臨死体験(内的体験)


人の体験こそ、その人の心を形作る情報です。

外的体験をすることにより内的体験が始まりますが
同じ行動をしているからといっても内的体験が同じであるとは限りません。
人により今回の人生に果たすべき宿題が違うからです。

25歳のときにヨーロッパの山を登り、中近東・インドでヒッピー生活をしました。
その後48歳からインド・チベット・ネパールを巡り未来の価値観を見出したのも、
以前の体験があったからでしょう。

深い内的体験をするためには、現代の日本の価値観にとらわれない
自由な心(認識)が必要になるのです。

おばあちゃんの記憶

思い起こせば、同居していた父方のおばちゃんの思い出が今の私の宗教性を作ってきました。

おばあちゃんの生まれは浅草の神主の娘でした。
私は5歳まで神田で住んでいましたので、孫の私を実家に連れて行くたびに、
浅草の仲見世で甘いものを食べさせてくれました。
この甘やかされ愛された経験が、観音様や神社に惹かれていった理由なのでしょう。

孫の私を溺愛していたおばあちゃんがあるとき鬼のような形相をしたことがあります。
小学校3年のとき、学校に持っていったお金のおつりをくすねて、食べ物を買ってしまいました。

私は母親に問い詰められても、知らぬ存ぜぬで通していました。
母親と相談していたおばあちゃんがおもむろに神棚から何かを取り出して、私に差し出します。
「飲んでごらん、うそをついていたら血を吐くからね!!」

差し出された小さな紙(神社のお守り)には不思議な読めない赤い文字が押されているだけです。
「飲んじまえこんなもの!!ただの紙じゃないか。」

そう思って飲もうとしたのですが、
血を吐いて苦しんでいる姿が目の前にちらつきます。

紙をじっと見つめていると、一層そのヴィジョンが浮かび上がります。
ついには、飲んだあとに血を吐いてしまうヴィジョンに変わってしまいました。
恐怖が全身に広がりました。
「ごめんなさい・・・!!」

泣き崩れた私は買い食いをした事実を母に明かしました。
「お札やお守りには何か不思議な力がある。」
そう信じさせる出来事でした。

その、おばあちゃんが庭石につまづいて転んだのは77歳の時です。
それから寝たきりの生活が始まり、すぐに脳軟化症の症状が出てきました。
それから4年間、母親の介護の苦労は並外れたものでした。

病人を抱えた家庭生活は、他の家族も病人のように暗くさせます。
そのおばあちゃんがある時「おかしいね〜。赤い糸は見えるんだけどお迎えが来ないんだよ〜。」
と何気なく話しかけてきました。

「また、おばあちゃんが変なことをいっている・・・・。」
母親とそんな話をしてから2〜3日でおばあちゃんは息を引き取りました。

それから25年ほど経ったある時、仏像の写真集に五色の糸を持った阿弥陀如来があることを知りました。
アッ・・・。おばあちゃんはこのことを言っていたんだ。

ご飯を食べてすぐに「ご飯を食べさせてくれないんだよ〜。」と叫んでいたおばあちゃんですが、
若いときにお坊さんから聞いた話は、崩れかけた脳の奥に残っていて、
死ぬ間際にその記憶が出てきたのでしょうか?
それとも人間は誰でも、そのような体験をしてあの世へ赴くのでしょうか?

臨死体験

高校三年の秋、中間テストのあとに平日の休みがありました。
山に夢中になっていた私は、一人で丹沢・水無し川本谷に沢登りに行きました。

小さな滝を次々に越え、秋深い静かな沢筋を登りつめると最後の大滝20メートルです。
中央水の流れている部分を避け左側を登りつめると、滝の上部が見えかかりました。
その瞬間「落ちた!!」という意識と共に視野は暗転し、
次々と過去の情景が猛スピードで逆転するのです。

