイエティに


2005年10月、私はイタリアのダマヌールに行きました。
そこで『フェニーチェさん』からアトランティスの話を熱心に聞くことになりました。
この時もほとんど信じていませんでした。
アトランティスに行ったファルコさんの幻想だと思っていたのです。

イタリアではマリア降臨を信じている薬剤師(錬金術師?)マリオ・ガロに会いました。
彼はマリアを祈ってくれるならお金は要らないと、店の商品を次々と私に渡しました。

彼はボスニアヘルツェゴビナのメジュゴリエで起こっていた奇跡の写真を撮っていました。
メッセージを受けたヴィッカにしか見えない、マリア降臨の時に写した写真には
画面に溢れるばかりの大きな光が写っていました。

これらの体験を重ねているうちに、私の若いとき、
ヨーロッパアルプス・マッターホルン下山の際に起こった体験を思い出しました。

飛行物体が突然現れて、突然消えたのです。
登攀中の友人二人も目撃しています。
あれは未確認飛行物体(UFO)だったと思い出しました。

今回のメスナーの話はどうでしょうか?
事件は現場で起こっているのです。

私は今まで自分がメスナーに質問した新聞記者のように、
図書館と編集室の場所で考えていたことに気づきました。

メスナーは彼の名誉を考えたら、イエティの話をしないほうが得になるのです。
でも真実を知りたい彼は、あえてこの話を本に書いたのです。

私は彼の体験を信じます。
そして他の皆さんの体験も信じるようになりました。

密教的・多世界解釈


7世紀の始め聖徳太子は「世間虚仮(せけんこけ)・唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」と宣言しました。
今の世界はイリュージョン(幻影)で、仏だけが真実だというのです。

この場合の仏とは多世界解釈といえるのでしょう。

奈良・東大寺の大仏の台座には、蓮花の花びらが描かれ、
その蓮華の花びらの中の一つ一つに大仏様が描かれています。
その小さく書かれている無数の大仏様も、それぞれ蓮華の花の上に座っています。

東大寺の保持している思想・華厳経では一即一切重々無尽といいます。
時間と空間は畳み込まれているというのです。
これが多世界解釈です。

金子みすずはこの世界を「はちと神さま」という美しい詩に残しています。

はちと神さま

はちはお花のなかに

お花はお庭のなかに

お庭は土べいのなかに

土べいは町のなかに

町は日本のなかに

日本は世界のなかに

世界は神様のなかに

そうして、そうして、神さまは、

小ちゃなはちのなかに。