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カタリ派はカトリック教会をイエスの活動の思想から離れていると批判し、
教皇の権威を否定していた。
しかし彼らの暮らしは質素であった。
戸外か普通の家に集い、司教はいたが受洗した会員は司教と同等にみなされた。
女性の平等も保たれ、魚を食べる菜食主義者、平和主義者であり、霊魂の再生を信じていた。
二人一組で説教しながら暮らしは貧困さと簡素さの極みを目指し、
必要な人のところには留まってできる限りの癒しと援助を施していた。
1209年6月24日教皇イノケンティウス3世は、イスラム教ではなく
カタリ派を一掃するために十字軍を組織したのだった。
カタリ派の要塞があったアルビの町にちなみ、この十字軍はアルビ十字軍と呼ばれた。
南フランス・ラングドックに住むカタリ派とその信奉者の人々は教皇の命により、
十万人以上が虐殺された。
ぺジェの町の異端者は200人あまりだったが、15,000人から20,000人の町の人々が彼らをかくまい、
男女子供を問わず殺され、町は火の海になった。
町の住人と異端者を、どのように区別するのかと聞かれた教皇使節団は
「すべてを殺せ。神は自らの民を知りたもう」と答えた。
カタリ派の砦の一つミネルヴァでは、城壁がカタパルトによって攻撃を受け壊された。
城内の人々は城内に流れる水を遮断され、渇きの苦しみで城門を開き討ち死にした。
現在のミネルヴァの町並み
ここにあるカタリ派の慰霊塔の、聖霊の印とされる浮き彫りの鳩は・・色即是空・・
形あるものに実体はない(肉体よりも魂)というカタリ派の教義の表現にもなっている。

ちなみにマグダラのコトバの意味は、鳩の土地、塔の土地、神殿の塔などを意味する。
カタリ派の最後の本拠地となったモン・セギュールでは、
カタリ派の人々は拷問死を禁欲的に受容しただけでなく、
炎がわが身を覆っても、完全に平静を保った人々がいたのである。
1970年代の、ヴェトナム仏教徒の、反戦抗議・焼身自殺のように。
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