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まんだらや 小林宗次郎


小林宗次郎 (宗峰-しゅうほう)

1947年7月22日 東京・神田生まれ
祖母は浅草の神社の神主の娘のため、浅草寺や神田明神に親しむ
1965年秋 神奈川県丹沢にて滝より滑落/臨死体験
1972年〜2年間 ヨーロッパ・北アフリカ・中近東・インド・ネパールを登山・放浪
1987年春 子供の姿を見て神体験
1995年春 サイババ・アシュラム〜ブッダガヤ・ラダック・ネパール訪問/現地の精神性に共感
日本語教師としてネパール・パタン市に滞在
1996年 チベット仏像、曼荼羅、法具販売の「まんだらや」を開始
ヴィパサナ瞑想10日間を体験  氣マガジンに旅行記を連載開始
1997年 「アジアの仏像と法具」を国際語学社より出版
1998年 ツアー「ネパールの祈祷師を訪ねて」開始
他に「チベット仏教瞑想ツアー」「ブータンの春祭り・パロチェチュ」などを実施
1999年6月 神戸常光院・山崎泰廣先生の元で得度
高野山・常喜院にて四度加行開始
2002年10月 高野山にて松長有慶先生より伝法灌頂を受け阿闍梨となる
2003年1月 インド・ブッダガヤにてチベット・ダライラマ14世よりカーラチャクラの灌頂を受ける


弘法大師から46代目として伝法灌頂を受けました。

師:仏教論理 岡野守也先生
気功   盛鶴延先生

チベット文化研究会 会員
マハ―サマーディ研究会 会員
高野山真言宗阿闍梨
まんだらや 店主


阿闍梨伝授記念

おかげさまで2002年10月30日高野山宝寿院において、
松永有慶大阿闍梨より伝法灌頂を受けることが出来ました。
これもひとえに妻を始めとする、友人知人のおかげと思い感謝の念と共に、
ここまでに至る過程を述べさせていただきます。

阿闍梨になるきっかけ

インド・ネパール・チベットへの旅
私は7年前、母から受け継ぎ15年間経営していた二葉工業商会を閉じ、新たな人生を始めました。
それまでの人生の中で不思議に思っていたことを解決したいと思ったのです。
日本新党に属していたことからもお気づきのように、社会全体の動きに対する関心は
動乱期の学生時代を過ごした影響でしょう。
金融問題に対する危機感から、衆議院議員の長浜博之氏を応援していました。
そこで学んだことは人の意識が変わらないと、社会全体も変わらないということでした。

日々の出来事はすべて、その社会の人々の心の反映であると感じたのです。
心がこの世界を作り出していると思えたのです。
その答えを求めてインド・ネパール・チベットの旅に出ました。

善財童子の求道の旅
ご縁というのは不思議なものです。
最近7年間の人生という旅の中で、私を阿闍梨に向わせていただいた方が5人いらっしゃいます。

最初は小林家の檀家寺である福成寺の元住職、西尾量恵さんです。
「まさか、輪廻転生を信じていませんね?」と檀家の年寄りに語りかける彼の言葉は、
臨死体験をした私にとって驚きでした。彼には仏教を考えるきっかけを頂きました。
残念ながら2年前ガンでなくなられましたので、反対意見を述べる機会は失われてしまいました。

次にお会いしたのが、ネパールで20年以上も聾唖と智慧遅れの子のボランティアをしていらっしゃる大木神父です。
元魚雷回転の特攻隊員として終戦を迎え、神父になられた方です。
当時の私は「物質的に恵まれないことは不幸である。」と思っていました。
しかし、ネパールを訪れ神父とお話しているうちに
「物質的に豊かな日本のほうが、自分が不幸であると思っている人が多いんじゃないだろうか?」
と感じるようになりました。私自身がそのようなサングラスをかけて世界を見ていたのです。
社会の価値観はそこに生活することで刷りこまれてしまいます。
日本でしか生活したことのない人は、その価値観が当たり前であると感じてしまいます。

