メジュゴリエのマリア降臨

メジュゴリエについて

1981年6月24日午後6時ボスニアヘルツェゴビナの小さな村、メジュゴリエで事件は起こった。
6人の子供たちの前に、両手に幼子を抱えたマリアが降臨したのだ。

翌日再びその場所を訪れた子供たちは、光がまぶしく閃いたあとで、雲の上に立つ聖母マリアを頭上に発見した。
子供たちは祈り始めた。

「天におられるわたしたちの父よ。み名が聖とされますように・・・・」

マリアも共に祈った。
祈りの後、マリアは子供たちに語り始めたので、子供たちもそれに答えて話しをした。・・・

「また会えるのですか?」という子供たちの質問にうなずきながら、
「主はあなたと共におられます」と言ってマリアは消えていった。

   

このような御出現は今日も止まっていません。
「幻視者たち」が幻視を見続け「メッセージ」を受け続けています。

・・・・メジュゴリエに関するすべての出来事は、人々の霊魂を神の元へ連れ戻し、
世界に唯一の真の平和を回復するために働いているからです。

ラファエルの話

プロテスタントの私がメジュゴリエへ来たのは、何が起こっているかを知りたいという興味半分だった。
農家の人がテントを張るためのスペースを貸してくれた。

翌日教会に行っていると、人々がクロアチア語で叫び出し、山の十字架の方を見ていた。
十字架の周囲に1マイル(1.6キロ)の光輪が現れ、パステルの青色をした無数の太陽が十字架の周りで、
現れたり消えたりして踊りまわっていた。
まわりに雲はないにもかかわらず、まぶしくはなかった。

「影響されるままに身を任せてはいけない。」
そう思い視線を一度下に移した。
もう一度上の方を見ると、光のダンスがしばらくの間、まだ続いていた。

三日目に私たちはピクニックをしていた。
ぶどう園の周りで遊んでいたピーターの子供たちが、
「ね、ラファエル来て見て、回っているよ、回っているよ。」と叫んで寄ってきた。

マイケルが小さい人指し指を向けた方を見ると、
丘の上に立つ巨大な十字架が回転していた。

「これは幻覚だ。」
そう思って目をこすり下を見た。
目をまた十字架の方に見据えると、まだ十字架は回っていた。

速度は大変早かったので、消えることもあった。
学者であるアレックスを呼んで、山の方角を指した。
「何か見えるかい?」

「信じられない。十字架が回転しているぞ。」
テントから仲間たちを呼び出した。
7人全員が15分間続いたその現象を観察した。

しばらくして、ナイフを腹に突き立て自殺未遂をしたピーターが大声で叫んだ。
「みんな見てくれ、腹の傷が消えている!!」
私はこれ以上理解することができずに神に祈った。

このようなことがあったので、私は夕方、聖堂での御出現に参加することを決めた。
聖堂では祈りに浸りきっているクロアチア語の人々を観察していた。
突然大きな「ブーン」という音がして、6人の幻視者はどさっと音を立ててひざまずいた。

前列の人々は幻視者の人の肩に手を置いた。
私もヴィッカの手に恐る恐る手を置いた。
80キロの体重が彼女にかかりつぶれるかのように思えた。
ところが彼女の体は花崗岩のように固まり、岩を押しているようだった。

生涯で初めて私は聖母に祈った。
「もしあなたがいらっしゃるなら、私に姿を見せてください。」

私は幻視者の目が釘付けになっている場所を見つめた。一つの光が現れた。
それは窓ガラスを通してくる太陽光線のようであった。
光線がはにかみながら降りてきた。
そして私の心を貫いた。

その瞬間から光線は私の胸に触れた。
私は恐れが溶け去り、消えるのを感じた。
自分の生涯で以前、そのような深い充溢を感じたことはなかった。

私の全存在はやさしさ、甘美さ、そして愛の洪水の中で溶解した。
包み込む優しさ以外には、他に何物も存在しなかった。
私は純粋な愛で、そこで死ぬことができただろう。


御出現場所でのイヴァン、マリーヤ、ヤコブ、ヴィツカ、イヴァンカ。後方はスラフコ神父。
パトリックの話


パトリックのことならメジュゴリエの誰でも知っている。
教会での意味のわからないクロアチア語での3時間の説教に毎日参加している、
英語を話すカナダ人だ。彼の言葉を聴いてみよう。

