時間と空間は畳み込まれている

華厳の数論

華厳経において法蔵は相入と相即についてこう述べている。

相入とは一の中に多があり、他の中に一があるということをいい、
相即とは一即多、多即一のことをいう。

普通の常識では、一に一を加えると二ができるように考えられるが、
それは間違いであり、そんなことはありえない。

と言うのは、一に一を加えると、一つが二つ集まったものに過ぎないもので、
一つが増えたというだけであり、二という一つの自然数にはならない。

新しい自然数は一を足すことによって出来るが、単に一を足したばかりでなく、
一を足した全体を同時に直感することによって、二という自然数が生まれるのである。

それではそのような直感は どのようにして可能となるのか?

それは一の中には二ないし十の意義を具有しているから、
一がよく二ないし十を成ずることができる。
一の中には二・三・四・五が備わっているのである。

そこで一といっても、それは二以下と切り離されて単独に存在しているものではなくて、
二以下と相対することによって一であるのである。

法蔵はこれを「縁成によるが故の一」であるというが、
一という自然数、二という自然数が成り立つためには、
他の自然数との関係において成り立つのである。

しかも一という時には、一の中に他の自然数全体が内包されている。
これを相入というのである。

つぎに任意の自然数の一つを取り出すと、その任意の自然数が自然数全体をあらわし、
任意の自然数と自然数全体が相即することを明らかにする。

一をたてると、一は絶対の主体となり、二以下は依存従属の関係に入らなければならない。
一は有力となり、二以下は無力となる。
それによって一即二。一即三。・・・・一即無限数が可能となる。

次に二を主体として考えると、一および三以下は二に従属する関係になる。
二が有力のとき、一および三以下は無力となり、二の中に吸収される。
そして二即一、二即三、・・・・二即無限数が可能となる。
このような関係を一即十、十即一、というようにあらわすのが相即ということである。

ちなみに華厳では十を円満完全な数、無限数とみなして十銭の喩えを説いたのである。

                       (華厳経物語 鎌田茂雄 大法輪閣より抜粋 P195)

奈良の東大寺の大仏の台座になっている蓮の華の一枚一枚に、大仏様が描かれているのをご存知ですか?

その小さく描かれている無数の大仏様も、それぞれの蓮の花の上に座っています。
それ以上は細かすぎて描かれていませんが、その蓮の華にも、さらに小さい大仏様がおられて、
その大仏様がおられる・・・つまり大きな世界と小さな世界が無限に重なり合って、
この宇宙が存在しているのです。

華厳の数論を立体的に表現するとこの大仏様になるのです。

華厳経の世界観は一即一切・重々無尽です。

一即はすべての時間、一切はすべての空間です。
これが幾重にも重なり合って、畳み込まれて存在しているのです。

デジャ・ビュー(既視感)を体験したことはありませんか?
映画マトリックスでネオが黒猫を見るシーンがあります。
時間は畳み込まれているのですから時々、時系列とは、ずれて受け取ることがあるのです。

さまざまな予言が的中するのは、華厳経の世界観によって説明できるのです。

この華厳の数論、一即一切重々無尽を絵画的に表現したのが
インドのクリシュナ=ビシュヌ神の絵画です。(宇宙を呑む・杉浦康平・講談社)

果てしなく広がる広大な空間。
黒くもが逆巻く天と、炎の色に燃え立つ大地がせめぎ合う地平線から、鮮やかな虹が立ちのぼる。

この荒涼たる大自然にすっくと立ちつくすのは、青黒い体色をした巨大な神の姿です。
この神の全身に、多くの物語が描かれています。
世界がこの身体の中にあるという表現なのです。

現象世界が別にあるのではなく、神の身体の中にあるのです。



華厳の数論2
物理研究家  岸善生さん
華厳の数論を、特に「時間」と「空間」に当てはめてお話してみましょう。

1月26日のおだやかな午後、沖ノ鳥島で釣りをしているあなたを想像してみて下さい。

西にはスマトラ島、北には駿河湾、東にはハワイ、そして南にはチリがあります。

これらの場所は何?
そうです、地震の多発地帯です。

沖ノ鳥島へは、スマトラ島から3時間で津波が来ます。
駿河湾からは20分で到達します。ハワイからは8時間、チリからは丸1日かかります。
そして、天災はあなたの知らないうちに起こりました。

チリ沖で1月25日の午後3時にマグニチュード8.0の地震が起こりました。
ハワイ沖では1月26日の午前7時にマグニチュード7.5の地震が起こりました。
そして、スマトラ沖でも1月26日の丁度お昼にマグニチュード8.5の地震が起こりました。
更になんと駿河湾でも1月26日の午後2時40分にマグニチュード9.0の地震が起こってしまいました。

1月26日午後2時45分、あなたは何も知らずに、沖ノ鳥島で釣りをしています。
しかし、刻一刻と津波はあなたのいる場所へ迫ってきています。
チリから、ハワイから、スマトラから、そして駿河湾から・・・。

2時59分、あなたは異変に気がつきます。
白い波頭を上げた10メートルを越す波がなんと東からも、西からも、南からも、北からも近づいてきます。

幸い、長いロープを持ってきており、さっきまでスキューバダイビングをしていたので、
酸素ボンベも足元にあります。
あなたは、とっさに酸素ボンベを背負い、
長いロープで、沖ノ鳥島の頑丈な岩に体を縛り付けることが出来ました。
そして、午後3時・・・・・・・・!!

