アルピニスト 野口健

山小屋で野口健の本を何冊か読みました。

外交官の父親とエジプト人の母親の間に生まれた彼は、帰国子女として反抗し、
ケンカに明け暮れた不良時代があります。

その彼を立ち直らせたのが「冒険家・植村直巳」の本でした。

                 

過酷な山登りは、死と直面する体験をもたらします。
この出来事が、都会で汚れた(損か得かの)魂を、純粋にさせます。

「まだ、ここ(この世)にいたい。」という思いを強くさせるのです。

そして「この世で、自分にできることは何か?」を考えさせるようになります。


野口健はエベレストに登り、ごみの回収を始めました。
いまはその思いを現地のシェルパが受け継いでいます。

でも最初は「ヒマラヤを汚しているのは日本人」といわれ、悔しくなりました。
そこでの「コンチクショー」という思いが、彼を導いているのです。

そしてヒマラヤで死を意識した体験から、国により死に導かれた戦死者に思いをはせ、
無念の思いの詰まった遺骨収集を始めます。

最近は、東日本大震災で被災者に多量の寝袋を寄付しました。

いつも「自分に出来ることは何か?」と思い続けています。


また福島原発20キロ周辺の状況を写真に残しています。
避難した家々の豚や牛が、餓死、腐敗、蛆がわいている惨状です。

彼のホームページをご覧ください。

野口健 公式ウェブサイト


「真実は現場でなければわからない。」と彼は語っています。

彼は、講演の主催者からの提供でビジネスクラスに乗り、グリーン車に乗ります。
その「便利で安易な体験が魂を緩ませる。」と考えています。

ヒマラヤに挑戦し続けた彼の身体は、ぼろぼろになっているのですが、
その魂を生き生きとさせるために、過酷なヒマラヤに挑戦し続けているのです。

不便なところに行くと、過剰な都会生活が見失っていたものを思い出させます。

輝く夕日、満天の星空、雪に覆われた木々、雪に吸い込まれた音のない世界、
遥かに見える雪を被る山々・・・。

大自然に囲まれると、個人(社会人)である自分が、ちっぽけに見えてきます。
そして自分の本質は「延々と続く人類を継ぐもの」であると考え始めるのです。

密教ではそれを、あなたの中の「毘廬遮那仏=大日如来」と呼んでいます。

八ヶ岳にも、かっての修験者の祀った「観音菩薩」が街道に沿って数多く並んでいました。

多くの失われた命に・・・合掌。