私は56歳。3回結婚し、2回離婚した。
メジュゴリエへ来る前は聖書さえ持っていなかった。

30年間カナダで車関係の仕事をしている時の神は、お金だった。
私は金のかかる暮らしに慣れていた。
私は大きなお金を作る仕事を知っていた。

長男に「父さん神様って何なの?」と尋ねられた時、彼に20ドル紙幣を与えてこう言った。
「これがお前の神だ。お前がこれをたくさん持てば持つほど、神に近づくことになるんだ。」

クロアチア人の妻の、ナンシーの兄から来た何年も前の手紙を開けたことから、
回心は始まった。
手紙はメジュゴリエのマリアからのメッセージだった。

「私はこれを最後として、世に回心を呼びかけるために来ました。」

私はそれが、聖母が私に話しかけているものだと感じた。
その瞬間何かが私の心の中で起こった。

私の心は溶けた。
そして訳もなく泣き始めた。
1週間その手紙を見ながら泣き続けた。
オレゴン州でのマリア会議に出席し、四人の子供たちの退廃的な生活について祈った。

薬物に手を染め16歳で退学処分をしていた息子は回心し、洗礼を受けた。
他の子供たちも今は容易ではないが正しい道にいる。
下の息子もこの間のクリスマスにメジュゴリエへ行き、信仰を見出しかかっている。

私は聖母マリアを愛している。
聖母は私の命を救ってくださった。というのも――
私は地獄に片足を踏み入れ、そのことさえも知らなかったのだ。

ヴィクトルの話


1995年春、ヴィクトルは妻と一緒にメジュゴリエへ行くことを望んではいなかった。

「俺を回心させるだって?それは何があったって無理な話だ!」
彼はぶつぶつこぼしながら、妻と一緒に巡礼に行くことに同意した。

4日間の滞在が終わり、妻のシャーリーは、旅行中ヴィクトルが平静にしていることを不思議に思っていた。
最後に彼は困惑していた妻にこう言った。

「もし君が、来年ここへ戻って来たいと望むなら、そうしてもいいよ。」

フランスに戻ったヴィクトルは、結婚し家庭を持ち、嫁いでいった子供たち4人に話すことがあると電話をかけ始めた。
シャーリーは「最近はお互いにけんかもしなくなったわ、あなたに何が起こったの?」と聞いたが、
ヴィクトルはただ微笑んでいるだけだった。

家族が集まり、ヴィクトルが妻に話し始めた。

「君は、私たちが御出現の丘にいた最後の日を覚えているかい?
 あの時、下の谷にある村から、緑の輝いている小さな雲が上がってくるのを見たんだ。
 それはとても明るくて、目をそらすことができなかった。
 天気は申し分なかった。

 驚いたことにそれは地上から1メートルほどまで近づいて、私の目の前で止まった。
 雲の中には1人の人と誰かの影があった。その人は・・・
 2年前交通事故で死んだ息子のタンギーだった。そして私に話しかけた。

 『父さんタンギーだよ。あなたを忘れていない息子だよ。
  僕は幸せです。みんなに平和のために祈るようにと言ってください。
  特に僕の兄弟姉妹たちに。このことを言ってよ。
  僕の娘にも言ってくださいね。』

涙ながらに話すヴィクトルに、家族の者も涙を止めることはできなかった。

 
バリーの場合

バリーはプロテスタントの洗礼を受けているが、神を信じてはいなかった。
そして神なしにことを行うのを誇りにしていた。

しかし彼の心の中には、深く埋もれた一つの記憶があった。
かって若いころ非常に困難な時期を経験したとき、彼は神に祈ったのだ。
「私によき妻を送ってください。」
 
その後しばらくして彼は車の故障のために、一軒の見知らぬ家の近くに車を止めなければならなかった。
玄関に取次ぎに出た若い女性にすっかり参ってしまったので、彼は3ヵ月後に彼女と結婚した。
神はこのように幸せな結婚でもって、こんなにも早く報いてくださった。

