浄土真宗の師・親鸞は「浄土に行くときが最高の喜び」と人々に伝えていました。
面従の弟子(そばにいて仕えている弟子を面従の弟子という)唯円は
あるとき先生に聞きました。
「先生、教えをうかがっていて、浄土はさぞかし素晴らしいところと思っているのですが、
どうしても行きたいと思えないのです?どうしてなのでしょう?」と質問しました。
この質問に親鸞は「唯円、お前もか!!」と答えたのです。
「いや〜、実は私も行きたいとは思えないのだよ。」と言うのです。
浄土に行くとは、死ぬということです。
死んだ後に、魂が肉体から抜け浄土に行くのです。
死が怖いというのは社会的価値観です。
いつかは死ぬ人生を見つめて、もとの故郷である浄土に帰ると考えるのがうれしいと考えるのが、
宗教的価値観です。
「行きたいと思えないのは、社会的価値観に洗脳されている(煩悩を持っている)証拠なんじゃないかい。」
と親鸞は言うのです。
このような、実直なコトバは宗教的価値観を学んでいる途中の人には誤解されやすく、
三代目の蓮如上人はこの言葉の書かれた「歎異抄(たんにしょう)」を隠してしまったのです。