チベットとブータンのシンボリズム 
 心の十段階  
 

言葉の奥行を学ぶことが、密教やタロットを学ぶことになります。

表面世界で生きている人は、自分が使って認識しているコトバの世界を疑ってはいません。

それはスマホの表紙のページに生きているものです。
クリックすれば、奥の世界に入れるということを知りません。

空海はこれを、十住心と名付けました。
十段階の認識レベルがあるということです。

この深い世界に入っていくために、まずは自己の認識の解体が必要になります。

「なぜ私はこう考えるのだろう?」

この言葉を自分の考えていることに当てはめてみるのです。
すると、自分自身が「誰かの言ったコトバ」で縛られていることに気づきます。

タロットでは「最初に振りかけられた、この世を支配する魔女の粉を払う」という行為です。


私は48歳の時に、「この世は何か変だな~?」との思いが出てきました。

そこで探求の最初に行ったのが、「サイババ・アシュラム」。
その後、インドを放浪し、釈迦の成道の地・ブッダガヤを訪問しました。
そして、ネパールとチベットに滞在し、現代文明の失ったものを発見しました。

【チベットという言葉】

私は、現代文明(アメリカ・資本主義)のカウンターカルチャー(対抗勢力)としての、チベットを発見したと思いました。
それからは、むやみやたらの進歩が良いという世界観から離脱したのです。

人にとって重要なのは、経済ではなく幸福感なのだと思えたのです。

ところが「チベット」とは、「日本のチベット・岩手県」などと使われます。
チベットには、僻地という意味合いが付加されます。

僻地とは、遅れていて良くないという意味が付加されています。

本当にそうなのでしょうか?


 ブータンという言葉  


ところが同じチベット仏教文化圏のブータンでは、チベット(僻地)というイメージが当て
はまりません。
それは、前の国王が「GNP(国民総生産)よりも、GNH(国民総幸福量)。」という意思を世界に表明したからです。

これこそが、共産主義ソヴィエトが滅びた後の、資本主義一辺倒の世界観を覆せる、
カウンターカルチャー(対抗・思想)だと思えたのです。


アジアのノーベル賞マグサイサイ賞:
岩村昇先生の言葉
 


「君たちは、日本に帰っても、ほどほどに仕事するといいよ。このネパールのように。」

と1972年に、ネパール・ボランティアで結核撲滅の指導医師・岩村昇先生は、語りました。

ところが、私たち山仲間は帰国して夢中で働き、日本の世界観(資本主義)に疑いを持ちませんでした。

そんなある日、40年住んできた故郷の駅前で佇みながら
「銀行やローン会社や飲み屋が増えてきたこの進歩は、人を幸せにはしない。」と思えたのです。

「何か変だな?」というこの思いが、私を探求の旅に駆り立て、
チベット・ネパール・ブータン・インド・アリゾナなどの僻地を再び旅することになりました。

「なぜ、私はそう思うのだろう?」

この言葉が、あなたの無意識の土を掘るスコップです。

自己の解体と再生は、タロットでは「名前のない13番」が象徴しています。


チベット密教と名前のない13番  



ネパールには、チチパティ(踊る骸骨)という神様がいます。
チベット密教では、大たい骨の骨の笛や頭蓋骨の盃があります。

心の中は、性も死も混とんとした無分別なのです。

チベット密教は、死を思えという象徴をちりばめた曼荼羅で作られています。
 


ブータンと17番:星  

 
僻地でも、幸せはある・・と主張したブータンは、鎖国をすることにより、世界経済から離脱しました。

しかし、世界を支配する(経済優先の)一部の人々を否定することにより、
彼らは自分の国がパラダイスであると、主張しているのです。

果たしてブータンは、僻地なのでしょうか?

それとも観音様の住む淨土(パラダイス)なのでしょうか?

13番、17番ともに、着るもの(財産)はない裸ですが、土づくり(カルマ落とし)をした13番に、
種を植え、天から与えられた水を注ぎ込んでいるのが、17番なのです。

この行為は、星のようにわずかな力でしかありませんが、
「バタフライ・パワー」のように、小さな力が大きく働く動きになるのに相違ありません。

天の星の光が、皆様の上に輝きだしますように!!