彼はこの神秘的な神に感謝するのを忘れていた。
妻のパトリシアはカトリックだった。

・・・・そして時が経ち、パトリシアは40代になって、物質主義で疲れ果てたイギリスにおいて、
自分もあまりにも霊的孤立に疲れ果てていることに気づいた。

メジュゴリエが進路を外れることから彼女を救い、毎日天(の神)が地(の私たちの元に)にやってくる場所である、
メジュゴリエで神の御心の中に浸されることを彼女に可能にしたのは、ちょうどそのときであった。
 
あるときバリーとパトリシアがテレビを見ていると、ボスニア・ヘルツェゴビナで戦争が勃発し、
ボスニアへの物資輸送のボランティアを募集していた。
彼女はこのボランティアの中心者とも面識があった。
すると突然、バリーは「俺は大型免許を持っているから、この冒険に参加したい。」と言い出した。

2週間後、冷やかし半分のバリーは、トラックのハンドルを握って、メジュゴリエ入りを果たした。
彼が気を配ったことは物資が難民の手に届くことだった。

夜を通して仕事をし、早朝彼らに与えられた部屋に戻ると、パトリシアは何処かへ出かけていた。
バリーはテラスに出ると、谷の下方に教会が見えた。
彼の目は空に屹立している二本の塔に引き付けられ、この教会に対する抵抗しがたい引力を感じた。

彼の頭の中には一つの考えしかなかった。
「この教会の中に入って祈らなければ。」

彼は自分で自分を理解できなかった。

祈る?神に?
根っからの無心論者である自分が?
気が変になったのだろうか?

しかしその衝動は抵抗できないものだった。

バリーは出かけた。
そしてゆっくりと教会へ歩いていった。
どのように祈っていいか、彼は知らなかった。
 
昔学校で学んだ主の祈りと、妻が子供たちに教えていた天使祝詞を思い出した。
両方の祈りをし、5分間そこにとどまって、自分のトラックをきれいにすることを決めた。
司祭スヴェット神父が自分のロザリオを、彼に渡した。
 
バリーは部屋に帰ると、まだパトリシアが戻っていないので、一休みしようと考えた。
光が非常に明るかったので、彼は顔の上に覆いを引き寄せた。

しかしそのとき青味がかった光が、彼の眼をくらませ始めた。
彼はベットカバーが顔から落ちたのだろうと思い、それを引き上げた。
それでもなお青味がかった光は、部屋全体を満たしながら、ますます明るくなった。

バリーは、これはなんだか気味の悪いものだと考えた。
それから一層明るい光、純粋な白い光が青の中に現れ、彼の目の前で大きくなりながら、
彼にだんだん近づいてきた。

一体何が起こったのだろうか?

「白い光はくっきりしていた。」
バリーは語る。

「そこに聖母がおられた。それは神の御母、マリアだった。
 私は聖母を見ることができ、それが聖母であることがわかった。
 青い光は聖母から放射する光線に変わった。

 聖母はほんとに美しかった!
 私はまったくおびえなかった。
 聖母を見つめ魅惑された。

 聖母は手を挙げて振られた。
 聖母は何もおっしゃらなかった。
 そして去られた。

 私は部屋を見回そうと座った。
 バラの香りがあたり一面に香っていた。
 そして私は自分の体の中に、安らぎを感じた。」

『どうして?なぜ私に?未加工のダイヤモンド、田舎者の、無骨者の私に?
 その私がこれに値するようなことを何かしただろうか?』

パトリシアが帰宅すると私は彼女にすべてを話した。
彼女は有頂天だった。
そしてにわかに私がカトリックになることを望み、一緒にミサに行くように私を招いた。

イギリスに帰ってから私はミサに行き始め、祈りを、心からの祈りを体験した。
しばらくして、ボランティアの中心者からメジュゴリエの巡礼者を乗せるバスの運転手になることを薦められた。

