旧約聖書と護摩の共通点?
エルサレムに行こうと思い「旧約聖書」を読み始めた。

新約聖書を読むためには、旧約聖書の知識が必要になる。
仏教を知るためには、ヒンドゥー教の考えが必要になるのと同じだ。

その中で、神と人間との友情関係を、旧約聖書では「契約を結ぶ」と言うことを知った。

契約とは何か?

神がアブラハムと結ばれた契約は、アブラハムが「三歳の雌羊と、雌山羊を真っ二つに切り裂き」
神の元に差し出すことだった。

その後アブラハムは深い眠りに襲われた。


日が沈み暗闇に覆われた頃、

・・・突然  煙を吐く炉 と 燃えるたいまつが・・・

二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。

その日神はアブラハムと契約を結んで言われた。

「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで。」

                   〈旧約 15章12・17・18節〉

神の形のイメージは「煙を吐く炉と燃えるたいまつ」だったのだ?!
契約を違えたら、この動物のように裂かれても依存がありません・・という確認を
神がなされたのだ。

おきてが祭儀で朗読されたことを忘れてはならない。
祭儀とは神と民との出会いのときである。
おきては巻物に書かれた文字でなく、祭儀の中で語られる生きたコトバである。


申命記は「今日」を何度も繰り返す。
祭儀が行われ、神が民に語る時は、いつも今日である。

祭儀はいつも一定の手順に従うから、外面的に見れば行うことに変化はない。
同じおきてが同じように朗読される。
だがそれは神の語り掛けであるから、そのつど「今日」神が語りかけるおきてとなる。

たとえば「父や母を軽んずるものは呪われる」と述べると、
エバル山に陣取る六つの部族が「アーメン(そうだ)」と答える。

高野山での・・得度の式においては、父母に三禮(さんらい)・・・
阿闍梨の先生が(五戒を)・・「よく保つや否や?」・・・・受者が・・・「よく保つ」と答える。

護摩修法においては、煙の出る炉に・・・燃え上がる焚き木が投げ込まれる。
そして、不動明王との契約がなされる。

あなたが「全人生をかけて」神と契約するのだ。

投げ込んだ護摩木のコトバが成就するか否かは、
あなたの覚悟(契約)にかかっているのだ!!

コトバは神である・・・とヨハネ福音書が語るように・・契約の場において発語することが・・
コトアゲ(言挙げ)することになる。

イスラエルは豊かな人生(緑地)が誰に与えられたかを知っている。
そのイスラエルの答えが「アーメン(よく保つ)」以外であるはずがない。

これを密教では
「オン・サルバ・タターガタ・ハンナ・マンナノウ・キャーロミ」
「一切の出来事は・・神(如来)からのメッセージ」と唱え、
三禮しながら神との契約を行う。

『旧約聖書の心』雨宮彗(女子パウロ会出版)より抜粋・加筆