金子みすず---美しい命の響き
金子みすずは悟っていました。
彼女の言葉の美しい響きをお楽しみください。

          ----------金子みすず詩集より

 
 わたしと小鳥と鈴と

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

曼荼羅

曼荼羅とは心の中の風景

観音菩薩やお不動さん、弁財天や聖天さま。
すべては太陽の象徴・大日如来の現われです。

でも真中にいる大日如来ばかりがいいのじゃない。
みんな違っていいのだから。


 不思議

わたしは不思議でたまらない
黒い雲から降る雨が
銀に光っていることが

わたしは不思議でたまらない
青いクワの葉食べている
蚕が白くなることが

わたしは不思議でたまらない
たれもいじらぬ夕顔が
一人でパラリと開くのが

わたしは不思議でたまらない
たれに聞いても笑ってて
あたりまえだということが

神のみ業

自然の行為だと思われることも
視点を変えれば神のみ業

自然環境は外にあるわたし
近い内口を通って
わたしになるのです

常識という言葉は
深い知恵にふたをする道具です。


 星とタンポポ

青いお空のそこ深く
海の小石のそのように
夜がくるまで沈んでる
昼のお星は目に見えぬ

見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

散ってすがれたタンポポの
川原のすきにだぁまって
春のくるまで隠れてる
強いその根は目に見えぬ

見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

見えぬもの

公共広告機構のドナーカード宣伝のTVを見ました
「死んだら何も残らない」というのです。

「いかに生きたか?!こそ人生において最も大切なのでは。
でも人生は目に見えません。友人たちの心に残っているだけです。」


 こころ

おかあさまは
おとなで大きいけれど
お母様の
おこころは小さい

だってお母様はいいました
小さい私でいっぱいだって

私は子供で小さいけれど
小さい心の私は大きい

だって大きいお母様で
まだいっぱいにならないで
いろんなことを思うから

心配

小さい心を大きくするには
神仏にゆだねる
他力の心になるしかないのです


 大漁

朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ

浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう

ヒューマニズム

人間中心のこの考えは正しいのかしら?

仏教は命を同じと見て
「生きとし生けるもの」を中心に考えるのです


 みんなをすきに

私は好きになりたいな
何でもかんでもみいんな

ねぎもトマトもお魚も
のこらず好きになりたいな

うちのおかずはみいんな
かあさまがお作りになったもの

私は好きになりたいな
だれでもかれでもみいんな

お医者さんでもカラスでも
残らず好きになりたいな

世界のものはみいんな
神様がお作りになったもの

真言宗では阿字というシンボルを本不生といいます。
作られたものでないもの、それが神なのです。