バスの乗客とスロヴェニア近くの宿に泊まっていたときだ、
停電があったので懐中電灯を取りに二階に上がり、ホールに戻ってくると、
マリアへの賛美を歌いたくなった。

グループの全員が、私と一緒に歌い始め、即興で祈り始めた。
その祈りはホテルのみんなに引き継がれていった。

その瞬間に聖母が、メジュゴリエのときと同じように、周囲にブルーの後光を帯びて、再び私に御出現になった。
私はそのとき大きな恵みを受けていたにもかかわらず、
まだ何も聖母のため、あるいは神のためにしていなかったということを理解した。

私は聖母が、ご自分とイエスにもっと近づくよう促しているのを感じた。

それから数ヶ月間、メジュゴリエへの巡礼のバスを運転し続けた。
パトリシアも同様に助けていた。
私は私の乗客が、聖母を見るように祈っていた。
そして私の祈りはかない、四人の巡礼者がポトブルドで聖母を見た。

「1995年に私はパトリシアと共に、ウォルシンガム聖堂のある司教区で働き始めた。
私の夢は、全世界が祝せられた聖母を発見することです。」とバリーは語る。

                                        メジュゴリエの証言者たち (シスター・エマヌエル著・ ドン・ボスコ社)より抜粋

マリアからのメッセージ

かわいいわが子たち・・・あなた、まだわからないの?
だから、また、あなたに声をかけているの。

今の気持ちを変えてちょうだい。私はあなたの母なのよ。
今のあなたの心は、私の心から遠く離れているわ。
だからとっても悲しいの。

だけど私はあなたをひとりにはさせないわ。
私はあなたが、間違った道から戻ってくるとわかっているの・・・・・・。

私の声に耳を傾けてくれて、ありがとう。  

2005年9月25日のメッセージより
英文ホームページ Medjugorje



イタリアで出会った錬金術師
マリオ・ガロからのメッセージ

1981年6月24日夕方、ボスニアヘルツェゴビナのメジュゴリエにマリアが降臨しました。
子供たち6人が目撃し、存在は他の人には見えません。

一日目は幼子イエスを抱えた姿で、二日目は光の輝きとともに、雲の上に乗った立ち姿で出現しました。
以降何年にもわたって、メジュゴリエには一千万人以上の人が訪れています。
毎月25日が顕現の日になっています。

若きマリアの写真は、幻視した子供たちの証言を聞いて作った「メジュゴリエのマリア」です。
また光の写真は、マリオ・ガロが旅行したときに、幻視しているヴィッカを写した写真です。
上空に現れた光は参列者には見えません。

    

マリアはUFOからのホログラム!!

1917年5月13日、ポルトガルのファティマで三人の子供たちの前に出現したマリアは、
それから6回、毎月13日に出現し、
・第一次大戦、・第二次大戦、・ハルマゲドン(アセンション?)の三つの予告を告げました。

5回目の出現は3万人の前で行われました。

正午、明るく輝いていた太陽が光を失い、周囲は黄金色に包まれました。
青空のかなたから銀白色に輝く卵形の物体が現れ、子供たちのいるヒイラギの木の上に止まり、
白雲が生じてその物体を包み込みました。

ルシアとの会話が始まり15分後「お帰りです。」とルシアが言うと、銀白色の卵形物体が出現し、
青空にゆっくり上昇し消えてゆきました。 

「UFOはこうして飛んでいる!」コンノケンイチ著 より抜粋

UFOの描かれた絵画の数々

1697年11月4日に起きた
奇跡を描いた絵。

ドイツのハンブルグ上空に
「炎の輪」が出現した。


「キリストの洗礼」
1710年フランス/アート・デ・ゲルダー


「聖母と聖ジョヴァンニーノ」15世紀/イタリア
キリストの誕生。マリアのバックに描かれた飛行物体。
左下は拡大図。