聖徳太子の謎
聖徳太子よ!


あなたは大きな理想を持っていた。
その理想はあなたを孤独にし、あなたの子孫を全滅させる原因となった。

その理想とは、仏教という理想だった。

「和をもって尊しとなす。」

あなたの理想は「和」だ。
怒り恨みはあなたの理想に反する。

しかし太子よ。
和というコトバは立派だ。

しかしあなたは知っているはずだ。
和というコトバは現支配者にとってはいつの場合も有利であり、
被支配者にとってはいつも不利であることを。

かってあなたが輝かしい皇太子であったころ、あなたはこの和ということを、
被支配者に対してもっている残酷な意味を知ってはいなかった。

しかしあなたは(死んでしまった)いま、和ということの真の意味を知ったはずである。

和とは「忍従」の別名である。

あなたは、いまあなたの子孫をすべて惨殺し、その子孫の救われざる霊魂ゆえに、
冥土から時たま帰ってくるあなたの亡霊をここに封じ込め、
そして藤原家の四人の権力者の偶然の死すらあなたのせいにして、
冥土から来たあなたの霊を八角堂に押し込めて・・・・・・・・・

太子よ、和の道徳を捨てよ!!

権力者は自らの手で殺した、早良皇太子を崇道天皇と呼び、菅原道真を天神様と呼んでいる、
殺された者の怨念を聖化することで封じ込める。
怨霊封じに使われた数々の寺。

なぜ厩戸皇子は「聖徳太子」と名付けられたのか?
そして聖徳太子に似せて作られたとされる、救世観音にこれほど謎が多いのか?

梅原猛の解説は以下のようになる・・・・・・。

法相宗の大僧都、行信は語る。

「光明皇后、ご安心ください。藤原家に祟りをなす聖徳太子の怨霊は、この行信の力によって封じ込めました。
 斑鳩の地に八角形のお堂を建てたのです。
 あなたのお父さんの眠っている興福寺の北円堂のように、墓なのです。

 ここに厚い石の台を作り、その厨子の中で太子の霊に夢を見てもらうことにいたしましょう。

 『大丈夫か?』ですって?
 内緒ですが、ご身体は中が空っぽなのです。
 中が空っぽなら出るに出られません。

 そして頭の後ろには釘を打ちつけ、その上に重い光背が乗っています。
 いくら太子の怨霊とはいえ、重い光背を背負ってさまよい出ることは出来ません。」

光明皇后はにっこり笑って、行信の顔を見た。

その後、行信は別の事件で容疑をかけられ、厭魅(えんみ)の罪で下野の薬師寺に流されることになる。

「厭魅(えんみ)とはヒトガタを木で作り、手をくくり、足を縛り、釘を打ちつける。
 また、鬼神に仮託し、みだりに左道を行うのごとく、咒し、詛し(のろう)、もって人を殺さんとするものなり。」

法隆寺は、大僧都・行信の作った「聖徳太子の怨霊封じの寺」だったのだ。

 (梅原猛:隠された十字架(法隆寺論)新潮文庫より抜粋)


聖徳太子の謎

密教とは、隠されている秘密を探ること。
探ることが出来ると「咀嚼力」が身に付く。

世界に無料の情報はあふれているが、その情報の奥深さを知ることが「咀嚼力」を増すことになる。
知らない情報はたくさんあるが、その中から何が重要かを探ることも、大切な要素だ。

最も重要な情報は「戦争」の中に隠されている。
かつて「失敗の本質」という本がベストセラーになった。
これは日米の認識の差、戦略と戦術という考え方を教えてくれる本だった。

日本を分ける最初の内戦は「物部守屋と蘇我馬子」の戦いだった。
神道と仏教の争いといわれているが、権力争奪戦だったのかもしれない。

そこに参戦した蘇我氏側のホープが14歳の厩戸皇子だった。
彼は木に仏像を彫り、四天王に祈った。
ここで戦局が一変し、太子は勝利を得た。

ここに四天王信仰が始まり、祈願の折に約束した「四天王寺」が物部守屋の屋敷跡に作られた。

彼の真実の姿を求めると、密教(真実は誰かのコトバではない)の世界に参入できるのだ。

その向上した咀嚼力で、現代を見ると「真実」が見えてくるかもしれない。