ネパールの景勝地ポカラからヒマラヤに向かい、北に飛行機で30分飛んだところに
ジョムソンという村があります。
ここで10年以上ボランティアをされている、日本人のS先生がいらっしゃいます。
最初は林檎の栽培を指導され、農業指導に励まれました。
そのうちに貧しい地域に学校を作り、給食をされるようになりました。
このような行動の奥には、ご自身の体験、
日本が貧しかった時代がダブっているに違いありません。
そのうちに3800メートルのところに診療室までもお造りになり、
夏の間は日本から医者を呼ぶようになりました。
この地域の人々は喜んでこの診療室に通い始めました。
薬代は日本のボランティアたちの援助です。
夏の間病気のことを先生に依存していた村の人は、冬が来て医師の先生が山を下りた後に、
ここが僻地になってしまったことに気づきました。
病気を治したくても薬はなく、もちろん薬を買うお金もありません。
こうして多くの僻地が、善意の行為にもかかわらず、
貨幣経済の中に巻き込まれてしまったのです。
それまでの村はどうだったでしょう?
そこにはアムチという祈祷師兼医者がいました。
病気の相談に行くと、何か呪(まじな)いをするのですが、あまり効きません。
でも彼は「魂が輪廻するので、死なんか怖くないのだよ。」とお話ししてくれます。
雪に閉ざされた4000メートルの大地は、そこで生産出来た食物で自給できる人数しか生活できないのです。
「生きることは良いことで、死ぬことは悪いこと」と考える二元論的・西欧合理主義の考え方は、
この地には通用しないのです。
平均寿命の長いことが幸せ?
もしこの考え方がなかったら、この地はパラダイスだったのかもしれません。
ボランティアでネパールを訪れる多くの方が、貧しいネパールと感じるかもしれません。
私も最初「物が豊かにあれば幸せ」という価値観を持ってネパールを訪れました。
その心の中には、貧しいことは悪いという考えがありました。
でも帰国して日本を見つめると、ネパールから比べたらこんなに物が豊かなのに、
『日本人の心の中に幸福感があふれていないのはなぜなんだろう?』と考えました。
人々の心が『もっと、もっと』と求め満足することを知らないように思えたのです。