真言密教の身体観は包括的
浄化の行法

密教では肉体に重なって氣の身体があると考えています。

ヨガではこれを物質の鞘、生気の鞘、意思の鞘、理知の鞘、歓喜の鞘と呼んでいます。
神智学では肉体、エーテル体、アストラル体、コーザル体、ブッディ体と呼んでいます。

インドや西洋では物事を分析的に捕らえるため、このように細かく分けて考えますが、
チベット密教では微細身、道教では氣の身体と包括的に捕らえています。

同じ様に真言密教では身体を身・口・意の三種類と考えています。


肉体(身)氣の身体(口)意識の身体(意)です。


この三つの身体が重なり合って存在しているのです。

身・口・意(しんくい)

密教にはさまざまのキーワードがありますが、その中でも重要なものがこの身口意でしょう。
一般的にはムドラー(手印)、マントラ(真言)、観想と考えていますが、
別の視点から見ることも出来ます。

まずは、身体。

密教では身体は、肉体と肉体に重なったエネルギー体(微細身=みさいしん)で出来ていると考えています。
ヨーガでは微細身を細かく分けてエーテル体、アストラル体、コーザル体と言っています。

中国の気功ではこれを氣の身体といっています。

どの国の密教行法を行うにしても、氣の感覚なしには不可能です。
まずは、気功などの本を読み小周天(しょうしゅうてん)などを試みてください。
(会陰から気を吸い、腰、背中、頭頂と廻し、吐く息で額・喉・胸・へそ・性器を意識し回転させていく呼吸法)

呼吸法の実践と共に、指先や手のひらの中央(労宮=ろうきゅう)から気が出ている様子を
感じることができるようになります。
体の周囲を取り巻いている氣を感じることもできるようになります。

この段階でチベットの法具を使うと、氣の出し入れがより一層具体的に感じられるのです。
身体のエネルギーの流れは関節において詰まってしまいます。
ヨーガの技術などにより柔軟な身体を作ってください。

次に、口です。

口は、意識と身体をつなぐ重要な役目をします。
口から出入りするものは 食べ物と呼吸と言葉です。
食べ物と呼吸は肉体を作ります。

意識に影響するのは、呼吸と言葉です。深い呼吸は意識を静めます。
しかし、呼吸よりも影響力のあるのが言葉です。

私たちは言葉を発することによって世界を作っています。

言葉のエネルギーは、意識と無意識に作用するので言霊と呼ばれていました。
神道や仏教の祈る言葉は聖なる言葉として長い歴史を持っているのです。

真言密教ではそのためにサンスクリット語のマントラを利用しています。  

ミソギと祓い  水と火と言葉の浄化力 

汚職などで辞職した政治家も、再度選挙に出て「ミソギ」を済ませればまた政治家に戻れます。
過った行為、不幸、失敗、は穢れであり水に流せると、日本人は無意識に考えています。

穢れ(ケガレ)とは氣が枯れることであり、枯れた氣は浄化することで再び生れ変れるのです。

古事記にはイザナギが死者の国で妻のイザナミの腐敗する姿を見て、穢れが付いたので、アワギ原の海水で目を洗い、
右目から天照大神、左目から月読みの命が誕生したと書いてあります。

土俵に塩をまいたり、料理屋で入り口に盛塩したりするのも、
水の浄化力を何気なく(無意識に=魂が)信じているからです。

滝行 こそ最高の水の浄化力が期待できます。

火は線香の煙の浄化力です。
グレゴリオ聖歌の儀式でも大きな香炉の煙を参拝者にかけます。

護摩の儀式は最も強力な浄化作用を無意識に及ぼすでしょう。
言霊の利用法 マントラ(真言)ヨーガと自律訓練法
 
言霊の力を利用したマントラ・ヨーガは、意識を特定の真言に集中する簡単な瞑想法です。

日本ではお念仏やお題目として、各宗派の宗教信者により実践されています。
簡単な言葉の繰り返しは、無意識に染み込み、不動の意思を作り上げます。

自律訓練法はこのような現象を医療として応用したものです。
脱力したリラックスした状態で手を意識し「暖かい、暖かい」と繰り返し唱えつづけます。
自然に手の周辺は温かくなります。このような訓練が念力をつける訓練にもなるのです。

密教行者は、法具を使ってこの世界の上に重ねて、自分の精神世界を作り上げます。
そのイメージ形成力は行者の創造力次第です。

この創造力を補うものとして、手の指によって作る印が必要になります。
気功などの修行を実践するにしたがって指先や労宮から気の出入りがあることがわかります。

意識レベルが上がることにより、実際の自分よりも社会や世界のことが気になりだします。

このようにして自己に対する執着が離れて いくと、自力で動いていたと思っていた人生の裏に、
自分を動かしていた大いなる力の存在に気づくようになるのです。
カルマの浄化法

身体を通じて行われた否定的な行動(殺生・盗み・邪淫)はカルマを作ります。
口を通じて話された否定的な言葉(妄語・綺語・悪口・両舌)もカルマを作ります。
意識によって行われた否定的な考え(慳貪・瞋恚・邪見)もカルマを作ります。

現在の私は過去のカルマによって存在しているのです。

その過去のカルマを浄化するためには身口意によって作った十悪(否定的な行動3・言葉4・意識3)を
断ち切らなければなりません。
そのための宣言は毎日繰り返し行わなければならないでしょう。

これを仏教用語で懺悔(さんげ)といいます。

サンゲ 無始よりこの方、貪瞋痴(とんじんち)の煩悩にまつわれて、

       身と口と意(こころ)とに作るところの もろもろのつみとがを 

       みなことごとく懺悔(さんげ)したてまつる。


修験道では聖なる山に登る途中に「懺悔、懺悔、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」
と何回も唱えながら登山します。

身口意で作った多くのカルマは、回峰行(登山)をすることによって清浄になるのです。

安易に流れがちな心を自制し、身体を使い、汗をかいた体験は気力を充実させ、
新たな肯定的な(善の)カルマになるのです。


発菩提心(ほつぼだいしん)  オン・ボウジシッタ・ボダハダヤミ


「白浄の信心を発して 無上の菩提を求む。
願わくは自他もろともに、仏の道を覚りて生死の海を渡り、すみやかに解脱の彼岸に到らん。」

最も重要な浄化法は菩提心を持つということです。
菩提心は、覚りを開くぞと決意することです。

密教の伝統では、儀式により師から弟子に金剛杵を与えることで菩提心を注入したとみなします。
これにより密教は即身成仏できると考えていますから、この世で覚る心境が得られると考えるのです。

その覚りのキーワードは生死です。

この世界は言語概念によって成立しているために、二元論の価値観に縛られてしまいます。

生死、美醜、増減、善悪、男女、天国と地獄、悪魔と天使、主体と客体・・・・。
ところが仏教は非二元論(無分別智)ですので生死はないと考えるのです。

この考えは分かりにくいですか?

カタカナで書かれた文章はサンスクリット語です。
密教では言葉は意味と波動エネルギーで出来ていると考えます。

波動の身体にはヨガと同様にチャクラがあります。

チャクラとは肉体上にある氣の身体と肉体が繋がる通路です。
氣のエネルギーはこの場所で渦巻状に出入りしています。

ヨガでは7箇所を考えていますが、真言密教では縦には、頭頂、額、のど、胸、丹田、会陰を考えています。

邪気を抜くときは左回し3回。氣を入れる時は右回り3回が原則です。