経路積分と唯識(1)   現代物理学と仏教の認識論

岸善生(物理研究家)
可能性が畳み込まれた世界

「物を投げ上げると放物線の軌道を描く」と教わりました。

実際にピッチャーが投げたボールは、やまなりのゆるい放物線を描いて、
キャッチャーのミットに納まります。
常識としては良く知られた事実です。

でも皆さんは、なぜそうなるのかということを考えたことがあるでしょうか?

ファインマンさんは、これを考えました。
そして、これらの事実の背後には、波の存在があることが分かりました。

この波をあらゆる道筋で足し合わせた結果、この波の位相が強めあった部分だけが
「現象として残る」(あるいは「現象として現れる」と言っても良い)ということに
ファインマンさんは気がつきました。

ファインマンの経歴総和法というアイディアです。

粒子は「時空上のあらゆる可能な全ての経路」に沿って一つの位置からもう一つの位置まで移動する
とファインマンは提唱しました。

それぞれの経路に対して、ファインマンはまず二つの数をもたせました。
第一は波の振幅で、第二は波の位相、つまり波が山になっているか、谷になっているかを示す数値であります。
粒子がA点からB点に到達する確率は、それぞれの経路がもっている波を足すことで計算することが出来ます。

しかし、日常の世界ではキャッチボールの例のように、
粒子は出発点から一つの決まった経路を通ってしか最終点に達しているとしか見えないのであります。

しかし、これはファインマンの経歴総和法というアイディアに反するものではありません。
日常生活で見られるような大きな物体の運動では、
ファインマンの規則であらゆる経路、歴史に対して波がまず割り振られます。
しかしそれらを合わせるとほとんどは互いに打ち消しあってしまい、残る経路は一つになってしまうのであります。

巨視的な物体の運動の場合には、無限にある経路、歴史の中で残るものは、
古典的な法則であるニュートン力学で計算して出てくるもの、そのものなのであります。
投げ上げたボールの動きや、ビリヤードの玉の動きなどは、まさにこの様な仕組みで軌道を描いているのです。

これが経路積分量子化の考え方です。


「ピッチャーの後ろをぐるっと回ってから、向きを変えてキャッチャーのほうへ飛んでゆくボールもあります」
「波のように上下にうねりながらキャッチャーのほうへ飛んでゆくボールもあります」
そして「キャッチャーの後ろへ一端通り過ぎた後、引返してミットに納まるボールもあります」
あらゆる道筋をたどるボールが存在します。

でも、背後にある波の足し合わせの結果、「放物線を描くボール」のみが、現象として残り、
われわれは、その表に現れた現象を見ているに過ぎないのです。
そして、その表に現れた現象のみを教わってきたため、それを常識だと思っているわけです。

また、華厳の数論でお話しいたしましたように、ファインマンの経路積分では、現在の波には、
粒子の過去の履歴(たどってきた経路や歴史、たどる可能性のあった経路や歴史)が全て畳み込まれております。
この波のことをファインマンは、宇宙の全ての歴史を含んでいる巨大な波動関数と呼んでおります。

この波動関数は、過去の履歴を畳み込んだ形で単独の関数として表現されておりますので、
宇宙の将来に対する全ての歴史の効果は、この単独の巨大な波動関数から計算されるのです。
粒子についてある特定の時刻における波動関数以外のことを全部忘れても、
その時刻以後に起こることを全て計算することができるのです。

今この瞬間の波には全ての過去の起こり得た状態(可能性)が畳み込まれていますが、
一瞬前の過去にも、それ以前の起こり得た全ての過去が畳み込まれているということが起こっております。
また一瞬先の未来にも、今起こり得る可能性が全て畳み込まれてゆくというのがこの世のつくりのようですので、
時間につきましても、このようにあらゆる可能性の絡み合い(これが縁起と対応するのでしょうか)になっているようです。

この可能性の絡み合った波に、働きかける(接する)ことによって、ある現象が起こってきますので、
働きかけ方、接し方によって、現象は大きく変わってくるのです。
あらゆる可能性が畳み込まれた波の中から、「私との相互作用の結果」、
最も起こりやすいものとして現れてくるものが、現象なのです(これが唯識と対応するものなのでしょうか)。