最近10年の社会状況の変化は、日本社会の価値観が大きく揺らいでいることに起因しているのです。
私は宗教世界インド・ネパール・チベットを歩くことで別の視野を獲得することが出来ました。
その体験を整理し未来社会のビジョンを与えてくださったのが、
唯識学者でありトランスパーソナル心理学研究者の岡野守也さんです。
トランスパーソナル心理学の研究者ケン・ウイルバーの思想は私にとって密教思想の入り口となりました。
このような思想を学ぶことで、1500年前の弘法大師空海の言葉が輝いて見えるようになりました。

その密教思想の実践を求めていた私の前に現われた方が、
マハーサマーディ研究会代表・天外伺朗さん(ソニーのロボット犬・アイボの開発担当重役)です。
この研究会は「死に方研究会」です。この会の目的は死を考えながら、今の生き方を考える会なのです。
2000年2月に天外さんたちとアリゾナに行き、ネイティブアメリカンの儀式に参加した体験は、
彼らの深い宗教性を学ぶきっかけになりました。

そして五番目に現われたのが、心療内科医師・村上信行先生です。
「診察室に曼荼羅を掛けているよ。おまえも行ったら?」という親父の言葉でしたが、
病気をしないとクリニックには行けません。
鍼灸師の水流園先生のお引き合わせで、村上先生と会い息投合しました。
また目黒まんだらや主催のブータンやインドツアーにも参加していただきました。
1999年秋、村上先生が所属するホリステック医学協会の会長、藤波譲次先生が
日本密教学会で講演する予定になっていました。
ところが講演前にご病気になられ代演者として村上先生に話しが回ってきました。
講演を無事済まされた村上先生に、主催者の大阿闍梨・山崎泰広先生は阿闍梨となる修行を勧められました。
松戸に戻った村上先生は私に電話下さり、高野山での修行を共に受けることになりました。
先生との共同修行は仏教の面だけでなく、心を病んでいる人の苦しみや治療者の心得など、
さまざまのヒントを与えられることになりました。
藤波譲次先生は不思議なことに、この講演の間だけ病気となっていたのです。
その後マハーサマーディ研究会においてお会いした時、感謝のご挨拶を交わすことが出来ました。

このような人生の旅を、仏教では「善財童子の求道の旅」といいます。
歩んだその道は、献身のヨガ(大木神父)、知識のヨガ(岡野守也師)、行為のヨガ(天外伺朗師・村上信行師)
と進んでいったように思えます。

崩壊する価値観

「神なき教育は、智慧ある悪魔を作る」
戦後社会はGHQの指導により精神否定、物質万能の世界を作り出されてしまいました。
教育の現場で、宗教を語れない状態になったのです。
「損か得か」の価値観が植え付けられたのです。
現在の社会的価値観という「ものさし」だけの人々を作り出してしまいました。
このことを称して、大木神父は「神なき教育は、智慧ある悪魔を作る」とおっしゃっていました。

若い時代にイギリスでアルバイト生活をし、北アフリカや中近東・インドを旅行した経験は
、私の心をひとつの価値観にとらわれないやわらかい心にしたようです。
経済崩壊が続く現在、社会の価値観は崩壊し、人々は生きる意味を探し始めるようになると思います。
その際に、少しでも今まで学んできたことが、社会の役に立てることが出来れば幸いです。

宗教性と宗教組織
戦後タブー視された宗教性ですが、「宗教性」と「宗教組織」は違います。
私にとって、どのような組織も「機能体(他者のための組織)として成立し、共同体化(自分のための組織)していくもの」
のように思えるのです。
旧日本軍、現在の官僚組織、宗教組織、そして現在苦しんでいる企業組織も同じように見えます。

「気晴らし以外の何を人々はしているのだろう?」
「人間は考える葦である。」というパスカルの言葉の後に
「気晴らし以外の何を人々はしているのだろう?」との言葉がありました。
高校時代、気晴らしとして岩登りに夢中になっていた私は、この疑問を持ちつづけながら生きてきました。
その回答を先日やっとインドの哲学書「バガバットギータ」の中に見つけることが出来ました。

行為のヨガ(神と一体化しようと思う)に専心した者は、行為の結果を捨て、究極の寂静に達する。
専心しない者は、欲望のままに、結果に執着して束縛される。
(5・12)

同じことをネイティブ・アメリカンは、「No,judgement,Only,acceptance.
(創造主を思って、善悪の判断をせずに、すべての出来事を受け入れよ!)」
と言っています。

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