弘法大師の金言

【一切衆生の心中に みな仏性あり。如来蔵を 具せり。】

生きとし生けるものは、みな仏性を持っています。

ここでいう仏性とはなんでしょう?

仏になる可能性を指します。

だから私たちの心は、如来(の智慧)の蔵とも言えるのです。

これを「本性・清浄・煩悩・客塵」とも言うのです。


【生死(しょうじ)すなわち涅槃(ねはん)なれば さらに階級なし。

 煩悩すなわち菩提(ぼだい)なれば 断証(だんしょう)を労することなし。】


生死とは迷いのことを言います。

輪廻転生を知れば、生死はないのです。

輪廻の理(真実)を知れば、生死が安らぎとなるのです。

煩悩の苦しみがあってこそ、菩提という覚りの状態を求めるのですから、

煩悩を断って・・・覚り(証)を得ようとする必要はありません。

煩悩が、刷り込まれた(薫習)一時的な社会的価値観であることを知ることが必要なのです。

密教では、「煩悩 即 菩提」と言います。

弘法大師は「煩悩(苦しみ)なければ菩提(覚り)なし。」とまで言っています。

密教は、苦しみを通して成長を求める「プロセス指向心理学」なのです。



【心の海岸に達せんと欲すれば、船を棹さんには如かじ。船・筏(いかだ)の虚・実を談ずべからず。】

この世の価値観(此岸)から、あの世の価値観(彼岸)に達しようと希望すれば、
まずは行動することです。

どのように行動するかを話し合いすぎると、行動できなくなります。

弘法大師・空海は「まずは実践」の人なのです。


【頭を剃って 欲を剃らず。衣を染めて 心を染めず。】

修行者の風をよそおって 社会的価値観(煩悩)を捨てようとしない。

黒い衣を着て 修行者を装っても 心は煩悩(欲にまみれた)のままである。

耳に痛い言葉ですね!!



【心に妄念なくして 六塵(煩悩)に染まらざれば、仏は即ち つねに心に居ます。】 


六根(眼耳鼻舌身意)とは感覚器官のことです。

その反対側に、六塵(色・声・香・味・触・法)があります。

起きる出来事(現象)のことです。
起きる出来事に、反応ばかりしていると、心を失います。

なぜその出来事が起きるのかを考え始めると、無意識の自分が招いている出来事であると気づけるのです。

これを仏教では「因縁生起」と呼んでいます。

最近では「引き寄せの法則」と言われていますね。

煩悩とは「誰かの言ったコトバ」なのです。
その刷り込みから自由にならないと、誰かのコトバで支配されているあなたのままなのです。




私の心の中に、仏がいるということはわかった。

ではどうしたら会えるのだろう?


    


【真言は不思議なり。観・誦(かんじゅ)すれば無明を除く。
 
 一字に千里を含み、即身に法如を証する。】

「真言は明(みょう)なり」と空海は言います。

明とは智慧の事を指します。

無明とは智慧のないことです。

無明の反対語が、光明なのです。

千回・一万回・十万回という数を取りながら、真言を唱えると、
その波動で身体の波動が浄化するのです。

深い精神集中力もつくのです。

冥想のことを、仏教では止観といいます。

「止=シャマター」は呼吸に意識を置いて、思考を停止することを目指します。

「観=ビパサナ」は頭頂から会陰までの全身を観(ヴィジュアライズ)する方法です。

エネルギーの流れを観察するのです。

白隠禅師の軟蘇の法と似ています。

真言を念じながら、エネルギーラインに沿って、エネルギーを流してみてください。


【阿字はこれ一切・法・教のもとなり。およそ最初に口を開く音、みな阿の声あり。

 もし阿の声を離るればすなわち一切の言説なし。ゆえに衆声の母となす。】


倍音声明においては、チャクラに対応する五つの音があります。

阿は心を癒すハートチャクラの音です。
チャクラの中心の音なのです。

音・響き=波動が文字となりました。
原初にブルーム(ボロン)という音が発生し、その音がオームとなり、物質世界を作り出したという考えがヴェーダにあります。

また、キリスト教でも「コトバは神と共にあった。」と述べています。



【「いかんが菩提とならば、いわく実の如く自心を知る」と。これこの一句に無量の義を含めり。

  縦には十重の深・浅をあらわし、横には塵数の広・多を示す。】

「如・実・知・自心」こそ覚りだと弘法大師は言う。

この心は、意識と無意識の含まれた心のことです。

自分が何であるかを知る心には、十段階あり、
肉体が自分であるという「物=唯物論」としての自分と、

認識が自分であるという「唯識=深層心理学」の自分と、
もっと深い真言密教の教えがあるのです。

【病なきときは すなわち薬なし。障りあるときは 即ち教えあり。

 妙薬は病を悲しんで興り、仏法は障りをあわれんで 顕わる。】


病気に合わせて処方箋が書かれるように、苦しみに対応してその苦しみを解く教えがあります。
仏教の教えは、対機・説法(相手の器に合わせて説く教え)なのです。

だから密教では、読経・巡礼・写経・写仏・山駆け・滝行などのさまざまな修行法が用意されています。