三輪山に神の姿を求めて
古代人の神意識を求めて


「八百万の神」と言い表せるように、日本には多様な神が祀られている。

元来神社には神の家である本殿はなく、神奈備(かんなび)あるいは三諸(みもろ)と呼ばれる二等辺三角形の山や、
神籬(ひもろぎ)と呼ばれる木、磐座(いわくら)と呼ばれる石で祭祀を行い、そこに神が宿ると信じられてきた。

大自然そのものに神が融合していたのだ。

ところが6世紀以降、仏教の伝来を初めとする中国思想の渡来に伴い、神のイメージが、大自然そのものから、
特定の顔を持った造形(神々・仏像)やその名称へと変化してしまったのだ。

しかしもともと、仏像は、それぞれの仏像の名前に対応したエネルギーの、人格化したシンボルに過ぎないのだ。
だからこそ古代人は、天照大神と大日如来は同一であるという「神仏習合思想」を作ることが出来たのだ。

その教えを受け継いだ修験道は、古代人の感覚を残したまま、山岳宗教として神仏習合の思想を
後世まで伝えてきているのだ。

卑弥呼の墓?箸墓伝説


~~~日本書紀より

ヤマトトヒ・モモソヒメ・ノミコトは、神である大物主神の妻となりました。
ですがその神さまは、いつも昼はお見えにならずに、夜だけおいでになりました。

ヤマトトヒ姫は夫に質問しました。
「あなたが、いつも昼にお出でにならないので、その麗しき顔を拝見できません。
 出来れば明るくなるまで、お出でになってくださいませ。」

大神は答えました。
「その通りだね。じゃあ、明日の朝にはあなたの櫛に隠れていよう。姿を見ても驚かないでね?」
とおっしゃいました。

そこでヤマトトヒ姫は、心のうちでは密かに怪しいと思いましたが、明るくなるのを待って、その櫛を見ました。
なんと美しく輝く小さな蛇が付いていました。
その長さと太さが着物の紐のようだったので、驚き叫んでしまいました。

これを聞いた蛇に姿を変えていた大神は驚かれたことを悲しみ、人の形となって、妻にいいました。

「あなたは我慢せずに、驚いたので、私はこの姿を恥かしく思いました。恥ずかしいので、お別れします。」
と言って大空を飛んで三諸山(三輪山)に消えてしまいました。

神様に恥をかかせてしまったことを悔い、ヤマトトヒ姫は、箸で陰部(ホト)を突きて死んでしまいました。
そして遺体は大市に埋葬しました。
その当時の人が、その墓を名付けて、箸の墓と呼んでいます。

この墓は、昼は人がつくり、夜は神が作ったと言われています。                 

古代のコトバから蛇神を探る


蛇の古語「カカ」は赤加賀智(アカ・カガチ)という猿田彦の眼の容貌にも残されている。
「カガチ」とは光り輝く状態のことを言う。

似た音声の「カガミ」とは蛇身(カガ・ミ)の音に由来する。
目蓋を開けたままの赤い眼の光が神の一にらみのように思えたのだろうか?

オロチ「大蛇」ミズチ「水蛇」のチは霊の力のチを表す。
「カカ・シ」も守り神としての「カカ(蛇)シ(止)」であろう。

古代の祭りの第一義は「女性蛇巫(へびふ)」が神蛇と交わり、神蛇を生み、養育することの
「擬態・モドキ」を実行することになる。

そのための「物実(モノザネ)」として、三輪山は蛇のとぐろを巻いた形、神奈備山(二等辺三角形の)とされたのである。
富士山や大山もきれいな二等辺三角形になっている。
「見立て」の思考は、山脈をも蛇の移動する姿ととらえたのである。

     

蛇は下に述べる条件のため、神と思われたのではないだろうか。

1)外形が男根相似(生命の源としての種の保持者)
2)脱皮による生命の更新(永遠の生命体)
3)一撃にして敵を倒す毒の強さ(無敵の強さ)

エジプトのコブラ神、インドのナーガ(蛇神)信仰、メキシコのククルカン(羽根を持つ蛇神)
多くの蛇神が世界には残されている。

     
神武天皇は蛇族だった?

~~~~~先代旧事本紀大成経より

      みしるし                    たかみむすびのみこと
天照大神、天つ璽の鏡、剣をもって天孫に授けたまい、高 皇 産 霊 尊は、

まどこおう ふすま                              さきばら     あめのいわくら
 真床追・衾 をもって、天孫尊をおおい、付き従える諸々の神どもは、先駆いとして、天 岩磐 を離し、

        いず ちわ   ちわ
天八重雲を、稜威の道分きに道分けて、天降しませり。

さきばら                              やちまた
 先駆いの神、環りてもうさく、一柱の恐るべき神、まして天の八街に留まり、上は高天原を照らし、下は芦原国を照らし、

        とうあた                                 やたのかがみ
その鼻の長さは十咫、その背の長さは七尋、口は閉まり、眼はキラキラして輝きて、八咫の鏡のごとく、

あかあか  あかほおずき
 赫赫して 赤酸漿ににたり。


現代訳文

天照大神は、天から降りてきた子孫に、鏡と剣を授けました。

高皇産霊尊は「霊的ベール」で天孫の子孫たちを覆い、付き従える神たちは、着陸地点としての岩磐を離れさせ、
天から地上までの間に雲の階段を作り、エスカレータのように地上へ降り立ちましたところ・・・。

