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今回の参加は宗明さん、宗順さん、白明さん、道明さん、そして私、玄明の五名でした。
2009年の3月16日はとても空気が爽快なほど澄んでいました。
宗順さん、白明さん、道明さん、小林さんと東京駅に集合して高野山に向かいます。
新幹線乗り込み京都で下車、東寺に立ち寄りゆっくりとした時間を過ごします・・・
もう桜が咲き始めていました。
小林さん京都について荷物をコインロッカーに預けたのですが、
その鍵をどこで落としたか大慌てでみんなで探し回るというハプニングもありましたが、
昼食をとって再度京都から新幹線に乗り、新大阪に出て御堂筋線で難波で南海特急に乗り換え極楽寺へ、
南海高野山線に乗ると都会の喧騒からどんどん離れていき、
山の合間のカーブでキィキィ音を立てながら少しずつ奥に入っていくのは印象的でした。
さらにケーブルカーとバスを乗り継ぎ・・・高野山へは結構な道のりなんですね。
本当に下界と遮断された聖地です。
高野山・・・宿坊にはまだストーブが入っています。テレビもありません。
気温も時の流れも下界とは違います。
常喜院につくと一足先に待っていた宗明さんと合流し、今回の得度者全員が揃って、
金剛峯寺で参拝を済ませます。
前夜の宿坊での晩ご飯、自己紹介がてらそれぞれの得度を語らいました。
法名に込められた想いはそれぞれ千差万別、色々な経験からそれぞれの想いで
得度に望んだのがわかるひとときでした。

前夜はというと・・・寝付きは良かったものの普段寝ない時間だったもので
夜中に目が覚めてうつらうつらしている内に朝を迎えます。
丁子湯につかり身を清めます。
般若心経一巻程度の時間浸かるのが普通なのだそうで、
それまでのこの世との決別というところでしょうか。
その後、後冷えないように念入りに水気をとって白衣に着替え本堂へ向かいました。
阿闍梨様が入場されるのを待つ間、倣いに従い本堂の脇で準提尊の真言を唱え続けます。
今から考えれば、10分だったか20分だったかは覚えていませんが、
真言が本堂に響く中、心はすでにまな板の鯉状態でした(笑)。
儀式の中嬉しさと希望半分半分、兄弟達ととも白衣から、御加持を頂き、空衣を着けて、
阿闍梨様より如法衣を受け取って身を纏って、最後に法名を頂いて・・・・、
静かに時が流れました。
ついさっきのようにその光景が浮かびます。
実のところその静けさの中に、何やら騒がしさにも似た歓喜の波動を感じていました。
最中に小林さんに撮っていただいた写真にはそれが写りこんでいて、
気のせいではなかったのだと帰ってきてから改めて感じました。


人は生かされているモノなのでしょうが、私は『何によって生かされているのか?』
『そして自分はどう生きたいのか?』、『運命とは従うしかないのか?』、そして『何が真実なのか?』
これらを"体験"するのに少なくとも顕教の範囲を超えていると感じ、
幼い頃から仏教に触れる機会があった私は気がつけば密教に興味を持っていたのでした。
学びたい行じたい意欲はあれど、実際に出家というのは現実がなかなか難しい。
そんな折に小林さんとお会いし、得度されている仲間(僧迦)に会い、
『私も続きたい』と願ったのが今回の得度というチャンスに巡り会えたのだと思います。
『得度=出家』という方程式から、実は周りにあまりよくは思われていなかったのか、
「『渡』を『得』てくるだけだよ」と周りに話しつつも、何度も後ろ髪を引かれるようなことがあったのは
今更ながらの告白だったりします。
心の中の不安が表に出ていたのか、小林さんから「本当にいいんだよね?」なんて念を押されて
内心ヒヤリとしていたのです。
伝授していただいた四度加行を自行でこなしながら、祈って仏縁を信じ得度に望んだのが、・・・
ある意味『再生』を信じ、現世での人としての『死』を覚悟したのが本音でした。
そんな大袈裟な・・・と感じる部分もあるかもしれませんが、周りの現世からの執着は結構堪えたのも本音です。
納得がいかなければテコでも動かない性分ですから早々に諦めるつもりもなかったですし、
それらを一旦捨てることも必要なのだと思います。
そんな迷いあってなのか東寺で引いたおみくじには、大吉・・・されど
『古く悪いしきたりを 改め新しく 時代に 適した姿を 求める相で
再生の喜びが運を導き 枯木に春が来て 花開くようである』
とあり、どっきりしたのが半分、安心したのが半分です。
仏縁をもって師僧に遇い、初めてできる得度、人の一生の内でこのチャンスは稀と感じます。
だからこそ今回のこのチャンスを生かしたいと思って望みました。
それぞれの再生の後、各々、現世でいう「帰路」につきました。
それぞれのその再生が「大吉」なんだと思います。
玄明 拝
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