光りは闇の中に輝いている

〜ヨハネ福音書〜

光は闇の中に輝いている
タロットの隠者



高知での恵日寺復興記念コンサートが終わり、その日の晩に泊ったホテルには、
一枚の額がかかっていました。

そこには

「光りは闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」

と書いてありました。

Yさんからの、「クリスチャンのホテルオーナーにも寄付をいただきました。」との話を思い出しました。


この文章は新訳聖書ヨハネの福音書1:5です。




  深い闇の底に、暗い暗い闇があった。

  誰も手をつけられず、その闇は静かに重く佇んでいた。

  人は苦悩した。

  自分の心の底にあるこの闇は、自分の力でも、人の力でもどうすることもできない。

  その闇の名前は、絶望、不信、呪縛、束縛、苦悩、拒絶、嫌悪、憎悪・・・

  地上の光が届かぬ場所。
イエス・キリストは光を携えて降りてこられた。

決して消えることのない変わらない光。

その光の名前は、愛、赦し、解放、自由、信頼、喜び、感謝。

闇は一瞬にしてなくなった。
闇はこの光に勝たなかった。

イエス様が光を照らしにやってくる。

決して消えることのない、
消されることのない、真実な光を携えて。



もしあなたの心に闇があるなら、

イエス様の光がともりますように。




光とは智慧(光明)のシンボルです。
闇は無知(無明)のシンボルです。

キリスト教のこの話ができた当時は、無意識(心の闇)という言葉がありませんでした。
そこで普遍な絶対者(イエス)を対象化して、シンボルとして考えました。

この方法は、苦しみの原因を取り除くのではありませんが、一時的な癒しの効果は絶大です。

日本では、浄土宗や浄土真宗の阿弥陀如来信仰がこれにあたります。
阿弥陀如来は、無糧光(アミターバ)という光の存在のシンボルです。

このイエスという物語も、タロットや深層心理学を学ぶと、自分の心がもっと見えてくるのです。

それが光を携えるもの(イルミナトリクス=われは大日如来なり)なのです。

(本来の私たちは光の存在=如来蔵)

これが西洋密教、カバラや錬金術の原点です。

このように現実を言葉のレベルで捉えるのか、シンボルとして捉えるのかにより、
まったく違う世界観に立てるようになれるのです。