大菩薩峠の秘密
2009年11月甲府の大菩薩峠と嶺(2057m)に登り、帰路、栖雲寺・景徳院という
武田家由来の寺院に寄ってお参りしてきました。「昔清き聖(行基菩薩)が、この嶺の頂に立って、
東に落ちる水も清かれ・・西に落ちる水も清かれと祈って、
菩薩の像を埋めておいた。」中里介山の大菩薩峠の小説はこの文で始まります。
大菩薩の名称は甲斐・源氏武田家の祖:新羅三郎義光が神部岩に向かい
「南無八幡・大菩薩」と祈願したからだとも言うのです。
また神部神社の十一面観音像が祀られていたからだとも言います。
大菩薩峠と大菩薩嶺の間にある、神部岩と雷(神成)岩の名前は、
日本武尊が東征の折、一夜仮泊した言い伝えによるとされるのです。大菩薩峠は、100年前まで奥多摩・青梅を経由して甲府と江戸とを結ぶ
「青梅街道」の最大の難所でした。甲州街道は、表の道で、この大菩薩峠を通る道は、足抜けした遊女や、凶状持ちなど、
手形を持っていないものも抜けられたとされる。
裏道によって救われる、やさしい時代だったのかもしれません。「上求菩薩、下化衆生」の書いてある介山供養塔は山の稜線に立っていて、
富士山が美しく輝いていました。
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天目山:栖雲寺は1348年開山の臨済宗・建長寺派の寺院。
寺宝の「虚空蔵菩薩像」はネストリウス派キリスト教(景教)の聖人画像ということが判明、
2010年ニューヨーク・メトロポリタン美術館での展示のため修復中という。
このお寺の石庭は巨石文化の名残を残す一大・パワースポットだった。
巨石が並んでいる山肌に、木々を植え禅宗風の見事な庭園を作っているのです。
巨石には名前が付けられ百字石・鶴石・霊石泉・梵音洞・鯉魚石・須弥山・金剛窟・
十六羅漢・三尊石・星座石群などと名付けられています。
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天童山・景徳院:1583年開山・・・武田勝頼公の菩提寺。
信長の連合軍・四千騎に攻められ、天目山に逃れる。
姫が淵:貞節を重んじ腰元数人が身を投げた淵。
生害石:勝頼(37歳)北条氏夫人(19歳)信勝(長男16歳)が自害し歌を残す。
勝頼「おぼろなる月もほのかに雲かすみ、晴れて行方の西の山の端」
夫人「黒髪の乱れる世ぞ果てしなき、思いに消ゆる、露の玉の緒」
信勝「あだにみよ誰も嵐の桜花、咲き散るほどの春の夜の夢」
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認識が世界を創っていると・・密教では考えます。
私が「大菩薩峠」に小旅行をすることで、疑問に思っている秘密が解明されつつあります。
すべてに秘密が隠されている・・この洞察力を鍛えましょう。
(1)新羅三郎義光
この名前を知ることで、武田騎馬軍団が
新羅出身の騎馬民族の末裔である可能性が浮上してきました。新羅には花郎道(ファラン)という武士道精神が栄えていました。
新羅と伽耶には、中国や高句麗にはないスキタイ式の積石・木郭墳の墓が作られています。
歴史学者・江上波夫氏は「古代日本の王朝は騎馬民族である」という説を唱えています。私たちを縛っているコトバ「日本人」とは何を表すのでしょうか?
(2)神部岩・神成岩
古神道は神奈備信仰であり、磐座信仰の寺がすぐ下の栖雲寺にもあったことに驚きました。
その寺の秘仏が、ネストリウス派キリスト教の聖人座像で、フビライハンの頃のものなのです。
武田家の出自が想像できます。
(3)不二・八不の偈
富士山を見ながら考えました。
富士はかって不二山と呼ばれていました。
不二とは仏教の「無分別」の思想であり、般若心経では
「不生・不滅:不垢・不浄:不増・不減」と唱えられます。龍樹菩薩はこれを「八不の偈」とされている。
この偉大な思想のシンボルとしての「不二」に向けて合掌をした。
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