表の神話紀行
天孫降臨伝説in高千穂

by 一天

予定は未定、未定が予定、それが私のいつもの旅のスタイルです。
何かテーマ性を持たせる場合と、突然の思いつきで気の向くままに出掛けてしまう場合とあります。

そしてその両方の動機で出掛けたのが、今回寄稿させて頂きました”表の神話紀行”というテーマの、
九州は南阿蘇〜高千穂の1泊2日の旅です。

では何故その地を選んだのか?
理由はシンプル、宮崎県知事ブームだからです。

というのはジョークですが、
最近日本人のルーツや日本の国の生立ち、神道に興味を持って書物を読み探っており、
その過程で謎に突き当たったのがあの有名な神話、つまり天孫降臨伝説です。

そもそも日本の神様の系譜は複雑でしかも漢字でもカタカナでも覚え難い名前ばかりで、
またその神様達が繰り広げる擬人化した世界は絵空事で作り話的な物語ばかり、
といったイメージが一般的ですよね。

世界に目を向けても、旧約聖書創世記、エジプト、ギリシャ、メソポタミア、そしてケルトも然り、
神話は想像力豊かな古代人の単なる創作物に過ぎないのではと。

しかしスピリチュアル世界に興味を持ち様々な書物やまんだらやで密教的視点を教わるうち、
神話の世界にこそ真実がちりばめられており、寓意として読むことの必要性に気付くようになりました。

もちろん「真実は神のみぞ知る」かもしれませんが、現在のように情報伝達手段が発達していない
古代世界に洪水伝説や天の岩戸伝説に代表される類似した物語が世界各地に数多く存在することや、
争いや嫉妬、殺戮といったきな臭くリアルな人間的ストーリーは、少なからず実話に近かったと
解釈する方が容易いように思います。

そしてそれは語り継がれる必要性があったから神話になったのではないでしょうか?

そんな視点で日本のルーツを辿ると、日本の神話も例外に漏れず人間臭い数々の伝説に突き当たります。
天孫降臨の謎、ヤマト建国、隼人征伐の真意、邪馬台国の場所、渡来人説、出雲と伊勢の確執の理由、等々、
証拠不十分のなか、想像の域を超えない仮説論議が何年も繰り広げられてきていますが、
記紀編纂時に意図的な創作があったとも考えられており、謎の究明には興味が尽きません。

その天孫降臨の有力候補地のひとつが宮崎県と熊本県の県境に近い高千穂地方です。

今回この地を選んだもう一つの理由に、聖域としての”場”のエネルギーを体感したい
という大きな目的もありました。

伝説では高千穂周辺は神々の居住領域 ”高天原”の地であり、
スピリチュアルな世界で有名な幣立神宮を始め、天の岩戸伝説で有名な神社やスポットが散在しており、
実際に足を運び、その波動や氣エネルギーを味わいたいと思ったことがもう一つの大きな動機です。

前置きが長くなりましたが、今回訪れたルートとスポットは以下の通り

熊本空港(レンタカー)→ 幣立神宮 → 天の岩戸神社 → 天の安河原 →
くしふる神社 → 荒立神社 → 高千穂神社 → 高千穂峡 →
高千穂神社(夜神楽)→  国見ヶ丘(高千穂) → 白川水郷(南阿蘇)→ 熊本空港

1泊2日、実質24時間ながらてんこ盛りの旅でした。


幣立神宮

 

必ず訪れたかった憧れの目的地です。

熊本空港から車で2時間ほど、雄大で素晴らしい眺望の南阿蘇高原を横断し、峠を超え、
宮崎県との県境近くは自然豊かな蘇陽町という山里にひっそり佇む神聖な領域、

そこは全国、世界から著名なヒーラーたちも訪れるという知る人ぞ知るパワースポットで
日本最古の神社とも言われています。

悠久の昔、天の神々が地球上の人類を心配して、地球の中心・幣立神宮に火の玉に移って降臨し、
その所に芽生えた万世一系の巨木(一万五千年の命脈を持つといわれる日本一の巨檜)に
お留まりになったとのこと。

それが神漏岐・神漏美命で、この二柱の神を祀ったのが日の宮・幣立神宮だそうです。

御祭神は神漏岐命・神漏美命・大宇宙大和神・大御中主大神・天照大御神の蒼々たる神々が祀られています。

 

