最も難しい修行…懺悔(さんげ)  
 


真言宗では最初に懺悔(さんげ)を唱えます。
自己を正当化する人間に最も難しい修行が、この懺悔(サンゲ)の修行です。

   ①無始(むし)よりこのかた、

   ②貪瞋痴(とん・じん・ち)の煩悩にまつわれて、

   ③身と、口と、心とに作るところの、もろもろのつみとがを

   ④皆ことごとく懺悔(さんげ)したてまつる。



いったいこれは何の意味があるのでしょう?



①無始とは、永遠に続く魂の輪廻を指します。 

これをチベット密教では「終わりのない結び目」と語り、
タロットではレムリスケート(無限大の記号の輪)と描きます。

無始の存在と宣言することで、自己意識が膨大化して、私が宇宙意識(如来意識)になるのです。
すると個人意識(自我)に対する執着がなくなり、人類の過ちは、自分(如来である)の過ちと思えてくるのです。
 


②貪瞋痴とは、貪欲、怒り、愚かさの総称です。これを三毒と呼びます。

自分の心が、三毒にまみれていると、あなたの眼鏡が曇っていて、この世が地獄に見えます。

あなたの思考傾向は、前世の業(カルマ=行為)がもたらしたものなのです。
この世に生まれてきたのはその業(カルマ=行為)を解消するためなのです。

相手の方が好意でアドバイスしていることも、三毒で目が見えなくなっていると、悪意に見えてしまうのです。



③空海の懺悔?

「聖人の薬を投げること、機(器)の深い・浅いに従い、賢者の説教するか、黙するかは、時を待ち、人を待つ。
 我いまだ知らず、けだし、言うべきを言わざるか、言うまじければ言わざるか、言うまじきを是を言えらん。
 失(とが)、智人(諸仏)断りたまえまくのみ。」

天台宗の最澄に本を貸さなかったばかりに、起こった失敗の反省文のように思えます。



仏教でのサンゲは他者から問い詰められる反省とは意味が異なります。

常用経典では三禮のさいに「自帰依佛、當願衆生、体解大道、発無上意」と唱えます。

意味は、「自ら佛に帰依したてまつる、まさに願わくは、衆生と共に、大道(覚りの道)を体解(肉体で理解)して、
宇宙意識(如来意識・キリスト意識)を起します。」となります。


仏教は、「でたらめ」、「あきらめ」、「いいかげん」の教えです。

「努力する人に幸いが来る」という教えではありません。
「無分別智=でたらめ=禍福無門」の教えです。


また、「生を明らめ(諦め)、死を諦め(明らめ)るは、仏事一生の大事なり。」という・・・知ること(体解)が重要だと考える教えです。

また、生に偏らず、死に偏らず・・・中道(いいかげん)を求める教えです。


最初に、「無始よりこの方」と唱えることで、人類意識になります。
それが人類の罪を購って死んだイエス・キリストの宣言のようにも聞こえます。

イエスは、彼を殺すため槍を射した百人隊長ロンギヌスの無明(無知)に対してさえ、哀れに思ったはずです。
そうなると、この世は幻想(マーヤ)となるのです。
すると、生と死が逆転し、一切が顛倒・夢想という般若心経の教えに繋がるのです。

努力してもダメだという教えが、懺悔という絶対他力の教えを導くのです。

詳しくは、親鸞やイエスの教えと比較してみてください。