この時間と空間の構造が正しいとすれば、全ての過去、全ての世界(宇宙)の影響を包み込んだ形で、
今この瞬間が成り立っていることになります。
自分だけの過去が原因で、今の自分があるのではなく、世界中の人々の過去、
そして宇宙全体の過去の影響を受けて今の私があることになります。

そして、今この瞬間の私の行為が、未来の状態を変える原因となっています。
私だけの未来を変えるのではなく、世界中の人々の未来、
そして宇宙全体の未来を変える原因となっていることになるのです。

一片の葉が御神渡りを起す

晩秋、長野県の諏訪湖の湖畔に立つ一本の白樺の木の枝から枯葉が一枚、
寒くなってきた風にひらりと飛ばされ、湖面に舞い降りました。

初冬の穏やかな日、ただ波にゆらゆらと身を任せながら、右へ左へとさまよいました。
年末には強い寒風に吹かれ、湖面をまるで、滑る様に移動した日もありました。
湖水の中に沈んでいきそうな時、魚につつかれ、また湖面に浮かび上がったこともありました。

そしてその枯葉は何日間も湖面をさまよい続けました。

今年も雪が降り始めました。
湖面をさまよう枯葉の上にも、雪の結晶がひらりと舞い降りては、融けて消えてゆきます。
雪が降って諏訪湖の表面水温が下がり、最低気温が氷点下10〜15℃以下の日が続くと、諏訪湖は結氷し始めました。

風向きによって、また湖面の波によって、うっすらと凍っている部分もあれば、
水がよどんだ部分の氷はもうかなりの厚さになっています。
そして、湖面をさまよっていたあの枯葉の周りにも氷が迫ってきています。

そして、一月の初めのある夜、諏訪大社の丁度目の前の湖畔から10メートルくらいのあたりで、
とうとうあの枯葉も、氷に包まれ、諏訪湖の湖面は全面結氷しました。

昼間、湖面覆う氷の表面は、太陽の光に照らされ、融けることもありましたが、
夜になると更に気温が下がり、湖面を覆いつくす氷はその厚さをどんどんと増してゆきます。
このようなことが繰り返された一月末のある夜のことです。

諏訪大社の丁度目の前の湖畔から10メートルくらいのあたりで、ピシリという音がしました。
それは、とっても小さな音でしたが、しんしんと静まり返った諏訪湖には、ひきしまった緊張した音で響き渡りました。
氷に包まれたあの枯葉のところで、氷にひびが入った音でした。

これがきっかけでした。
そしてそれは始まりでした。

枯葉のところで始まった氷のひびは、その裂け目をどんどんと広げてゆきます。
裂け目が広がると共に、ひびの長さもどんどんと長くなってゆきます。

そしてもはやひびなどという小さなものではなくなり、遠くからでもはっきりと見える裂け目となっています。
そしてその裂け目は、諏訪大社の前から始まって、時々刻々と対岸のほうへと轟音を響かせながら伸びてゆきます。

その伸びてゆく姿は、湖面の上を体をくねらせながら這ってゆく龍の姿にも見えます。
そして龍の頭は5分後には対岸に届きました。

諏訪大社の前から、対岸へ向かって、数キロにわたる一本の氷の裂け目がはっきりとそこには現れました。

これは、長野県諏訪湖における御神渡りという現象です。


数キロにわたって現れた龍の這った跡のような氷の裂け目は、最終的に現れた現象です。
この現象を説明するのに、氷の裂け目が時々刻々と成長してゆく様子を単に追いかけただけでは、
全く足りないことは明らかです。

諏訪大社の前から、湖畔に沿ってぐるっと、半周回って対岸まで氷の裂け目(経路)が出来る可能性もあり、
定規で測ったような直線で対岸まで氷の裂け目(経路)が出来る可能性もあったわけですが、
湖面を覆いつくした氷に、厚い部分や薄い部分、枯葉が含まれた部分などいろいろな状態が存在していた結果、
今回のような龍の這った跡のような氷の裂け目(経路)が出来たわけです。

