密教的思考法序説
K先生との対話(1)
『私は理科系の人間で唯物論思想に陥りやすく、
 西洋合理主義的に物事を見る傾向が強いので、密教の思想はたいへんです。

 そう簡単には理解できないでしょうから、どうぞこれ以上小林さんの貴重な時間を、
 私のためにお使いになりませんようお願いします。
 でも学びたい気持ちは旺盛です。』

私はこのようなお手紙をK先生からいただき、うれしくなりました。

哲学者プラトンには「対話編」という書があります。
K先生とのメールを通しての対話により、平成の対話編が出来ることを希望しています。

密教的思考法

密教的思考法は、宗教という枠をはめる思想ではなく、
自己の解体をするという作業を通して真の自己を発見する行為です。

これは一般に考えられている宗教や、宗教行為とは異なるものです。

自己の解体は誰にでも出来るように思えますが、ある程度の年齢を超えると、
人々は自己の体験に固着し、自己の獲得した認識に執着してしまいます。

心は情報で出来ています。
(1) 伝聞情報と (2) 体験情報です。

(1)の伝聞情報で私達は両親や社会から檻を掛けられています。
赤ちゃんのとき親から「おしっこしてはダメ!!」「ウンチしてはダメ!!」
子供になったら「親の言うことをきかなければダメ!!」「学校に行かなければダメ!!」
「勉強が出来なければダメ!!」「いいところに就職しなければダメ!!」
「女は結婚しなければダメ!!」

文化による伝聞情報はその当時の文化の価値観を洗脳し続けます。
良い・悪い・の二元論的価値観に洗脳されるのです。
私たちは戦後の教育の中で、西欧合理主義を洗脳されつづけてきました。

そこでその伝聞情報を疑うためには、インド・ネパール・チベットの異質な文化が役に立つのです。
彼らの思考法−私たち日本人の思考法=アジアの宗教性となるのです。

体験情報1 ゴキを殺せ!!
食物連鎖の話

ネパールの友人宅でホームステイした時です。
夜のトイレで群がるゴキブリの多さに閉口しました。
「ラケシュ君、ゴキぐらい殺せ!!殺虫剤はないの〜!!」

彼は悠然と答えました。

「小林さん、食物連鎖って知っています?
 
ある島に渡った人が、鹿を食べるヒョウの姿を見て残酷に感じ、ヒョウを皆殺しにしました。
外敵に襲われなくなった鹿は大いに繁殖して島中にあふれ、
島の緑をすべて食べ尽くしてしまい絶滅してしまったそうです。

ゴキブリを殺すとゴキブリを食べている生き物が死んでしまいます。
仏教では『生きとし生ける者』といって、人間の都合でかってに殺してはならないと考えているのです。

ヒューマニズムとは人間の身勝手なエゴの思想です。

すべてのものは神様がお創りになったのですから。
神様の前に、命は平等なのです。

この体験情報が私の考えを変えました。

私は小学校低学年のころ、夏休みにハエを取ってマッチ箱に入れて持っていきました。
益虫・害虫という二元論的思想が洗脳されました。

でも江戸時代、小林一茶が「やれ打つな、蝿が手を擦る、足を擦る」の句を残しています。
蝿は殺されそうになって、ナムナムと拝んでいるように、一茶には見えたに違いありません。

ネパールの友人たちが、蝿や蚊やゴキブリを殺さない姿を見て、
ヒューマニズムという私の西欧合理主義に洗脳された認識が揺らぎました。

これがネパールでの体験情報の始まりでした。

体験情報2 ボランティア

ネパールの景勝地ポカラからヒマラヤに向かい、北に飛行機で30分飛んだところに
ジョムソンという村があります。
ここで10年以上ボランティアをされている、日本人のS先生がいらっしゃいます。

最初は林檎の栽培を指導され、農業指導に励まれました。
そのうちに貧しい地域に学校を作り、給食をされるようになりました。

このような行動の奥には、ご自身の体験、
日本が貧しかった時代がダブっているに違いありません。

そのうちに3800メートルのところに診療室までもお造りになり、
夏の間は日本から医者を呼ぶようになりました。
この地域の人々は喜んでこの診療室に通い始めました。

薬代は日本のボランティアたちの援助です。
夏の間病気のことを先生に依存していた村の人は、冬が来て医師の先生が山を下りた後に、
ここが僻地になってしまったことに気づきました。

病気を治したくても薬はなく、もちろん薬を買うお金もありません。
こうして多くの僻地が、善意の行為にもかかわらず、
貨幣経済の中に巻き込まれてしまったのです。

それまでの村はどうだったでしょう?

