得度体験記

by 照覺

初めに、得度した理由を簡単に書かせて頂きたいと思います。


得度しようと思った理由の一つは、姉の問題でした。

現在、姉は61才ですが、二十歳くらいからノイローゼになり
医者に躁うつ病(双極性障害)と診断され以来、長く闘病生活を送っています。

現在も治療中です。

他には、父親の死、友人の死、仕事仲間の死などで常日頃から強く無常を感じていました。

いつか得度を受けたいと思っていました。



私は東京の大学を卒業して就職後、昭和52年頃広島に帰ってきました。

当時はまだ就職難があまり無い時代だとはいえ、希望する職につけず、
家庭教師や塾の先生をしていましたが、なんとかコンピュータ関係の仕事に付き、
その後結婚し子供ももうけることができました。

今から3年前に会社を辞め、現在は自営業をしています。

それから此の度の、東日本大震災で私の心の中に燻っていたものが一気に出ました。

大変な事が起きたな!と思うと同時に、
どう表現していいか解りませんが、どうしようもない気持ちになりました。


私は二十才後半頃から出家したいと思っておりましたが、
これを気に、やはり私は得度出家すべきだという思いが益々強くなりました。

私のような人間でも、すこしでも心から世の中にお役に立てれば幸いだとも思いました。

これが主に得度のきっかけとなった事です。



さて、得度式前日に生まれて初めて高野山に来ました。

極楽橋からケーブルカーで高野山まで急な山壁を登りながら、
ついに来んだなと感慨深い思いがしました。

高野山駅に降り立つと、三月とはいえ残雪が残り底冷えする日でしたが、
何か崇高な気持ちになりました。


高野山駅から更にバスで千手院橋まで行き、
すぐに、得度カットをしてもらうため近くの床屋に行きました。

床屋に入ると既に年配の方が私より少し前に来ていて散髪していました。

普通の整髪かと思ったら、ザックリ刈り上げていましたので、
もしかしたらこの人も得度かなあ?と思ったら、やはり後で常喜院でお会いしました。

私の順番がやってきて、生まれて初めて頭を剃髪されました。
頭の毛を三箇所残して、後は全部剃られました。

恥ずかしいやら、おかしいやらで自分で苦笑いしてしました。

頭がやたら寒く感じました。

その後、すぐに石橋法衣店に行き頼んでおいた法衣を受け取りました。

常喜院に着いて、和室の続き間に案内されました。
既に二名の方がおられ、後から数名の方が来られました。

正直喜びと同時に不安もありましたが、遠方から来られた方もおられ、
いろいろとお話させていただき楽しいひと時を過ごせました。

夕食前に、壇上伽藍を参拝しながらご真言を唱えると
妙に心が清まる感じがしました。


常喜院に戻って、三礼(五躰投地)の練習をしました。

皆とタイミングを合わせるのが難しかったです。


それから夕食をとりました。なかなか美味しかったです。
あとは、風呂へ入り、皆んなで少し談笑して床につきました。

その夜は、妙に興奮してあまり眠れませんでした。



いよいよ得度式当日。

雨雪もほとんど降らず、穏やかな日和となりました。

午前6時頃から朝の勤行があり、それが終ってから朝食をとり、
少し休憩してから、初めて丁子湯というお風呂に入りました。

良い匂いがして気が落ち着きます。


午前10時頃に本堂において得度式が始まりました。

千二百年以来、連綿と引き継がれてきた古式にのっとった由緒ある得度式を受けられたことは
誠にありがたく、正に身の引き締まる思いでした。

心配していた、正座のしびれや関節の痛みもあまり無く、無事、式を終了することができました。

如法衣を付けての記念撮影をしていただき、ありがたく思いました。

        

式終了後、全員、奥の院参拝に行きました。

通る道すがら、いろいろな墓標があり、なかなか荘厳な場所だと思いました。

ご真言を唱えながら奥の院参拝までの参拝途中で、老若男女の人たちから合掌をいただきました。

照れくささと共に、僧侶となったんだ、という実感とともに
毅然とした態度をしていかなければいけないと思いました。

参拝が終わり昼食をとり、それぞれ解散となりました。



この貴重な経験を忘れず、これからは一度死んで生まれ変わり、

また新たに僧侶としての自覚を持ち、新たな人生を送れるよう

日々精進して行きたいと思います。


最後に、常喜院の加藤御住職、諸僧侶方、小林先生はじめ、
まんだらやから参加協力していただいた諸先達の方々、

ほんとうにありがとうございました。

この場を借りまして、改めてお礼申し上げます。

照覺  合掌。