こんな由緒ある神社だけにやはり場のパワーも強烈で、確かに噂だけのことはあると納得です。

以前、お伊勢さんで体感した全身に当たる風のような波動とは異質の、
地底からの振動が足元から全身にかけジンジンと連鎖して脈打ち、身体を突き上げてくる感覚です。

 

境内にある龍神、水神様が祀られている祠も存在感は大きく、
また”ひもろぎ”の巨檜は深い慈悲と豊かな叡智の波動を発していました。

太古の昔から脈々と続く地球という大きな生命体の息吹を直接肌で感じさせてくれた
文字通りの聖地と言えます。


天の岩戸神社、天安河原

 

高千穂にある有名な伝説の場所、日の神、天照皇大神が
弟スサノオノ尊の乱暴狼藉に困惑して天の岩屋閉じこもってしまった場所です。

国中が闇となり困り果てた八百万の神々が集い対策を練ったといわれるのが天安河原。
それ程大きくない神社の裏手が渓流となっており河岸に天の岩戸屋がありますが
参道からは見ることが出来ず、社務所に依頼し神職に案内されて拝観出来るとのことです。

そして神社を出て河原沿いに歩いて10分ほどの所に天安河原はあります。

深く抉られた崖下の半洞窟スペースに鳥居と祠が祀られ、
辺り一面には石積みの小山が異様な景観を演出しています。

 

当に胎蔵界(子宮?)。
この中で神々は”日の明”を見る協議をしていたのですね。

ここは観光バスで団体客も数多く訪れており、今をときめく宮崎ブームの目玉観光地化の一つとして
注目されているようです。
ただ期待したほど氣のパワーは感じられず、個人的には多少創作の臭いは否めない感じがしました。


くしふる神社

高千穂市街地の外れ、天孫降臨伝説ではご神体として崇められている”くしふる峯”の中腹にあります。

静寂の空間に厳かに社殿が座しており心地良い波動を漂わせています。


荒立神社

くしふる神社の裏山に位置し、天孫降臨の道案内役の猿田彦命と岩戸開きの立役者・天鈿女の命が
祀られています。
2人が結婚する際、周辺の荒木で急いでお宮を建立したことからその名がついており、
夫婦円満、縁結び、諸願成就などのご利益があるとのことです。

ここで拝殿横に飾られていた光の不思議写真を拝撮。

  

高千穂神社

高千穂峡のすぐ近くで、11代垂仁天皇の御代の創建と伝えられ、
御祭神は上古高千穂皇神、別名十社大明神です。

境内に聳える樹齢800年の秩父杉は柔らかい波動で癒し効果抜群、
いつまでも傍に立っていたくなる心地良さです。

 

何といっても見所は夜神楽です。
いわゆる観光神楽で4番の舞いのみですが、自身初めての体験でした。
天照大神が隠れた天の岩屋戸の前で面白おかしく舞ったのが始まりとされています。

毎夜20時開始で約1時間のお神楽。

(1)手力雄の舞
 天照大神が隠れた天の岩屋戸を探し出す為静かに音を聴いたり考えたりする様子を表現。

(2)鈿女の舞
天お岩戸の所在がはっきりしたので、岩戸の前で面白おかしく舞い、天照大神を誘い出そうとする舞。

(3)戸取りの舞
手力雄の命が岩戸を取り除いて天照大神を迎え出す勇壮で力強く舞う舞。

(4)御神躰の舞
一名国生みの舞と言い、イザナミ、イザナギの二神はお酒を造ってお互いに仲良く飲んで抱擁し合い、
きわめて夫婦円満を象徴している舞。
観客の中におどけていたずらをするパフォーマンスが笑いを誘います。

お神楽直後の写真では賑やかな音が大好きな高次の御霊がオーブとなって舞っているように見えました。

高千穂峡のすぐ近くで、11代垂仁天皇の御代の創建と伝えられ、
御祭神は上古高千穂皇神、別名十社大明神です。
境内に聳える樹齢800年の秩父杉は柔らかい波動で癒し効果抜群、
いつまでも傍に立っていたくなる心地良さです。


お神楽直後の写真では賑やかな音が大好きな高次の御霊がオーブとなって舞っているように見えました。

    