湖面を覆った氷のあらゆる部分が関係しあって、今回のような経路が最終的に現れたわけです。

また、湖面を覆いつくす氷が出来上がるまでの過程では、
ある日に雪が降ったことや、また別の日に強風が湖面を駆け抜けたこと、
穏やかな陽気の日があったことや、氷点下10〜15℃以下の日が続いたことなど、
あらゆる過去の状態が影響しあって、湖面を覆いつくした氷が出来上がりました。

何が言いたいのかもうお分かりになったことでしょう。

湖面を覆いつくした氷とは、ファインマンの経路積分の波動関数そのものに対応します。

この氷は、ある日に雪が降ったことや、また別の日に強風が湖面を駆け抜けたこと、
穏やかな陽気の日があったことや、氷点下10〜15℃以下の日が続いたことなど、
あらゆる過去の状態が影響しあって出来上がっていました。

ファインマンが宇宙の全ての歴史を含んでいる巨大な波動関数と呼んだ、
粒子の過去の履歴が全て畳み込まれておりますところの波に対応するわけです。

湖面を覆いつくした氷に、厚い部分や薄い部分、枯葉が含まれた部分など
いろいろな状態が存在していたというのが、
経路積分の波、つまり波動関数の位相の状態に対応します。


波の位相の様子によって、実際に現れる現象が決まります。
数キロにわたって現れた龍の這った跡のような氷の裂け目とは、
ファインマンの経路積分で最終的に現れる経路のことです。

湖面を覆いつくした氷に、厚い部分や薄い部分、枯葉が含まれた部分などいろいろな状態が存在していた結果、
今回のような経路が出来たわけです。
キャッチボールの例では、やまなりの緩やかな放物線を描いたボールの軌跡に対応します。

そして、湖畔に沿ってぐるっと、半周回って対岸まで氷の裂け目が出来る可能性や、
定規で測ったような直線で対岸まで氷の裂け目が出来る可能性とは、
「ピッチャーの後ろをぐるっと回ってから、向きを変えてキャッチャーのほうへ飛んでゆくボール」
「波のように上下にうねりながらキャッチャーのほうへ飛んでゆくボール」
そして「キャッチャーの後ろへ一端通り過ぎた後、引返してミットに納まるボール」などのように、
たどる可能性があったものの、波の位相によって、実際には現れなかった経路に対応しているわけです。

そして、忘れてはならないことがもう一つあります。
今回の氷の裂け目は、諏訪大社の丁度目の前の湖畔から10メートルくらいのあたりから始まったわけですが、
なぜそこから始まったのでしょうか。

そこには氷に含まれた枯葉が存在したからです。

御神渡りの数キロにわたる氷の裂け目はカタストロフ的な崩壊現象ですが、
その始まりには、氷に含まれた枯葉のところから始まった小さなひびがあったわけです。
このひびが原因となって、カタストロフ的な氷の裂け目が結果的に出来たのです。

そして、このひびは、ここに枯葉が存在しなければ、発生しなかったかもしれません。
風が吹いたからここに枯葉がたどり着きました。
魚がつついたので、ここに枯葉がたどり着きました。
湖畔に白樺の木が立っていたからここに枯葉がたどり着いたのです。

枯葉は諏訪湖全体から比べたら、とってもちっぽけな存在です。
でもこの枯葉が諏訪大社の丁度目の前の湖畔から10メートルくらいのあたりに存在しなければ、
今回のような御神渡りにはならなかったわけです。

これはまさに、「ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こる」の例で有名になりました
複雑系におけるバタフライパワーであります。


そして、この枯葉を「あなた」に置き換えてみてください。

「あなた」はこの宇宙の中では、ほんのちっぽけな存在かもしれません。
でもあなたがいまこの場所に存在することによって、宇宙の未来は大きき大きく変わってくるのです。

そしてこれは、「一切は心の働きが創り出す」と言う、唯識と関係があるかもしれません。

また、ファインマンが宇宙の全ての歴史を含んでいる巨大な波動関数と呼んだ、
粒子の過去の履歴が全て畳み込まれておりますところの波を、
諏訪湖の湖面を覆いつくした氷に喩えましたが、
これも唯識におきますところの阿頼耶識と関係があるかもしれません。