津波があなたに襲い掛かります。
背中にものすごい衝撃を感じています。
おなかにも、ものすごい衝撃です。
右腕、そして左腕、もの凄い波のうねりに翻弄されています。

翻弄されるなどという軽いイメージではありません。
あなたは死に物狂いで、津波の中で耐えているのです。
酸素ボンベから呼吸は確保できています。
しかし岩に縛り付けた身体も津波の強さで幾度となく、激流に流されそうになります。
もう ただただ身をませるしかありません。

15分後・・・・・。津波はおさまりました・・・。あなたは命からがら助かりました。
海は今起こったことが嘘のようにおだやかです。
たくさんのウミネコがあたりを飛び回っています。

津波に翻弄されていた「いま」、「この場所」にいるあなたは、何だったのでしょうか。
そこには、「24時間前」の「チリ」の衝撃がありました。
「8時間前」の「ハワイ」の衝撃もありました。
「3時間前」の「スマトラ」もあり、「20分前」の「駿河湾」もあったのです。
「いま」、「この場所」に「いくつかの時刻」の「いくつかの場所」の状態が怒涛のように包み込まれていたのです。

突然、沖ノ鳥島は、夜になってしまいました!!
空には満天の星が輝いています。
あなたは、先ほどの経験を思い出しながら夜空を見上げています。

先ほどの経験と似たことが、夜空を見上げた時に、あなたの網膜の中でも起こっています。
夜空の星を構成している電子が揺れると、光が出ます。
その光が宇宙空間を伝わってきて網膜の中の電子を揺さぶります。

これが、「見る」ということです。

言うまでもなく、星の中の電子が揺れることは、地震に対応し、出てくる光は津波です。
伝わってくる宇宙空間は 海で、揺さぶられる網膜の中の電子は、沖ノ鳥島にいたあなた ということになります。
そして、カシオペアはチリ、オリオン座はハワイ、ケンタウルスはスマトラ、北極星は駿河湾ということになります。

夜空には無数の星々があります。そして地球からの遠さも様々です。
また星と星の間の暗いところも、なにも無いわけではなく、宇宙背景放射という
ビッグバンの時の名残りといわれている光で満たされています。
つまり、夜空の暗いところを見ている時、それはビッグバンを見ているといってもいいわけです。

津波のお話では、「いま」、「この場所」に
「いくつかの時刻」の「いくつかの場所」の状態が包み込まれておりました。

夜空を見上げる時には、網膜の中の電子は、「あらゆる過去」、「あらゆる宇宙空間」からやってくる
光の津波に揺さぶられることになります。

さらに、光の場合は未来からやってくるものもあります(何それ!って驚かれるかもしれませんが)。
地震に例えれば、2時40分に起こった駿河湾の本震と、3時20分に起こった駿河湾の余震とで発生した津波が
両方とも3時に沖ノ鳥島のあなたの所にやってくるということが、光の世界では起こっております。

2時40分に発生した津波は遅れて3時にやってきますので、「遅延波」と呼ばれている一方で、
3時にやってくる3時20分に発生した津波は、未来からやってくる為「先進波」と呼ばれています。
もちろん実際の津波ではこんなことは起きませんが、光や電子といったミクロな世界では、普通に起こっています。

従いまして、夜空を見上げたときの話に戻しますと、「いま」、「この場所」の網膜の中の電子は、
「未来も含めたあらゆる時刻」、「あらゆる宇宙空間」からやってくる光の波に結果的に揺さぶられることになるのです。

言葉を変えれば、「いま」、「この場所」に「過去も未来も現在も」、そして「全宇宙」が包み込まれているのです。

これが、「時間」や「空間」に当てはめてみた場合の、華厳の数論、一即多の物理的な解釈の例です。
光と電子の相互作用における例です。

ちょっと、物理っぽく数式を見てみましょう。「いま」、「この場所」の網膜の中の電子の状態は、

∫dr'∫dt'J(r,t)(1/4π|r-r'|)δ((t-t')-|r-r'|/c)J(r',t')

と書くことが出来ます。

堅苦しく言えば、光と電子の相互作用における「いま」、「この場所」の作用の密度の式です。
ちょっとだけ我慢してください。これを、右から左へ読むのです。

一番右のJ(r',t')は、r'という場所にある星の中の電子がt'という時刻に揺れたことを意味します。
右から二番目の(1/4π|r-r'|)δ((t-t')-|r-r'|/c)は、光の津波です。
r'という場所でt'という時刻に発生した津波が、rという場所にtという時刻に到達したことを表します
(これは星の中の電子から球面上に光のスピードで広がってゆく波です)。

