1987年5月のある日、私は5歳の長男が通う、S幼稚園に父親参観のために出かけていきました。
小さな下駄箱やトイレを眺めながら、ほほえましい思いと共に日差しの柔らかいテラスの端で、
中庭で遊ぶ子供たちの群れの中から、我が子を探し始めました。
目線の先にいた我が子は、ジャングルジムの一番上で誇らしげに立ち上がっていました。
「危ないじゃないか!!」
中庭を越えて助けに行きたい衝動に駆られ、足元を見て靴を探し始めました。
そのとき、「なぜ彼は落ちないんだろう?」という思いが押し寄せてきました。
「いま、ここで助けても、いつ交通事故にあうかもしれない。」
そう思っているうちに、「どうしたら良いんだ!!」という思いと共に、
あるビジョンが突然、脳裏に流れ込んできました。
それは自分がマッターホルン山頂に立っている姿でした。
17歳のときから、私は岩登りに夢中になり丹沢、谷川岳、穂高岳などの岩場を登り、
ついには25歳のときヨーロッパアルプスの岩峰にも挑戦していたのです。
その間、両親たちはどんなに心配したことでしょう。
あるとき山から帰ってくると祖母が
「山はどうだったの、お祈りしていたよ。ご仏壇にお線香を上げときなさい。」
と言われました。
その当時の私は、「俺は・・自分の力(体力と運)で登っているんだ・・・よけいなことをして・・!!」
と思いつつも・・・仏壇にお線香を上げていました。
それが、息子がジャングルジムの上にいるだけで、震え上がる自分がいたのです。
そのとき以来、「あいつが落ちないのは・・(何か大きな力に)守られているからだ。」
と考えるようになりました。
自分の思い上がりに気付いたのです。
岩場のゲレンデで落ちた友人を、確保した紐が切れなかったことも、
谷川岳で、つかんだ大岩が抜け落ちたとき、岩と一緒に落ちなかったことも、
穂高岳で落石が友人のあごを砕いたとき、自分には岩がぶつからなかったことも、
ヨーロッパの山で雪の上を滑り落ちたときに、怪我をしなかったことも
「運が良かった!!」で済ませていました。
数限りない危険を、「運が良かった!!」で見過ごしていたのです。
それ以上のことは考えていませんでした。
視点を変えることによって、深い叡智があることを気づかされました。
このときから私の思考法が変わりました。
「出来事には意味がある」と考えるようになったのです。
そしていま「出来事はすべて・・・神仏からのメッセージ」と考えているのです。
今回、ゴア元副大統領の、講演を聞く機会に恵まれたことも、どこからかのメッセージであると感じ、
この文章をホームページに掲載することにしました。
2007年1月20日より映画「不都合な真実」が上映されます。
ぜひご覧ください。