密教の修行法による右脳開発

密教の修行法は右脳の開発に役立ちます。

日常の生活では私たちは論理理的に思考しています。
この状態で脳波を測るとβ波の状態になっています。
これは言語中枢が存在している左脳を使っている状態です。

ところが音楽を聴きながら幸福に浸っている状態の時は、
脳波はα波となり右脳が活発に活動している状態になります。

右脳を活性化することにより能力開発をしようという試みは、
多くの科学者の間で盛んに行われています。

ところが密教ではこのような右脳開発の歴史が1500年も前から続いていたのです。

私たちは思考するときに言葉を使います。
すると言葉の世界を作り出してしまい、その世界に縛られてしまいます。

言葉の世界は、私たちが相互にかかわりあって生きている
「つながりの世界(法界縁起)」を忘れさせてしまいます。

この言葉の世界から離れるために密教はさまざまな修行を用意しています。

ゆるませる修行法・マントラヨーガと瞑想

右脳開発の修行には心をゆるませる修行法と、心を集中させる修行法があります。

ゆるませる修行の第一はマントラヨーガです。いわゆる念仏です。

ドイツの人智学者ルドルフ・シュタイナーは、「真理は光の中にある」という意味の不明なマントラを
繰り返し念じているとそのうちに心に空白が生じ、そこに直観が流れ込んでくるといいます。

その後には自他が渾然とした状態になるというのです。

日本の密教でも不動明王のマントラを唱えることで病気が奇跡的に直った話が数多く残されています。
右脳を活性化することで生命力も取り戻せるのです。

密教では人の身体は肉体と波動の身体(氣と意識の身体=身・口・意)があると考えています。
これをヨーガでは粗大身/波動の身体(エーテル体・アストラル体)と呼んでいます。

この波動の身体にマントラの波動を送りこむのです。

たとえば真言密教には光明念誦と言う念誦方があります。

これは口から出たマントラが光となり全身を包むイメージをするのです。
その後毛穴の一つ一つから光があふれ出、全身が光の存在になったとイメージするのです。
音とイメージ・口と意識を使った修行法なのです。

音は波動であり言霊です。
密教で唱えられるお経や声明を聞いていると眠くなってきます。

退屈だから眠くなるのではありません。
本堂をローソクだけの明かりで暗くし、倍音の音を聞かせることで脳波をα波にさせ、
死者との別れを悲しむ人の心を癒すことを目的としているのです。
瞑想の状態に導いているのです。

チベット密教のシンギングボールやガンター、ティンシャ―などの波動の楽器も同じ効果を狙っています。
左右の耳から入ってくる音の違いで、音を聞く意識に「ゆらぎ」を生じさせ脳波をα波にさせるのです。

現在ではミッチェル・ゲイナーというアメリカのガン治療の名医が「音はなぜ癒すのか」の本で
マントラと倍音の治療を勧めています。

マントラ読誦と同じよう心をゆるませる修行はマントラと同時に行う瞑想です。

真言宗の開祖空海は若い頃、洞窟で虚空蔵のマントラを唱えていると金星と一体化する体験をし、
抜群の記憶力を得ました。
禅の瞑想は呼吸に意識を置くのですが、馴れないと大変難しいものです。

真言宗の瞑想は念誦を繰りながらマントラを言います。
最初は人に聞こえる声を出して念誦を繰ります。

そのうちに自分だけ聞こえる声で、そして舌の先だけ動かすように、そして最後に念じるだけになります。

意識が深まり無意識と意識の境が漠然としてくる状態がα波になっている状態です。
眠いけれどもやっと数珠が数えられる。そんな状態が深い瞑想状態です。

この状態の時に普遍的集合無意識の状態(無分別智=非二元論)になるのです。

集中力をつける修行法・お経の読誦・暗記と滝行・山駆け

瞑想とマントラヨーガがゆるませる修行法ならば、集中力をつける修行法は長い経典の大声での読誦と暗誦です。
意味もわからないお経をただ丸暗記するのです。

かって四書五経の読誦・暗誦は武士の子弟の必須科目でした。

斎藤孝著「声に出して読む日本語」は大ヒットしましたが、
口で唱え覚える能力の開発は語学の習得にも最適です。
また大声を出すことで気力の充実が計れるのです。

修験道の行者たちの行っていた、滝行と山駆けも集中力をつける右脳開発です。
論理的に思考していては滝に入ることすら出来ないでしょう。

ところが滝場に行くと意識が変化します。
「冷たいかな?」という恐怖心をぬぐうのは気合です。

気合を入れていくうちに肝が練れて、簡単には動じない「腹の座った人」に成れるのです。

山駆け・長時間の山登りも修行法の一つです。
これは体力だけでなく、長期的な視野に立った直観を養います。
低い山道でも、分かれ道の選択で直観が狂えば遭難します。

辛い状態を我慢していると目的に達するという達成感も得られ、
人生でも大きな目標に向う右脳の集中力を作ります。

超能力の獲得もある密教の修行

仏教は論理ではなく仏道の実践です。
宗教性に欠けた今の日本で「仏道に生きる」ためには神秘体験が必要なのかもしれません。

私は18歳の時に岩から落ち臨死体験を経験しています。
現実世界の奥を垣間見た気がしました。
そして岩登りを10年続け、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、インド、ネパール、チベットと旅を続けて来ました。

いま私の主催する蓮の会では那須で護摩修法をしています。
護摩の火の前で太鼓を叩き一心不乱にマントラを唱えると、さまざまな不思議なことが現出します。
ある時はその場で、またはある時はその後の人生で。

右脳を開発すると自我が薄れ、生きることがたやすくなります。
それが結果として普遍的集合無意識の世界(法界=神仏の世界)の力があなたを援助することになるのでしょう。

密教の身体論は三密と呼ばれ身・口・意に分かれます。
これをコントロールできるのが特に口から出入りする、食物(栄養)と氣(呼吸法)と言葉(言霊)です。

各地の密教が述べている言霊の力を下記に述べました。参考にして意識の開発に役立ててください。

インド・ヴェーダ

大初にプラジャパティ・ブラフマンがあった。
言葉がそれと共にあった。言葉はまさに最高のブラフマンであった。

ヨハネ福音書

初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
すべてのものはこの方によって創られた。この方によらず出来たものは一つも無い。
この方に命があった。この命は人の心であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

空海・声字実相義

五大(物質)にみな響きあり 十界に言語を具す(用意する)
六塵(感覚対象)ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり