世界は…自分と無関係に存在しているのか?
 
現代物理学に、観察者原理という考え方がある。

「さまざまな実験結果に、観察者の意思が投影しないのか?」という疑問だ。

自分が観察者になってしまうと、行為者のグループから離れて、観察することができる。
観察者は、よく見えるように思えるのだが、重要なものが見えなくなる。



15年前、自分探しの旅を「ガンジス川」から始めた。

遠藤周作の「深い河」で有名なインドの聖地は、25年前と同じだった。
河に船を出し、沐浴をする人々を望遠レンズで捉えた。

朝日を浴びた鮮やかなサリーの彩と、老若交じり合った人々はまさに曼荼羅だった。

その後、ガトーに上がり、カメラをガイドに預け、河のぬめりに足を進めた。
腰まで水に浸かり、膝を曲げて頭まで水に浸かった。

首にかけていた安物の数珠が川下に流れた。
近くの若者がすぐにとりに行って、渡してくれた。

河から上がると、私の周りに人々が押し寄せてきた。

「どこから来たんだ?」「何歳なんだ?」「子供はいるのか?」

それまで話しかけても来なかった人々が、英語で次々と質問を浴びせてくる。

「そうか、河に浸かることは、入門儀礼なのだ!!」

そこにはカメラを持っていてはわからない現実があった。

写真を写そうとすると、それを見せる人のことを意識する。
日本人になってしまうのだ。

「Free My Mind=心を自由にしてものを観る」ということは、
カメラを持っているとできないと気づいたのだった。

行為者の心を知るには、「自らが行為をしてみること」。

カメラ(観察者の認識に導く)が自分の心を縛ると気づいた私は、
それからカメラを捨てて、行為者として物を見ることを心がけている。


宗教世界に入るきっかけは、ガンジス河が与えてくれたのだ。

河に身を浸さないと、わからないことが一杯あるのだ。
心に刻まれた体験が認識を作るのだから!!

人類はこのような業(カルマ)を重ねて、生きていくのだろう。


               


「引き寄せの法則」という考え方がある。

現代の科学は、観察者になってしまって、
「起きる出来事は自分とは無関係である」という思考法の罠にはまってしまった。

ヨーロッパであれ、アジアであれ、中世の考え方は、人間中心の思考原理で成り立っている。
これがアジアの「天地人一体の思想」であり、
「As above so below=天にあるものは地にあるものの如し」という錬金術の思考法でもある。


認識(思考法)が世界を作っているならば、認識が変われば、世界は変わるはずだ。

そうなれば起こる出来事も変わるはずだ


これが引き寄せの法則の原理なのだが、「起きる出来事は、自分の意思とは無関係である。」と考えると、
そのような現実しか得ることができない。

「プラス思考法」もこの考えにもとづいている。

ところが最初に刷り込まれた考えが、「世界は・・自分とは無関係に動いている。」という科学的思考法だったので、
宇宙と自分との関係が切られてしまったのだ。


                     



この考え方に気づくには、「何か変だな?」という強い思いがなければ、発見できない。
そのために、後ろの存在はタロットの中に、「吊るし」というカードを用意した。

世界は、人々の言っているコトバとまったく反対の真実があるのだ。
だから、物事を逆さに見ないと気づけないのだ。

般若心経ではこれを「顛倒・夢想」という。

いま、あなたが動けない状態だったら、それは「何か変だな?」と思うきっかけを学ぶ時期になっているのだ。
あなたの無意識のなかにある、常識を疑ってみよう。

「私はなぜ・・そう思うのかな?」

「誰かのいったコトバで縛られている」ことに気づけると、
心は自由になり、引き寄せの法則が発動するよ!!

もともと、宇宙とあなたとはつながっているのだから!!
あなた(意識体としての)のいない世界なんて・・存在しないのだから!!

だから、足の縄を外し、観察者から・・・行為者になってみよう。

どんなことでも良いから!!

歩き始めることから、新しい人生は始まるんだ!!

インドの聖典:バガヴァット・ギーターでは

「(考えすぎて動かなくなるより)結果を神にゆだね、行為のヨガに専心せよ!!」と語っているよ。