フッと気が付くと、5〜6メートル下の岩をつかんだままぶら下がっていました。
慌てて足場を探し、一歩一歩滝の落ち口まで降りました。
そこでへたり込んだとたん、恐怖が押し寄せがたがた震え始めました。
30分も蹲っていたのでしょうか、落ち着いてから右側の藪を木の枝を頼りに登ることができたのです。

このフラッシュバック体験は時間の感覚は、世間の言っていることと違うということを学びました。
臨死体験は一瞬だけど、とても長い時間感覚だったのです。

またある秋の時、谷川岳・マチガ沢に単独で登りました。
側壁を登るルートを登っているうちに雨になってきました。
ぬれる岩はすべるだけでなく視界を失います。

どこを登っているのかもわからなくなり、時間がどんどんと過ぎてゆきます。
何でこんな天気のときに!!

反省が頭をよぎり遭難の恐怖が押し寄せます。
下半身はずぶぬれになり手は凍えついてきました。
今晩はビバークかな?

その時突然、自宅でコタツに入っているビジョンが見えたのです。
その映像は、見ていると楽しい一時なのです。
会話が弾みミカンを食べました。

そこでふと我に返ったのです。気が付くと岩場の片隅でうずくまっていました。
このままヴィジョンを見ていたら凍死するかもしれません。
気力を振り起こし、また岩を登り始めたのでした。

このような臨死体験の話は、その後立花隆さんの本、臨死体験を読むまでは
人に話したことはありませんでした。

デジャビュー・既視感

中学生のころ自宅横の道路を東西にバイクに乗って、おっかなびっくり走る夢を見ました。
27歳のとき銀行員となり、仕事のバイクを運転するのが下手なので自宅のそばで練習しているときに
同じ情景を中学のときに見ていたことを思い出しました。

26歳のとき(1973年)ロンドンで見た不思議な夢は屋上のところから見る消防自動車でした。
それから7年して父親が胃ガンで入院しました。
おなかを切って中を見て医師は一言私たち家族に告げました。
「手遅れでしたので、なにもせずに閉じました。」

母親と相談し、父には胃の悪い部分は切除したということにしました。
4〜5日後長男である私が父親に「うそをつく」役目を負わされました。

ベッドに向かうと空になっていました。
近くの看護婦さんにうかがうと「小林さんは屋上よ。」との返事です。
どんよりした曇り空の金網で囲まれた屋上には、何人かの患者さんがタバコを吸ったり、話をしていました。

父親を探すと向こうでも私に気づき近寄ってきました。
そばに来た父親の顔を見ることができずに視線を金網の下に走らせました。

その視線の先には、7年前にロンドンで見た夢の状況がありました。
驚きに夢中になりながら「手術がうまくいってよかったね。」とつぶやいたのでした。

幽体離脱

大学生のころ、駅までの道を歩いていると歩いている私の頭の上が見えました。
あれ〜っと思っていると空中に私がいるのです。

意識だけがぬけている。
意識の目が上にきている。
そんな感じでした。

慌てて元に戻ると視点がまた肉体の視点に変わりました。
そこは交通事故が多発する場所で、石の観音像が祀られている場所でした。

大麻の体験

1972年秋、中近東を陸路で横断しました。
その際、アフガニスタンでの体験です。

イランから列車に乗りバスに乗り継いでアフガニスタン第二の都市ヘラートにつきました。
砂漠の中の都市ヘラートは文明とは程遠くマルコポーロの時代のままのようでした。

当時は旅行者の間で大麻がはやっており、安宿に着くと今晩のパーティーが決まりました。
イスラムの人々は禁酒をしている代わりに、大麻で気持ち良くなるのです。

セッションは縦笛を吹くF氏のリードで始まりました。
回し飲みをしているパイプが何回か回る内に外の発電機の音が変化してきました。
ドコドコと言うエンジン音がドラムの音に聞こえてくるのです。
リズムを打って聞こえてきます。

