私たちは、死ぬと肉体を離れ、意識体(魂)だけになります。
私たちの意識は、肉体に縛られている事がわからないために、多くのカルマを作ってしまいます。
肉体の束縛から離れることを、解脱と言います。
密教では生きているうちに(意識が身体内にあっても)解脱が得られると考えています。
私たちの身体は如来の身体(五分法身)なのです。
その如来の身体を磨くために
@まず戒を守ります。身口意で作る、三業の悪を止め、善を修するのです。
A次に瞑想して、散乱する心を防ぎます。
呼吸に意識を置き、思考(左脳=論理脳)に引きずられている意識を丹田に戻すのです。
B次に肉体に縛られている自分が、真実の自分でないことを知るのです。
その結果として
C解脱があり、最後には
D解脱を知る心(如来知自心)が用意されているのです。
空海は『それ仏法、遥かにあらず。身を捨てて、いずく何んか求めん。
迷(めい)・悟(ご)、我にあれば発心(ほっしん)すれば即ち至る。
明(みょう)・暗(あん)、他にあらざれば、信(しん)・修(じゅ)、
すればたちまちに證(しょう)す。』 と述べています。
《仏法の教え(ブッダ・ダルマ)は、どこか遠くにあるものではなく、あなたの心の中にあるのです。
迷いも、覚りも自身の心によるものですから、此岸の価値観から離れ、
彼岸の価値観に至る発心をすればすぐに覚れます。
覚りという光や、無明という闇は自分の心の中にあるので、信じて修行すればすぐに覚れます。》
この三番目までの悟りの階梯を、三学と呼び、戒(かい/シーラ)、定(じょう/サマーディ)、慧(え/プラジュナー)と言い、
仏教の主要修行体系になっています。
真言密教では塗香により身を清めるときに、
『五分法身を磨耀(まよう)すと想え、戒定慧(かいじょうえ)、解脱(げだつ)、解脱智見(ちけん)なり。』と唱えます。