坂本龍馬とシュタイナー

偶然NHKのテレビ「坂本龍馬」を見た。

今日は幕臣「松平春嶽」のところに千両の融通を頼みに行くシーンだった。

春嶽の横には肥後藩士・横井小楠がいて、デモクラシーを説く。
龍馬もプレジデントがデモクラシーを・・・と知識を披露する。

ところが武田鉄矢の「勝海舟」は、いままでの「パラダイム」が滅びていくときには・・・
反対側の見方もあるのだ、と「福山・龍馬」に教えを伝える。


いまの時代は、このときに受け入れた「デモクラシー」が滅びていくときだとの認識が
「NHK」にはないようだ。

タイやギリシャで起こっている暴動(貧富の格差)の原因を、追求したことがあるのだろうか?

国家側に立って見れば、いままでのパラダイムを保持しようとする
「デモクラシー絶対賛成」の立場しか見えてこないのだろう。


人智学者:ルドルフ・シュタイナー(1861ー1925)は、
民主主義(デモクラシー)によって人々の多様な意見が汲み取られ実現されていくなどという、
幻想など持ち合わせていなかった。

このシステムが実際には既存の経済上の利益を代表する者たちによって議席が独占され、
新しい社会形成を訴えるものを法的に拘束する機能しか果たさないということを
彼は繰り返し指摘した。

議会制民主制を導入した「西の結社」の考えは、こうである。

個人として尊重されたい人々は、自分たちの意見が反映されていると信じ込むことのできる
システムが作られなければならない。

それには代議制(デモクラシー)がふさわしい。

人々には段階的に参政権が与えられることによって、
あたかも自分の意思がそこに繁栄されているかのような、幻想を抱かせるのだ。

代議制とは、近代的な錬金術である。

一枚の投票用紙はペラペラに薄められた金箔のようなものだ。
それは国家意思の形成にまで連なっているような輝きを見せる。

しかし結局のところ、集票のプロセスを通ることで、一人一人の意思は溶解し、
投票者の意思とは関係のないところで用意された型にはめ込まれる。

そこで初めて黄金の国家意思が金塊となって現れるのだ。

そこで、投票権を得た個人には、国民意識が与えられるのである。
つまり、自分たちの投票によって国家が成り立っているというイデオロギーが与えられるのである。

統治システムに参加しているという感覚によって、この国家を支えているのは自分たち「国民」なのだ、
という自覚が形成させられるのだ。

近代人は参政権と引き換えにいくばくかの「福祉と保護」が与えられ、
その見返りに「納税と兵役の義務」が課せられるのである。

これが議会制民主主義の影の側面である。

人々が国民意識にとらわれると、国家の枠を超えて精神が自由に動くことは難しくなる。

利害の対立が生じると「○○人」の枠組みに閉じこもって、
防衛的あるいは攻撃的な意識状態に駆り立てられる。

その結果、国内的には、単純明快なスローガンの下で一致団結が可能となる。

本来多様であるはずの意見が、掛け声一つで方向付けられるようになるのであるから、
これほど便利は統治システムはない。

国民国家のイデオロギーがかもし出す最高のうまみは、この統治システムを操作している結社が、
人々の眼差しから見えなくなるという点にある。

だから「オカルティズム=秘密の教え(密教)」というのである。

この結社のメンバーが、実のところ国民意識などは持っておらず、国境を軽々と越えて、
グローバルなネットワークを結んでいることが国民にはまったく見えない。

この世に存在する最高位の権力主体は国家だと思い込まされているので、
国家を超えたものを想像できなくなるのである。

(『シュタイナー入門』 小杉英了・ちくま新書/165ページ)

いま普天間基地問題では、鳩山由紀夫さんが、
日本という国家の総理大臣が権力主体でないという事実を明らかにしてくれている。

知ってか、知らずか・・国家の真実が裏に透けて見えてくるのだ。

国家意識を超えたものは、宇宙船地球号の乗組員としての自覚、
地球人意識を越え、宇宙意識(無分別智)であるべきだ。

それを真言密教では、毘廬遮那意識=我は大日如来(宇宙意識の持ち主)である・・と宣言するのだ。

コトバが連鎖を断つ・・・千葉県人・・・日本人・・・地球人・・宇宙人・・・。
名前をつけるとそのような存在がイメージされる。

これを仏教では名色(ナーマ・ルーパ)の原理という。

これは幻想である。

真のリアリティ(現実)は、カオスのように、すべてのものが相互依存して生起し続けている
縁起の状態=空(無境界)なのだ。