パラマハンサ・ヨガナンダのコトバ・2

罪とは無知

第一章


「罪とはなんですか?」 弟子が尋ねました。

「罪とは間違いのことです。それは無知から生じます。」とヨガナンダは答えました。

「無知とはなんですか?間違いとはなんですか?」

「無知とは魂の真実に対する意識が欠落していることであり、そのために夢に過ぎない幻想と魂の真実を取り違えることです。

 間違いとは、そうした誤った認識にもとづいてなされる行為のすべてです。」

「罪とは、神の戒律を破ることではないのですか?」と弟子が聞きました。

「いいえ、そうではありません。でも、なぜ神はこうした戒律を人間に授けたのだろうと考えてみてください。

 それは気まぐれで作られたのではありません。

 もし人が、罪を神の戒律を破ることだと考えるなら、神の怒りと厳しい裁きという思考が引き起こされます。

 しかし、神は私たち自身なのです。私たちは神の子なのです。

 なぜ神が私たちを裁かなければならないのでしょう?

 いや、実際には、私たちを裁いているのは、自分のなした何かを許しがたいと思う、自分自身なのです。

 もし罪とは、私たちの間違い、あるいは誤った認識だと理解するなら、その間違いが修正可能なのは明らかです。」

とヨガナンダは答えました。

そして、彼は師、ユクテスワについて語りました。

「師、ユクテスワは『過去は忘れなさい、過ぎ去った人生はすべての人にとって、薄汚れて、多くの恥辱に満ちています。

 人間の行為はしっかりとした錨で神とつながれるまでは、決して頼れるものではありません。

 しかし、もしあなたが、いま霊的な努力をしているのなら、将来に起きることはすべて良くなっていきます。』」
とよく言っていたものです。

第5章


「『欲望を遂げるとき、そのすべてははかなく消えていく。』

 欲望で心が乱されたなら、いつもこの真理を思い出しなさい。」


第6章


「犯した間違いと自分自身を、決して同一視してはなりません。

 あなたは神の子です。神との永遠の絆を結ぶ権利を主張しなさい。」


第7章


「最悪の罪は、自分自身を罪びとと呼ぶことです。

 なぜなら、そう考えることで、あなたは心の扉を開けて罪を招き入れるからです。」


第8章


「人間的制約の中で、自分自身に判断を下すことは、あなたの内なる神への冒涜です。」

   (佛:絶対他力)


第9章

「決して自分の欠点に焦点をあわせ続けてはなりません。

 そのかわりに、自分のしてきた善きこと、世界中にある善きことの記憶を呼び起こしてください。

 生まれながらに持つ完全さに、自信を持ってください。

 そうすればあなたはきっと、神の子としての永遠の本性を思い出すことに夢中になるでしょう。」


第11章


パラマハンサ・ヨガナンダはいいました。

「教会に通うキリスト教徒たちは、『我々はすべて罪びとである。』と(ほとんど自慢ではないかと思えそうな)大声でよく言います。

 ところで、言っておきますが、キリスト精神(Christianity)と私のいうキリスト教(Churchianity)には違いがあります。

 キリスト精神はイエスの最初の教えです。
 キリスト教とは、追従する者たちがその教えを元に作り上げたものです。

 イエス・キリストはかって十字架にかけられましたが、その教えはそれ以後、自らをキリスト教徒と称する無数の人によって、
 いわば日々、十字架にかけられ続けているのです。

 なぜ自分自身を罪人というのか?

 もしそういうことが、神を前にしての卑屈さではなく、神の偉大さのためなのであれば、
 時には謙虚さの名において、良いことかもしれません。

 しかし、どうして、否定的な思考や、可能性を限定する世界にとどまるのですか?

 もし、泥に埋まった価値あるものを発見したいなら、たとえ泥土を掘っている最中でも、
 その価値あるもののことを思うのではありませんか?

 もし汚い泥という否定的なものに集中するなら、そのうち掘っている目的を失い、探すのを諦めてしまうかもしれません。」

 (佛:煩悩・即・菩提・・・泥土は煩悩、煩悩があると知れば菩提(価値あるもの)を求める)


第12章


「決して自分の失敗を数えないように。

 ただ神への愛が深く誠実であることを見なさい。

 なぜなら、神は不完全さを気にしてはいないからです。

 神が気にしているのは、あなたが神に無関心でいることです。」

  (佛:発・菩提心・・・覚り=光明を得ようという決意を起こしなさい)


第13章

「たとえ黄金の聖像が黒いベールで覆われていたとしても、その聖像を黒いといいますか?

 いいえ、ベールの下では聖像は変ることなく金色に輝いています。

 人の魂を覆っている、無知という黒いベールが、もし取り除かれたら、同じことが起きます。

 あなたは自分自身の神なる本性という、変わることのない美しさを再び発見するのです。」

  (佛:本性清浄・煩悩客塵=如来蔵
   ・・・社会的価値観に染まった心の部分は、客のようなもので、その奥には光り輝く如来のような私がいる)


第14章

「かって有名な女性伝道師の主催するミサに行きました。説経の途中で、彼女は突然大声で言いました。

  『皆さんはすべて罪びとです!ひざまずきなさい!』。

 私は周囲を見つめていました。大会衆のなかで、立ったままでいたのは一人だけでした。

 罪びとであるという彼女の宣言を、私は受け入れなかったのです。」

   (佛:自帰依佛=自らが主体的に佛を選択する。)