聖なる科学

スワミ・スリ・ユクテスワ

                                               


解脱とは真の自己意識に復帰することである。

それが果たされるまでは、人は何回でも生まれ変わって、不満足と苦悩を経験しなければならない。


   ~~~~不満足と苦悩の意味を考えることで、そこから抜け出ることができる。



<人はなぜ苦しまなければならないか?>


人は自分の肉体を自己と誤認し、真の自己の中にある真の満足を見失っている間は、本心の願望は決して満たされず、不満としていつまでも残る。

そしてそれを満足させるために、彼は、何度も肉体という衣装をまとって人生という舞台に登場してくるのである。

マーヤ(幻想)の支配下にある限り、生死に伴う苦悩から逃れることはできない。


   ~~~~世の中には、私とそれ以外(世界)という二つのものがある。
         ところが、それ以外を見るための眼鏡(世界観:認識)を変えると、まったく違うものが見えてくる。
         だから、すべては鏡に映る幻想のようなものなのだ。




あらゆる苦悩は「無知:アヴィディア」から生じる。
無知とは、存在しないものを存在すると誤認し、また、真に存在するものを知らないことである。

無知とは何か?

人はこの物質世界を、存在する唯一のものであると信じ、それを超えたものの存在を知らない。

そしてこの物質世界が、本質的にはなんら実体のないものであって、実は、被造物(作られたもの)の理解を超えた真の実体が写し出している、
単なる観念の遊戯であることを、忘れているのである。

そしてこの無知は、それ自体が障害であるのみならず、人間のあらゆる障害の原因になっているのである。

二極性の力を持つ無知(アヴィディア)は、利己心、愛着、嫌悪、頑迷さとして顕れる。


   ~~~~無意識に潜む利己心や愛着や嫌悪や頑迷に意識を当てる(なぜそう思うの?)と、それが単なる不安感から生じていると気づく。
         変化を恐れる恐怖心が、このような心を作るのだ。諸行無常(すべては変化する)という教えは、このことを言う。





苦悩の根源は、利己心の働きによる。無知から生じた利己心の働きは、不幸をもたらす。

   ~~~~無意識の中に、自分だけを守ろうとする動物のような心(自我)がある。
         人はこのような心を統御してこそ、人生の勝利者になれる。





<人間が真に必要とするもの>

1、至福(アーナンダ)

人は、誰か神聖をそなえた聖師(救い主)の助けを受ける幸運に恵まれて、その聖なる導きを受け、それに忠実に従って修行を積み、
自分の注意力を完全に内側に集中することが出来るようになると、心のあらゆる願望を満足させることができるようになり、
それによって真の満足(至福)が得られる。

    ~~~~ダライ・ラマ14世は「人は条件によって幸せになるのではない、幸せは幸せの国からやってくる。」と語っている。

2、意識(チット)

このようにして本心が満足すると、人は自分の注意力を、任意の対象の上に固定して、そのもののあらゆる面を知ることができる。
こうして自分の内奥に宿っている「全知の意識」が徐々に顕れてくる。
そして、その意識の河で洗礼を受けて悔い改め(自己意識を浄化し)、自分が落ちてくる前の住処であった父の元に帰り(神性を取り戻し)始めるのである。

    ~~~~私たちは、天から落ちてくる途中の「吊るし男=アダム・カダモン」なのだ。
          その男から見て、この世は顛倒夢想。この世での死はあの世への再生なのだ。


3、実在(サット)

人は自己なる意識の実態や、マーヤの創造活動の実相に目覚めると、それを超えた絶対的な力を持つようになり、
無知が生み出したあらゆるものを、次第に取り除いていくようになる。 

こうしてマーヤの支配から解放されると、ついには自分が永遠に存在する不生不滅に実体であることを体認するようになる。
このようにして自己の実在が実現する。

    ~~~~あなたの真の姿は、肉体なのか、意識の身体なのか?
          肉体は滅びるが、意識の身体は、虚空蔵の世界(アカシックレコード)に入り、再生する