そのうちに縦笛で「コンドルが飛んでいる」を吹き始めました。
タリラ・ラリ・ラリ・ラリラ〜。ラリラ〜。ラリラ〜。ラリラリラ〜。

突然高音部の音が光として見えて来ました。
そして稲光のように頭頂から入って会陰を貫きました。
身体は地球の上に座っていて、貫いた光の背景は宇宙なのです。

大麻が幻覚を見させたとずっと思っていました。
しかし同じような体験をしたヒッピーたちの本を読み、
自我を外すと宇宙意識・神意識・集合無意識の中に入るということを知りました。

幼稚園での気づき
30歳で結婚し5年間子供が授からなかったので、病院やお参りに行き長男を授かりました。
その長男が5歳になったとき幼稚園の父母参観に行きました。

幼稚園の小さい中庭の奥にはジャングルジムがありました。
我が子を探す目はそのジャングルジムの上で立ち上がっている息子を発見したのです。

「危ない!!」近くに寄って下りてくるように言おうと思いました。
万一のことを想像したら震えがくるのです。
かわいい子供が落ちる!!
でも今助けてもどこかで交通事故に遭うかもしれない。

理性の声が聞こえてきて中庭を駆け抜けてジャングルジムの下に行くのは思いとどまりました。
でもなぜ落ちないのだろう?
心配でしょうがない、この気持ちはどうしたら良いのだろう?

そう考えた時にすべての答えが一瞬にしてやってきました。

私は谷川岳の1000メートルの岩壁を登っていました。
でも自分の力で登っていると思っていました。
山から下りてくるとおばあちゃんが「危なくなかったかい?ご仏壇にお線香を上げておいたよ。」
と言葉をかけてくれましたが、「ウン・・・・。」と言う程度で
父母の心配など気にしたことはありませんでした。
忠告の言葉は右から左へ流れていったのです。

この時に岩から落ちそうになった何回かの体験がフラッシュバックしたのです。

「運が良くって落ちなかった。」
それまではそう思っていました。
「そうではない、生かされているのかもしれない?」
「私にできることは、子供の無事を祈ることしか出来ないのかもしれない。」と気づいたのです。

そしてこの気づきを与えるために子供を何年もかけて授かるようにしたり、
岩に登り危険なことに挑戦させたりしたのです。

この幼稚園の体験以来、いま生かされているからには
「私には何かやるべきことがあるはずだ」と思い始めたのです。

倍音声明と宇宙音のメカニズム

ソニーの上席常務・天外伺朗さんのマハーサマーディ研究会でのことです。

成瀬正春先生・企画の洞窟での倍音声明を体験しました。
ア・イ・ウ・エ・オを各人が勝手に唱えると母音の合唱となります。
50人の声が洞窟内にこだまするとA・U・M(オーム)の音になるのです。

しばらくすると高音の天使の声が聞こえてきました。唄を歌っています。
不思議に思いながらも、声を聞きながら体内のバイブレーションを感じていました。

セッション終了後、感想のときにその話をすると
「今までに天使の声を聞いたことがあるの?」と天外さんに言われてしまいました。
「いや〜、ありません。」そうは答えましたが「あれは絶対に天使の声だ。」と今でも思っています。

音は不思議なものです。
電車内の雑踏で着メロ(着信音)が聞こえることがあります。
慌てて携帯を取り出しても鳴った形跡がありません。
バイブレーションを感じて鳴ったという意識が音を再現するのです。

最近では護摩修法の際そばで友人が大太鼓を叩いています。
不動明王の真言を唱えながら三十分も叩いていると、やはり音が聞こえてくるのです。

大太鼓の音が一瞬静かになり、周辺で何かの気配を感じるようになります。
そして音や声が聞こえてくるのです。

私は芭蕉の「静けさや岩に染み入るせみの音」を思い出しました。

この句の状態は本当はうるさいのです。
でも静けさがやってくるのです。
多分このときに右脳が活性化するのではないでしょうか?