そこにはアムチという祈祷師兼医者がいました。
病気の相談に行くと、何か呪(まじな)いをするのですが、あまり効きません。

でも彼は「魂が輪廻するので、死なんか怖くないのだよ。」とお話ししてくれます。

雪に閉ざされた4000メートルの大地は、そこで生産出来た食物で自給できる人数しか生活できないのです。

「生きることは良いことで、死ぬことは悪いこと」と考える二元論的・西欧合理主義の考え方は、
この地には通用しないのです。

平均寿命の長いことが幸せ?
もしこの考え方がなかったら、この地はパラダイスだったのかもしれません。

ボランティアでネパールを訪れる多くの方が、貧しいネパールと感じるかもしれません。
私も最初「物が豊かにあれば幸せ」という価値観を持ってネパールを訪れました。
その心の中には、貧しいことは悪いという考えがありました。

でも帰国して日本を見つめると、ネパールから比べたらこんなに物が豊かなのに、
『日本人の心の中に幸福感があふれていないのはなぜなんだろう?』と考えました。

人々の心が『もっと、もっと』と求め満足することを知らないように思えたのです。

体験情報3 ビパサナ瞑想

この僻地への旅行の後、ビパサナ瞑想をカトマンズ郊外、ブダニールカンタの道場で体験しました。
10日間の瞑想で、費用は終了時に自分の希望額を払うという、理想に燃えたシステムです

主催者・ゴエンカさんのお話しのテープが流れました。

「私たちインド人は西欧の人々から、多くの援助を受けています。
 しかしインドの貧しい子供たちはもらう事に馴れ『もっと欲しい、もっと欲しい』と願うだけで、
 働くこと、自立することを忘れてしまっています。

 そして『物がないから不幸だ』という考えに陥ってしまっています。

 私たちビパサナ瞑想者は『心が幸せを創る』のであり、
 『物が幸せを創る』のではない事を彼らに教えなければなりません。」

このお話が私のそれからの未来を決めました。

どうしたら自分の心を平安にすることが出来るのだろう?
自分の体験により認識ができ、その認識というフィルターを通して、
世界を眺めている自分がいるのです。

つまり世の中には、自分と世界(自分の外部)しかないのです。

ところが今の外部の世界は、エネルギーの8割を使っている先進国の人々が、
全世界の人口の2割でしかないのです。
残りの8割の人々は残り2割のわずかなエネルギー消費量で生活しています。

もし彼らが近代的な消費経済の波に飲み込まれたら、
どれだけのエネルギーが必要になることなのでしょうか?
そして今、中国が近代化の方向を目指しています。

仏教は「少欲知足」。
「欲を少なくして、足るを知る」ことを目指します。

果たして人類は高エネルギー消費社会に歯止めをつけることが出来るのでしょうか?
石油エネルギーの独占をもくろんで、イラク戦争を始めたアメリカをたしなめる事は出来るのでしょうか?

体験情報4 味覚の魔力


ツアーで皆様方をネパールにお連れすると、食事の問題で悩みます。
どのようなお食事を提供すると、満足していただけるのだろう?

