真言宗の儀式には目隠しをすることがあります。
チベットのカーラチャクラ・イニシエーションでも目隠しを儀式化していました。
密教の儀式ではなぜ目隠しをさせられるのでしょう。
私たちはつい目の情報に左右され、他の感覚器官を使おうとしなくなりがちです。
情報を眼から取らないようにするために、目隠しをするのではないでしょうか?
また本堂を薄暗く造って、眼に見えないものを見ようとするのではないでしょうか?
密教の儀式ではなぜうるさいくらいに、太鼓を叩いたり、鈴を鳴らしたりするのでしょう。
耳の情報を大きな音で遮断し続けると、そのうちに音が聞こえなります。
40分以上太鼓を叩いて護摩を修しているうちに、静寂が訪れ、
その後何処からともなく話し声が聞こえてきたことがあります。
芭蕉が「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」の情景と同じ感覚です。
外部の音はうるさいのに、意識が内部の音をとらえるのです。
真言密教では香りを多く使います。伽羅の香り、塗香の香り、抹香の香り、
原初的な嗅覚は無意識を揺り動かすのです。
現代ではアロマテラピーとして活用されています。
原始的な感覚による変容ほど、意識の変容は大きいのです。
職人芸は眼では測れない、触感から生じます。
コンマ何ミリの金型を、職人芸は手触りで覚えるのです。
鍼灸師の針を打つ場所も感覚の賜物でしょう。
気功などの修行の結果、気の感覚が鋭くなると、
皮膚の呼吸の感覚が分かるようになります。
すると手をかざすことで、触覚を超えた気の感覚が身に付くようになります。
物質の気配が分かるようになるのです。
意識(無意識)は言語を司る左脳と、直感を司る(神仏とつながっている)右脳が影響しています。
意味不明なマントラの熱心な読誦は、左脳に刷り込まれた論理的思考法を排除します。
また呼吸に意識を置いて三昧の境地に至る瞑想法も、
意識のフィルターをはずし直接無意識(虚空・光)と対面する最高の方法です。