密教的思考法序説
K先生との対話(3)先生お返事ありがとうございます。
反抗的でないと議論になりませんよ〜!
同意ばかりしていたら面白くありません。
他者がいて自分の思考が引き立つのです。お返事の最初に「ご自身が輪廻を信じない者だ」というご意見がありました。
私も輪廻を信じているわけではありません。
思考のフレームとして輪廻転生を選択することのほうが合理的に思えて、
その思考を認識の基準として選択しているのです。私は皆様に「信じることは智慧の放棄につながる」と語っています。
一つの思考フレームを選択し、そのフレームでの思考を繰り返すと
それがフレームに過ぎないことを忘れてしまうのです。そしてそのフレームを信じ、依存するようになります。
当たり前に思えてしまうのです。自分の心に掛かっているフレームを発見することは大変難しいのです。
そこで思考方法の違う外国人が必要になります。
私はネパールやチベットの人と話していて、日本人である自分の思考フレームを発見したのです。信じるという言葉は、信じるか信じないかの二元論を迫る言葉です。
この言葉は私の感覚と違います。仏教は二元論を否定し、非二元論の思想を表明しています。
非二元論とは不二、不二と否定していかないと真実は表せないと考えています。
○×式ではないのです。
微妙な表現をするために、言葉はあるのですから。信じるといっても、その信じ方は大変幅のあるものなのです。
ところが言葉にするとその幅が消えてしまうのです。
言語概念の世界は差異を失わせるのです。トランスパーソナル心理学者、ケン・ウィルバーは「フラットランド」と称し、
高みも深みもない世界になってしまっているといいます。
文化は洗脳し続ける ある時ネパールの巨大な目玉の描かれた、ボーダナートのストゥーパ・レストランで
お茶を飲んでいました。
仏塔を丸く取り囲んだ町並みの屋上には、五色のタルチョが翻り、
後方にはカトマンドゥを取り囲む山々が霞んでいました。
見下ろすとチベットの老人たちが仏塔の周りを、ある人はせわしなく、ある人はのんびりと、
各自勝手に回っています。
皆、熱心に何かをつぶやきながら数珠を繰っています。
繰り返しこのような修行をすると、阿弥陀仏の浄土に招かれるのだそうです。これを見ていた私には、とんでもない疑いが生じてきました。
「この人たちは洗脳されている。誰も阿弥陀仏の浄土に行ったことがないのに、
その言葉を信じているなんて!!」「なんて無知な人たちなんだろう!」
僧侶にだまされている、かわいそうな人々。
そのように思えてしまいました。それから1週間、私は東京に通勤するラッシュアワーのホームにたたずんでいました。
満員の電車に、人々は駆け込んでいきます。
「何でこんなに駆け込むのだろう?次から次にと電車が来るのに。」
そう思った時ネパールの風景が重なり合いました。文化は洗脳をしているのです。
その国に長くいると、その国の生活習慣が刷り込まれてしまい、当たり前だと思えてしまうのです。せわしないけど豊かな日本と、のんびりしているけど貧しいネパールの文化。
「出来ることならネパール・チベット文化の洗脳の方がいいな〜。」
そう思ってしまう私でした。あるチベット人が言いました。
「あなたの考えていることは、誰かが言ったこと。」そうなのです。私たちは自分で深く考えるということを、ほとんどしたことがありません。
情報には伝聞情報と体験情報があります。
体験情報でフレームをつくり、伝聞情報を受け入れています。
体験情報が少ないと思考フレームがなく、伝聞情報が真実に思えてしまいます。
大本営発表のように、うそも数多く言えば真実に聞こえてしまうのです。
思考フレームとはフィルターでも有り、伝聞情報をろ過することが出来るのです。思考フレームはひしゃくにもなります。いったん勝れた思考フレームが出来ると、
その思考法に従って行動をします。
類は友を呼ぶの喩え通り、同じ傾向の人とのめぐり合いが始まります。社会の思考フレームから逃れ、別の思考フレームを得ても、その思考フレームが依存によるものだと、
自分の思考を縛るフレームになりがちです。考えることは大変面倒なことなのです。
しかし信じることは、徹底して考えた後でもいいのではないでしょうか?
船長の回心 宇宙船地球号の船長は回心が必要とのご意見ですね。
私も同意します。
これを仏教では意識の成長といいます。子供のような自分しか考えない、わがままな子供意識レベルから、
社会のことを思う社会人意識レベルに成長し、
最後には地球レベルのことを心配する地球人レベルに成長するのです。回心は大きなパニックがこないと始まりません。
そのパニックの状況に向けて今、西洋資本主義社会は崩壊に向かっているのです。でもこの世の終わりがすべての終わりではありません。
新しい世界の始まりなのです。そのことを気づかせるために破壊の神、シバ神があばれているのです。
神仏は間違いを犯しません。
予定通りにいっているのです。ところで宇宙船地球号の船長とは、誰でしょう?