私のツアーでは現地のダル・バート(カレーライス)は少しにして、ほとんど西欧の食事か日本食にします。
でもお連れする日本レストランで皆様方は『やっぱり日本食は一番だね〜』とお話しになります。

ひねくれ者の私は『イヤー、違うんですよ。食生活は食べなれているから美味しく感じるんですよ。
食文化に刷り込まれているんですよ。これも一種の文化の洗脳なんですよ。』とお答えしてしまいます。

生まれた時から同じ文化の洗脳を受けると、それが当たり前と感じてしまいます。

悟りとは脱洗脳のこと


『覚りを開く』とは洗脳から抜け出ることを目指しています。

一般に知られている宗教は、宗教団体の教祖なり教義というものを信じることで成り立ちます。

でも密教は『信じることは智慧の放棄につながる。』と考えます。
「なぜ?」と疑いつづけることが覚りへの道なのです。

インドのラーマクリシュナ寺院にお参りしたとき、ある壁画に出会いました。
インドの御者のお話しを描いた壁画です。

馬車を運転している御者が自分の心です。
馬が肉体(感覚器官)で曲がりくねった道が感覚対象です。
御者は理性という手綱で馬を制御します。

日々の生活の中で感覚対象から伝えられてくる情報に右往左往していた馬が、
あるとき瞑想をしました。

目を瞑り、静かな場所で音も聞こえず、感覚器官からの情報が途絶えました。
馬(肉体)が立ち止まり飼葉を食べている状況になったのです。

そこで理性という手綱を緩ませることが出来た御者(心)は、煙草を一服し始めました。
ふと足元を見ると御者席の後ろに馬車が続いています。

振り返ってみると客車の席には、金持ちそうな格好をした人が乗っているではありませんか。
顔をよく見て驚きました。御者の自分とそっくり同じ顔をしているのです。

そういえば馬を操っている最中、後ろのほうから声がして、
行ってはいけないほうに導いてしまったことが何度もあります。
この人の声だったのです。

後ろに乗っている主人の私(魂)、これをインドの人々はアートマンと呼びます。
このアートマンこそがブラフマン(神)と一体の私なのです。

このことを指して梵我一如と呼んでいるのです。
神道では我々は分け御霊と呼び、神の子と考えています。

チベット仏教のストゥーパ・卒塔婆


深層心理学では心の奥に無意識があって、自分をコントロールしていると考えています。

ボーダナートのチベット仏教のストゥーパ(仏塔)は、人の心を表現する形をしています。
塔の上部にはとがった棒(感覚器官)と丸い小さな輪(自我=エゴ)がかかっています。
これが小さな自己。

13段の階段状の三角形は、思考のエネルギーを示します。
次の四角には大きな目が描かれています。
これが意識(理性)の部分です。
下の大きな半円の部分が無意識の世界をあらわします。

この全体像が自己(大きい自己=セルフ)なのです。
私たちは感覚器官にくっついた部分のみを自分であると思ってしまいますが、
意識の底にある無意識こそ本当の自分なのです。

スイスの心理学者C・Gユングはその無意識が人類全体に共通であるとの認識をしています。
彼はその無意識を普遍的集合無意識と名づけました。

ストゥーパを上部から見ると曼荼羅の絵画になります。
ストゥーパは曼荼羅の立面図なのです。

外側の円には炎が描かれ、外部と内部を区別しています。
その内側に蓮の花が描かれ、すべてのものは蓮の華より生まれることを暗示しています。

中央の四角い世界が理性の世界です。
四方の門より外からきた情報を出入りさせています。
無意識に捨てられた情報はカルマとして無意識世界に残ります。

死はこの門が開きっぱなしになることです。
捨ててきた過去が、再度問い直されるときが来るのです。

絵画の中央にいる主尊が自分のエゴです。

曼荼羅もストゥーパもこのような深い意味があって造られているのです。
深層心理学という認識のフィルターを持ってネパールの町を訪れると、
そこが宝の山であることに気づかされるのです。
G・O・D


ヒンドゥー教では、産み出す神様(Generate)ブラフマン・育てる神様(Organized)ビシュヌ
破壊の神様( Destroy)シバの三神が合わせて一人であると考えています。

破壊のその後には、創造の神が出番を待っているのです。

どんなに世界が破壊されようとも、それはシバの神のダンスをしている姿(ダンシング・シバ)なのです。
ステップが判れば踏みつけられることはありません。

ヒンドゥー教は物事を明るく肯定的に考える宗教ですね〜。
ヒンドゥー教のお社が汚いのも、現世よりも来世を重視しているからなのでしょうか?

明日からまたネパール旅行だそうですね。
好奇心一杯の旅でありますに祈念いたしております。                       

                       ナマステ   小林宗次郎