一般に音の流れは音=耳=感覚脳=記憶脳と流れます。
しかし記憶脳から直接耳に音が伝わる事ができるのです。

密教では私たちの意識の奥にはアーラヤ識アマラ識という
人類普遍の意識・集合場所があるといわれています。

ですから普遍意識とつながれば記憶脳からどのような情報でも入ってくると考えられるのです。

空海は「宇宙は本箱である」と言っています。
虚空蔵求聞持法とは宇宙の音を聞く修行法なのでしょう。

マハ―サマーディを実践した現代のヨガ行者、パラマハンサ・ヨガナンダは
「創造の波動オームとして宇宙に鳴り響いている宇宙原音に意識を合わせたヨギは、
 その音を直ちに自分の理解できる言葉として聞くことができる。」と述べています。

深い瞑想に入ると声が聞こえてくるのは、このような現象なのでしょうか?

セドナでのスウェット・ロッジ

     

1999年1月アリゾナのセドナでマハ―サマーディ研究会主催のスウェットロッジに参加しました。
四つんばいでテントに入り、真っ暗な闇の中におじいちゃんである石が運ばれ、
セージの葉が撒かれると赤い星々が出現しマクロコスモスが出現します。

テントは母親の胎内です。
汚れた身体を蒸気の羊水に浸かって、再び生まれ変わるのです。

       山の上に現れたフェニックスのような雲

この体験をした夜、夢を見ました。
さまざまな夢による情報が与えられたあとに、どこからともなく声が聞こえ、神が降りて来ました。
そして一言「おまえのためにこの旅行は企画された。」と宣言しました。

あまりの感激に大声で泣き始めた私は、自分の泣き声で目がさめました。
夜中の3時でした。
夢を見ていたことを思い出し、久しぶりに泣いていたことを思い出しました。
この時に「男の子は泣いちゃいけないんだよ。」と言われていた鎧をはずすことができたのです。

実はそれまで「お坊さんにならないか?」と友人に誘われていました。
でもなぜか「いや」でした。
この時にわかったのです。
えらいお坊さんになんか成らなくてもいい。
昔、5歳の私は「泣き虫坊主」と呼ばれていました。
えらいお坊さんにはなれなくとも一緒に泣いてあげられる、泣き虫坊主には成れるんだから。

この出来事で高野山に行く決心ができたのです。

その朝はバスに乗りホピの岩絵を見に行きました。
バスの中で参加の皆様に昨晩の体験を報告しました。
そして席につくと離れた席にいた、前日より気になっていた女性に声をかけ
何気なく手を握りしめてしまうのです。
心が隠せなくなっているのです。

そのまま外を見ると空の上の雲にこれから行くホピの岩絵が大きく浮かんでいます。
2時間以上のドライブで昼食になりました。
食事が終わってバスに戻り雲を見上げると、そこにはもう何も映っていませんでした。

ホピの岩絵は、神を思わなくなった人類の危険を説いています。
私にはその破滅のときが近づいているように思えるのです。

三浦半島でのスェットロッジ

アリゾナでスェットロッジをした年の9月、ネイティブ・アメリカンの祈祷師(メディスンマン)
セコイア・トゥルーブラッドさんが日本にきて三浦半島で儀式をしました。
その際運転手兼坊主として、少数の人と共にお手伝いに参加しました。

準備は火曜日と金曜日にする予定でした。
用意しなければならない岩や薪も、火曜日に簡単に周辺で手に入り、
無事三浦半島の断崖に突き出た岬の現地に到着しました。

まず場に塩を撒き真言宗の儀式で結界を張りました。
そのあとセコイアさんがネイティブのやり方で祈りを上げていました。

                     


気づくと後ろの電線に海鳥が並んで儀式を見ているのです。
40分ほどの儀式が終わると見計らったように、曇っていた空から雨が落ちてきました。

お手伝いをしない2日間は大雨。
金曜日にはうそのようにからりと晴れてしまいました。

そのときの儀式の際、スピリット(精霊)が通るからまたがないようにと言われている、
ロッジの中央に光りの流れが写っていた写真はマハーサマーディ研究会の不思議写真の筆頭でしょう。