それは特定の個人ではありません。
人類の集合無意識なのです。多くの借金を抱えた人々は、心の奥で社会の破壊を祈ります。
その集合無意識が社会を破壊するのです。
密教ではこのメカニズムを身・口・意(三密)と表現します。
意識で思ったことは、何気なく口にします。
その言葉が力を持ち、影響力を与え、人を行動に導くのです。4年程前、TVを見ていると黒い画面に「死んだら何も残らない!」と白い文字が浮かび上がりました。
すぐ後に「公共広告機構」と出ました。
驚いてそのコマーシャルの内容を思い出しました。
それはドナーカード提出のコマーシャルでした。でも言葉はエネルギー(力)です。
この言葉が一人歩きをしたら・・・・・・・!!
「死んだら何も残らないのだから・・・・・好きなことを今、してしまえ!!」
と考える人が出てくるでしょう。先日友人がパンフレットをポスティングされていました。
そこにはキリスト教の名前で「たった一度の人生」と書かれていました。輪廻があるという思想は、どんな時でも責任が付きまとう事になります。
境遇が悪くても、その人生で無謀なことをしないように歯止めをかけている思想のようにも思えます。
善因善果・悪因悪果は輪廻思想から必然的に導き出されて来る倫理観です。それから比べると、「たった一度の人生観」は
相互不信を元とした契約の思想を作ったのではないでしょうか?最近欧米系の保険会社と契約しました。
この契約書は「お互いの信義に基づき・・・」という日本の契約書と違い
分厚い条例が並んでいるのです。
理性的なものを信じられない私 現代の文明は理性的なものを尊重します。
しかしユング心理学では深層心理を重要視します。理性は氷山の一角で、海の底には膨大な無意識が存在するのです。
こうありたい、こうあるべきだという思いも、
理性の欠けている人にとっては、抑圧となり反抗的なシャドウとして成長します。ユングのような心理療法家は、事実を事実として理解せざるを得ません。
事実を認めた上でそれを善悪の二元論で分けるのではなく、
事実を認め心のメカニズムを追求するのです。戦争を繰り返してきた人類史を見ると、私には人間は理性的な存在ではないと思えるのです。
シャドウの部分も見つめることで人間の全体像が浮かび上がるのです。中国ではこれを陰陽と捕らえ、タオ(道)という全体を想定します。
西洋は光が善で、闇が悪という二元論に走り全体を見失っているように思えるのですが?
仏教ではこれを不二と表現し、増減、善悪と分けられないと考えています。
もちろん虎の餌となるのは愚かです!! 捨身餌虎の喩えは、あくまでも人間の高慢をたしなめる喩えに過ぎません。
図に乗ると付け上がるのが、人間の性質です。
そのためには出来るだけ控えめに「生きとし生けるもの」と表現していたほうがいいのでしょう。ユング心理学では古代の神話の中に元型(アーキタイプ)という象徴を想定します。
ニーチェが「神は死んだ」といってから100年近くたちましたが、
相変わらず現代人は神の変わりになる神話を捜し求めています。ダッチンカーリーの儀式は血を求めるカーリー神を産み出す儀式です。
神の前で生贄を捧げることにより、聖化(サクリファイ)された肉となるのです。
その儀式により肉を食べることが正当化されるのです。
理想主義の欠点 アメリカ合衆国はピューリタンの人々が自由・平等・博愛の理想主義で成立しました。
しかし現実は理想のようにはいきません。
アメリカに住んでいるからには、その土地が原住民のものであったという歴史から逃れることは出来ません。
すると無意識の中で自分を正当化する思考が働きます。
彼らは「アメリカ原住民は野蛮だ」という神話を作りました。私もジョンウェインの西部劇を通して、そのように思い込まされてきました。
アメリカ人にはネイティブ・アメリカン虐殺のトラウマがあるのです。
正義を言いつづけないと、自国存立の大義を失ってしまうのです。現在ブッシュ大統領が悪の枢軸と叫んでいます。
背後には自分が善であるという前提があります。
アメリカは移民の国、多国籍の国です。
この国をまとめるためには、敵を作ることが必要なのかもしれません
密教の思考法 密教の思考法は自己を解体するところから始まります。
自己(の心)は文化とか社会の束縛にあっています。
人生体験が自分を縛るのです。
人生体験によって出来た認識のフレームが自分にかかっています。
それが見えないのです。そのフレームを一回外し心の束縛を自由にするところから密教は始まります。
自分の正しいと思うことを、すべて問い直すのです。
そして新しい思考を再構築するのです。釈迦はそのため王子の地位も捨て、乞食としての生活を始めました。
自己否定することはそれほど難しいことなのでしょう。
しかし、真実を知りたいという探究心さえあればそこに到達するのです。「まんだらや」のホームページではサリンジャーの短編小説を中心にアップルという文章を書いています。
これは不二の思想を表現しています。
般若心経は不二の思想を表現したもので、日本の象徴・富士山の名前も不二から来たそうです。「なぜそう思うのだろう?」思考を言語化することによって、哲学は生まれたのです。
以上の文章が先生のお問い合わせに答えるものになっていることを期待いたします。視点の違い(認識)が世界を創っているという考え方は、仏教の唯識哲学に詳しく述べられています。
唯識学者・岡野守也先生の著書を参考にされることをお勧めします。
また、今読んでいる本は、「科学を捨て、神秘へと向かう理性」ジョン・ホーガン・徳間書店です。
2004.11.15
まんだらや 小林宗次郎
ナマステ