高千穂峡

高千穂最大の観光スポットでしょう。
入り口手前の橋を渡る際、その下が峡谷になっていて
いわゆる写真でよく見る光景がいきなり眼下に映し出されます。

  

阿蘇の噴火で堆積した溶岩が長年に渡って浸食されて出来た渓谷とのこと。
エメラルドグリーンの渓流に天女が舞い降りてきそうな白く繊細な瀧が神秘的な空間を醸し出しており
渓谷美に暫しうっとりとしてしまいます。

滝上は遊歩道になっており渓谷沿いに上流方面に散策出来る様になっていますが、
そこで滝の水流を制御している池とポンプを見てしまいました。
本来の自然美も主要な観光地ともなれば、人工の手で維持せざるを得ないのでしょうね。
少々興醒めでしたが一応記念撮影も。



水量調整中?


放出準備万端

国見ヶ丘

高千穂市街地や風光明媚な山畑を見下ろす小高い丘。

神武天皇の御孫 健磐竜の命が国見されたという伝説の丘で
早朝幾重にもなる雲海を観賞出来るポイントとしても有名。

  

日の出前に上り、天照様のご来迎を拝み心置きなく神氣浴。
下界の里々からは鶏鳴が次々と聞こえ始めてきます。
当時は民家の竃から立ち上る炊煙で人々の暮らし振りを確認していたのでしょう。

それにしても何とも爽快なひとときでした。

”なまこ”のような不思議な雲が均等に並んでいるのは何かの兆候??



終わりに

この地が高天原とはあくまで記紀の中の神話、そしてその日本書紀は藤原不比等が
意図を持って編纂したフィクションという説があります。
では何故創作したのでしょう?

古事記の示した系譜を無視し、由緒正しい天皇家の歴史を伝える代わりに、
藤原氏は政敵蘇我氏を史実から抹殺すべく深謀遠慮の作為だったとの解釈です。

蘇我氏の出自はその系譜を辿ると物部氏の遠祖に至り、あの出雲に繋がるといいます。
その出雲神大物主神こそが物部氏の始祖で天皇家より先にヤマトの地に入り建国した
饒速日命(にぎはやひのみこと)ということになります。

これに対抗すべく、九州北部の新興勢力邪馬台国の女王卑弥呼は、魏に朝貢し
親魏倭王の称号を得たということ。

今度はそれに反応したヤマトが九州征伐に神功皇后と武内宿禰を投入。
その2人が卑弥呼を征伐。

日本書紀ではヤマトに凱旋帰国したことになっていますが、実は出雲と吉備の連立政権のヤマトは
派閥争いの中、吉備側は出雲の北部九州への影響力を脅威とみなし、彼女らのヤマトへの凱旋を
拒否したとのこと。

熊襲タケルを成敗し九州を平定したが非業の死を遂げた英雄倭健命とオーバーラップされるのは
偶然でしょうか。

ヤマトの征討軍に追われた2人が目指し着いたのが日向の地。
そして天孫降臨では高天原から舞い降りた天照大神の孫、
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を迎えたのが、
神功皇后と結びついた塩土彦大神=猿田彦大神=武内宿禰だったという説。

ここに日向と蘇我氏の結びつきが露呈し、神武天皇、つまり蘇我の血筋としての天皇家が
日向からヤマトの地に入ってきたことになります。

その事実?を認める訳にはいかない藤原氏は、日本書紀でお伽話を創作する動機付けが
十分にあったということになるわけです。

なるほど面白い解釈です。
裏を返せば真実だったと言えるのかもしれません。

歴史書というのは時の勢力者が都合の良いように編纂したもの、聖書もしかり、
常に多角的に否定の否定で解釈する密教的思考法、時には常識に囚われず真贋を見抜く眼力が
必要なのでしょう。

今回は高千穂の天孫降臨伝説がテーマでしたが、もう一つの伝説の地、謎の巨石文化の名残、
ピラミッド建造物と思しき山々、天の鳥舟やUFOが飛来する地、
超古代の壮大なヒストリーが織り成す日本のおヘソ、飛騨に是非足を運びたいと思っています。

そう、次は裏の天孫降臨伝説を訪ねる旅へと夢が広がっています。
以上、最後まで拙文にお付合い頂き有難うございました。

合掌

一天