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(2)次に医学否定、開発否定の疑問にお答えしましょう。 |
もちろん私の趣旨は、医学否定ではありません。
西洋医学が閉鎖空間の山奥では機能しにくいと述べたつもりです。
化学薬品の薬は高価で買えないのです。
その現状に気づいた畑美奈江さんは、ネパールで鍼灸・あんま治療を普及させる努力を始めました。
今はネパール製もぐさの製作も始めました。
地域には地域に合った治療法があるのではないでしょうか。
医学=近代西洋医学という常識はなぜ生まれたのでしょう?
近代医学は解剖学から始まり、顕微鏡の改良を通じて細胞学、細菌説から
数々の病原菌と抗体の発見を通じて発展してきました。
非科学的な哲学思想では精神と物質は混在していました。
デカルトは物質と精神を分離する二元論を考え、物質一般と区別させられるような生物など存在しない
という、動物機械論を考えました。
近代医学が「身体とは物質の構造である」という考えに嵌っていったのもこの思想のためです。
デカルトの精神と物質の二元論はひとつの哲学(思考の枠)に過ぎず、
東洋医学よりも進歩したものとは限りません。
私たち人間は思考(哲学)に縛られるため、近代西洋医学の思考法では目に見えないものは扱えないのです。
身体とは物質の寄せ集めではなく、全体的に調和した生命体です。
ホリスティックな存在です。
中国・インド医学では身体の全体を流れる「氣」「プラーナ」、
流れる道の「経絡」「ナーディ」の存在なしに語れません。
しかしこれらの存在は鍼灸の実践を通して体験的には確かめられても、
物質として抽出することは出来ないのです。
開発否定は大変難しい問題です。
途上国が電力開発を始めることは電気産業の輸出には最高の条件が整うことになります。
道路の整備は自動車の普及につながります。
しかしこのようにして生活が整備されるにつれ、エネルギー消費量も増大するのです。
風力や水力のエネルギーが中心ではない現在、石油や原子力エネルギーの高騰にもつながるのです。
途上国が開発主体の経済を始めたら、地球環境はどのように破壊尽されるのでしょうか?
ポカラや、カトマンドゥに日本語学校を寄付しているT先生は
「米百俵物語」を喩えに出して教育の重要性をお話しします。
「魚を与えるよりも、魚の釣り方を教えよう!!」とおっしゃいます。
でも私には、日本が、近代国家が一本釣りをしているのではなく、
投網を掛けたり、ダイナマイト爆破で浮かぶ魚を取っているように思えるのです。
地球環境に対して、やさしい開発ではないように思えるのです。
開発の問題は、もと国連職員のスーザン・ジョージさんの「債務ブーメラン・第三世界は地球を脅かす」や
「なぜ世界の半分が飢えるのか」などをお読みください。
WTOは世界銀行と組んで開発を地球規模で行っていますが、成功した試しはありません。