信じるものは救われる?!
12年前、アリゾナ・セドナでネイティブ・アメリカンのセコイヤに出会いました。

彼のスウェット・ロッジが終了後、参加者の前で彼の体験を語り始めました。

                     

「ベトナム戦争のとき、俺たちは二人で銃を肩にかけてジャングルを歩いていた。
すると眼の前に10人ほどのベトコン(ベトナム兵)が銃を俺たちに向けているのに気が付いたんだ。

死ぬ・・と思ったぜ。だから眼をつぶった。
気が付くと撃ってこないんだ。

そこで恐る恐る眼を開いてみると、奴ら俺の頭上を見たまま口をあんぐりさせているんだ。
だから俺も上を見た。そうしたら円く光っている発光体が、クルクル廻っているんだ。

俺は撃たれることも忘れて、それを見ていた。
そうしたらベトコンの連中は、蜘蛛の子を散らすように消えてしまった。

俺はそのことがあって以来、戦うことができなくなり、
戦争が終わるまでベトナムの村に隠れていた。

戦争が終わってベトナムから戻ってからの人生は散々だった。

でもそんな時、俺はUFOに連れ去られたんだ。
南米の小人の国に連れて行かれたんだ。
そこの連中の頭は尖がっていて、背丈は子供ぐらいなんだ。・・・・」



私は彼の話を眉唾だと思いながら聞いていました。

その年の10月、フナイオープンワールドに彼は心療内科の医者とともに招待され、
通訳をマーハーサマーディ研究会の天外伺朗さん(元ソニー常務)が行いました。

医者は多くのUFOに連れ去られた人々にインタビューして、
アブダクションという本を出版していました。

彼によると、UFO体験者の誰でもその事件をありありと語るのですが、
埋め込まれたチップや犯されて妊娠した証拠は一切見つかりませんでした。

ただし、体験者たちはその体験以降に、
それまでの人生とはまったく違った生き方をするようになるのだそうです。

このような意見を集約して天外伺朗さんは
「UFOに出会った人を、昔の日本では観音さまに出会ったというのです。」と説明しました。


      


その後私はボスニアヘルツェゴビナに「マリアに会った子供たち」に会いに行きました。

「メジュゴリエ」という場所には、マリア(現地語でゴスパ)が降りてきてカトリックの聖地になっています。

インターネットでメジュゴリエを調べてください。
いまでもマリアからのメッセージが下りてきているのです。

キリスト教のマリアは、アジアでは観音さまの・・・優しく包む母親のような癒しのエネルギーなのです。

「おおマリアよ!!」「ねえ観音さま!!」と呼びかけてください。

優しい歌声のような響きが聞こえてくることでしょう。


            



「この世の中しかない」という考えが、私たちを縛って、この世を苦しみに満ちたものにしています。

本当の世界は多次元世界であり、あなたの心が変れば、世界はまったく別の様相を見せるのです。

変りたいという強い思いは、苦しみがなければ発生しません。
多くの人は最初に与えられた「社会的価値観=煩悩」にプログラムされています。

このプログラムを消して上書きする技術が、読経やマントラ読呪なのです。

そこではまったく別の世界観があなたを待っています。


        メジュゴリエでマリアと対話中の光の写真





アリゾナでセコイヤの話を聞いた日の夜、私は夢を見てうなされ夜中の3時に眼が覚めました。

その旅に出かけたとき私は友人から高野山で修行をして「阿闍梨=先生」にならないかとの誘いを受けていました。
「でも偉い坊主にはなれないしな〜?」と思っていました。

「お前のためにこの旅は企画した。」

夢の中で野太い声で誰かが語るのです。
その夢ではさまざまなメッセージが語られました。

感激のあまり泣いている自分の声で、目覚めたのです。

そのときに、「お兄ちゃんだから、泣いちゃダメだよ。」といわれ続けていた子供の頃が思い出されました。

「苦しければ、感動すれば泣いても良いんだ!!」

母親からの洗脳が解けた一瞬でした。

そのときに「エライ坊主などいない・・それは自分の勝手な思い込みで、
助けられなければ、一緒に泣いてあげればいいんだ」と思えたのです。



その日は、ネイティブ・アメリカンの聖地に岩絵を見に行く日でした。
居留地にあるその岩絵には、人類の末路が描かれているのです。

「大きく進歩した人類がある日を境に、大岩が転がり落ちるように没落していく。」という教えでした。

そして3.11を迎えた今、その教えが真実であったことを実感しています。
今までのような考えを続けていたら、人類の破滅は間違いないでしょう。

でも為政者は、過去の実績に囚われていて、未来を見つめようとはしていないのです。

仏教の教え「執着を手放す」ということは、それほど難しいことなのです。


         セドナのベルロックにキスをする鳳凰(フェニックス)の雲 




25歳のときモロッコに一週間ほど滞在しました。

そこで出会ったムスタファ・ベン・サベールの友人が「アーメッド」という名前でした。
名前の意味を聞くと「endress light」というのです。


        
        ムスタファ・ベン・サベールと25歳の私:モロッコ・マラケシュで


だからモハメッド・アリというボクシング選手の名前も、マハー・アーメッドなのです。

マハーとはサンスクリット語で、偉大な、アーメッドとはサンスクリット語で「限りのない光=無糧光」というのです。

これは阿弥陀如来の別名です。
阿弥陀如来とは、無糧光(アミターバ)、無量寿(アミタユース)のイメージが統合した存在なのです。

イスラム教の大いなる存在のイメージも光なのです。

もちろん真言宗は大日如来=太陽の象徴がシンボルです。
そして浄土宗・浄土真宗は阿弥陀如来=無糧の光がそのシンボルになっています。

そしてこの光りはどこか外側にあるのではなく、私たち一人一人の内側から発光されているものなのです。
如来蔵とはこのことを表現しています。


だから仏像に描かれている光背は、光の身体を表現しているのです。


         
         タラ菩薩の曼荼羅から流れている光の写真(Sさん撮影)





丹田に意識を置き、呼吸に集中していましょう。
皮膚の表面、毛穴から出入りしている生気を感じることが出来ますか?

額・胸・丹田・・三つのチャクラに意識を置き、呼吸を繰り返してみましょう。
マントラを念じながら。


冥想のマントラは光明真言がお勧めです。

おん あぼきゃ べいろしゃのう まか ぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん


唱えたてまつる光明真言は、大日普門の万徳を二十三字に集めたり。

おのれを空しゅうして一心に唱えたてまつれば、み仏の光明に照らされて、

迷いの霧おのずから晴れ、真理の月、円(まどか)なり。



ここでは霧は社会的価値観(煩悩)を表し、真実を覚ることを、満月を見るということに喩えています。