先駆いの神が、戻ってきて申すには・・・
「地上には、おひとりの恐るべき神がおられました。鼻の長さは3,3m。背の高さは12,7メートル。
 口はつぼまっていて、眼はキラキラ輝いて、三種の神器の一つである『八咫の鏡』のように輝き、
 赤くなった酸漿(ほおずき)に似ています。」

《二つの赤い酸漿とは、膨らんだ赤いサングラスを連想しませんか。
 アメリカ映画「プレデター」でシュワルツネッガーの相手となった異星人のようですね。》

神を捕まえてきた話

~~~~古事記・雄略紀より

天皇は、チイサコベノムラジ・スガルに詔を発し、

「私は三諸山(三輪山)の神の姿を見たいと思う。お前は、腕力が他のものよりもすぐれている。
 行って捉えて来い。」と言った。

スガルは「試みに、行って捉えましょう。」と答えた。

そして三諸山に登り、大蛇を捕らえて来て、天皇に見せた。
天皇は身を清めなかった。
それで雷が光り、大蛇の目が輝いた。

天皇は恐れ、眼を覆ったまま神を見ずに殿中に隠れた。
その後、神を山に放たせた。

そういうわけで改めて天皇は「雷・イカズチ=神成り」という名を三諸山(三輪山)の神に与えました。
                              
*蛇の目には目蓋がないため、その眼は常時開き放しで、瞬くということがない。
 じっとにらみつけているように見えるのだ。
 その結果蛇の眼は特に「光るもの」として受け取られた。

 古代の日本人は古事記の八俣大蛇を
「その眼は赤加賀智(あかかがち)のごとくして、身一つに八頭(やおかしら)、八尾あり。
『カカ』とは赫・赫(あか・あか)と輝く様子をいう。」

三輪山の神が見初めた美女

~~~古事記・神武紀

(神武天皇が)さらに皇后にする乙女をお求めになったとき、大久米の命が次のように申し上げた。

『ここに娘がいます。これは神の御子という娘です。』と言うのは、三嶋のミゾクヒの娘である、
セヤダタラ姫は容姿がきれいでしたので、三輪の大物主神が彼女を見て気に入り、
彼女が大便をしているときに、丹塗矢に変身してその溝を流れ下って行き、彼女の陰部を突きました。
すると彼女は驚いて立ち走り、ぶるぶる震えました。

そして彼女がその矢を持ち帰って、床の間に置いたところ、矢はたちまち美男に変身して、彼女と結婚しました。
そうして生まれた子は、ホト・タタライ・ススキ・ヒメノミコトと言い、別の名をヒメ・タタライ・スケヨリヒメと言います。
それでその娘を神の御子と言うのです。

参考文献:
山の神・蛇(吉野裕子)
神社の系譜(宮元健次)
日本の神話伝説を読む(佐々木隆)
失われた契約の聖櫃・アークの謎(飛鳥輝雄・三神たける)
天孫降臨・日本古代史の闇(コンノケンイチ)

雨降山・大山寺と阿夫利神社


雨降山・大山寺は奈良の東大寺を開いた華厳宗の「良弁(ろうべん)僧正」が755年に開山しました。

良弁は、秦常満の一子であり、神童の誉れ高く、大和に連れてこられ、義淵僧正に預けられ、
その後新羅僧の審祥から華厳宗を学び、東大寺の初別当となりました。

彼が亡き父母の故郷を思い大山に登ると、地面から五色の光が発しているのを発見し、
岩を掘り消してみると石像の不動明王が出現しました。

良弁僧正はその不動明王から「ここが弥勒の浄土であり、釈迦の変わりにこの山に出現した。」
との託宣を授かりました。

  

そこで良弁僧正は、奈良に戻り聖武天皇より勅願寺の宣下をたまわり、3年間かけて伽藍建築に取り組みました。

ほとんど知る人の少ない良弁僧正は、奈良時代では東大寺の修二会で読上げられる過去帳の順番が、
聖武天皇・皇太后・光明皇后・行基菩薩・孝謙天皇・藤原不比等・橘諸兄・良弁僧正・実忠和尚(インド人)と続く・・
その当時のナンバー8の存在価値を認められた人だったのです。

大山寺はその後、行基菩薩の弟子・光増和尚が第二世として諸堂を設け、弘法大師・空海が第三世として数々の霊所を開きました。

それ以来大山七不思議とされる霊地信仰として、人々に語り継がれています。

  

現代は伊勢原駅からバス50分で、大山祇大神を祀る大山阿夫利神社:門前町に着きます。
そこからケーブルで途中駅が雨降山・大山寺です。
終点が神社の下社になっています。

雨降山と名付けられた、大山の中腹にあるこの下社は、南は江ノ島方面の海に囲まれ、
北は大山山頂から続く峰峰が円く取り囲み、風水理論では最高のパワースポットになっています。

  

この大自然の風水の中心:最高のパワースポット(明堂=中央の太極)が、神社の中央にある水場です。

霊水が自由に汲めますので、ペットボトル持参でお出かけください。

暖かくなれば、大山石尊大権現(青い霊石の磐座=見学禁止)が祀られている
1253メートルの頂上までの一時間半のハイキングもお勧めです。


*写真の蛇は、神奈川県大山の阿夫利神社下社のご神水から出てきました。
 2009年6月に蓮の会・会員の鈴木恭子さん撮影のものです。

 大山は、三輪山と同じ「神奈備山」で中腹の阿夫利神社は風水の「明堂」のパワースポットです。
 ぜひお出かけください。