唯識につきましては初心者ですので、以下のような文章がありましたことだけを最後に付け加えておきます。

  阿頼耶識とはサンスクリット語のアーラヤという言葉を音写したもので、
  漢訳すると蔵識といった意味になります。

  何を貯蔵するのかというと、自分が生まれてからこのかた、
  泣いたり笑ったり怒ったりしたすべての経験を貯蔵しているのが阿頼耶識であります。

  自分が生まれた以降ばかりではなく、自分の両親の経験、そのまた両親の経験というように遡ってゆくと、
  人類が発生して以来の全ての経験を蔵しているのです。

  人間ばかりではなく、人類になる以前であるとか、さらに遡って、
  アメーバ以来のすべての経験を蔵しているのであります。

  宇宙開闢以来のあらゆる経験を貯えているのが阿頼耶識なのであります。

−華厳の思想(鎌田茂雄著 講談社学術文庫)−より抜粋    

  阿頼耶識は刹那滅であった。

  そこで、前刹那の阿頼耶識にあった種子(現行しなかったものや、新しく薫習された種子)は、
  次の刹那の阿頼耶識に、そっくり自分と同じものを引き渡すという。
  これを種子生種子という。

  こうして、一切の過去の経験がそのつどそのつどの現在に伝達されていくことになる。

  そのときそのときの現在に成立したその人の一切の過去の形が、単にその人の一生のみでなく、
  無始より無終に相続する阿頼耶識を伝って、生死輪廻を通じて伝達されていくことになる。

  この阿頼耶識が説かれることによって、無我なのに、しかも過去はもはや存在せず現在のみ実有なのに、
  特定の個人の行為の結果がその特定の個人に報われていくという、業の説明も可能となったのであった。

−インド仏教の歴史「覚り」と「空」(竹村牧男著 講談社学術文庫)−より抜粋

ファインマン:(1918−1988)
 米国の物理学者。
 マサチューセッツ工科大学、プリンストン大学で学び、
 第二次世界大戦はロス・アラモスで原爆研究に従事。
 1950年カリフォルニア工科大学教授。
 量子電磁力学を研究し、朝永振一郎、シュウィンガーと独立に1948年繰り込み理論を発表、
 1965年三者ともノーベル物理学賞。
経路積分と唯識(2)   現代物理学と仏教の認識論

小林宗次郎
 前世療法  

「私たちはすべての人類の体験を内在した存在だ」と言ったら皆さんはあきれるでしょうか?

でも心理学者カール・G・ユングの普遍的集合無意識という考え方は、
人類共通の意識が無意識の中にあるという考え方なのです。
その無意識の記憶が催眠療法や前世療法により、思い出されてくるのです。

あなたの記憶は、あなたの前世だけでなく、全人類の記憶に繋がっているのです。

唯識という仏教心理学では人間は肉体(五識=眼・耳・鼻・舌・身)と意識(六識)と無意識(マナ識+アラヤ識)
で出来ていると考えています。

深い瞑想状態になることにより意識は、未那識から阿頼耶識そして最後には神意識にまで到達するのです。

この状態になると空海が「宇宙は本箱」と言っているように、
虚空(アカーシャ)の中から音が聞こえてくるのです。

そして修行を積んだヨガ行者には、その音が言葉として聞こえてくるのです。(パラマハンサヨガナンダ/あるヨギの自叙伝)

アカシックレコードにコンタクトした過去の宗教家たちは、このようにして膨大な情報を残しているのです。

いま、あなたは個として存在しているように見えますが、
宗教的視点ではあなたの思考が全存在に影響を与えているともいえるのです。

私たちは今世での影響を未那識に、前世からの影響を阿頼耶識に蓄積しています。
それが今の自分を作っているのです。

前世療法は過去の自分を認めることにより、新たな自分を作っていこうとします。
人は思い出したくない記憶を無意識の奥に隠します。
それを発見することにより今の自分を認め、過去を含んで越えることができるようになるのです。

行動は動いている思考です。
あなたがどのように動くかが、実は世界を創り上げているのです。

世界とあなたは一つなのです。
それをワンネスとか一如と呼んでいるのです。