そして次のJ(r,t)は、揺さぶられる網膜の中の電子でして、「いま」がt、「この場所」がrということになります。
最後の∫dr'∫dt'は、おまじないのようなものでありまして、
全てのr'と全てのt'について足し合わせるという意味です。
つまり全ての星の、そしてそれぞれの星の中の全ての電子について揺れた全ての時刻を足し合わせるという意味です。

星の中にある電子達に1,2,3,4,5・・・と番号を付けて、
それぞれの場所と揺れた時刻を(r1,t1)、(r2,t2)、(r3,t3)、(r4,t4)、(r5,t5)として、

J(r,t)(1/4π|r-r1|)δ((t-t1)-|r-r1|/c)J(r1,t1) +
J(r,t)(1/4π|r-r2|)δ((t-t2)-|r-r2|/c)J(r2,t2) +
J(r,t)(1/4π|r-r3|)δ((t-t3)-|r-r3|/c)J(r3,t3) +
J(r,t)(1/4π|r-r4|)δ((t-t4)-|r-r4|/c)J(r4,t4) +
J(r,t)(1/4π|r-r5|)δ((t-t5)-|r-r5|/c)J(r5,t5) + ・・・

と書いてもいいのですが、宇宙には無数の星と、星を構成している無数の電子がありますので、
いちいち足し算で書いてゆくと紙がいくらあっても足りないので、∫dr'∫dt'というおまじないで代替するわけです。

しかし、このように書き下してみますと、イメージがわきやすいです。
光と電子の相互作用における「いま」、「この場所」の作用の密度は、
あらゆる時刻あらゆる場所との相互作用について、無限回の足し算をしてあげないと求めることが出来ないのです。

tで表される「いま」、rで表される「この場所」すなわち網膜の中の電子に、
「過去、未来、現在」の、そして「全宇宙の場所」の星の中の電子の揺れが伝わってきて足し合わされる、
つまり包み込まれるわけです。

とくに、全部の時間、全部の空間を足し合わせて、包み込むことを、特別に「畳み込む」と言ったりもします。

このちっぽけな瞳の中に、全宇宙が畳み込まれているからこそ、
そして、この一瞬の中に過去や未来が引き継がれているからこそ、
カシオペアやオリオン座、ケンタウルスや北極星を知覚できるわけです。

これが、光と電子の相互作用の基本構造です。
「見る」という事に限ってお話をしていましたが、私たちの営みを物理的に観察してみますと、
こういった光と電子の相互作用で表されることがほとんどです。

したがいまして、こういった事が、いたるところで、絶え間なく、起こっているのが、
「この私たち」ということになるのです。

釣竿が、ぴくぴくと引きました。あなたは、はっと目が覚めました。
時計を見ると、ちょうど午後3時です。
1月26日のおだやかな午後のことでした。

目の前には水平線のどこまでもおだやかな海が広がっています。



華厳の数論3
参考文献:生きてゆくためのサイエンス 平野勝巳 人文書院
法界縁起=事事無礙

華厳の数論2を「岸善生さん」の文章で頭痛を起しながらクリヤーした皆様お疲れ様。
密教が分かるためにはこの華厳の思想が重要なのです。

空海は華厳思想を真言宗の手前、第九住心に当てはめて高く評価しています。
中でも存在論として「事事無礙」の思想は重要です。

「事」というのは現象、あるいは現象界の事実です。
「無礙」は物質的に場所を占有しないことです。

物事は一つ一つお互いに異なっているのではなく、融けあっている、
決してお互いに排除するものでなく、融け合って滞りが無いということです。

現実の世界では物理的な空間の一部を一つの物体が占有すると、他の物体はその場所を占有することはできません。
物体と物体がお互いに排除しあうからです。

しかし私たちの感覚を越えた世界に思いをはせると、一つの物体の占有する空間に、他の無数の物体が働きかけています。
一粒の米を見た時に、太陽の光が有ったことが分かります。
水が雨となって恵みを与えたことが分かります。
農家のおじさんが刈り取ったことが分かります。

米粒が一つあることは多くの縁起によって支えられているのです。
このように相互に依存していることを、華厳経では法界縁起と呼んでいます。

華厳と複雑系科学

「科学的な根拠」という言葉が日常生活の中で信頼を得ています。

ところが従来の科学は、実は複雑なものを単純なモデルに置き換え、
その単純さを組み合わせたり、組替えたりすることで複雑さは証明できるのだと勘違いしていたのだと、
複雑系の科学は主張するのです。

その複雑系科学の先端科学者・中村量空先生は複雑なものを理解するのに、
華厳経の法界縁起がヒントになると述べています。

複雑系の特徴は次の三つによって集約できます。

(1) 開放系      限りない広がり=重々無尽・空性
(2) 非線形性     突然変化するように見える
(3) 組織性      体験により認識が変わり、その認識が世界を創る

開放系とは香港で蝶々が羽ばたきすると、ニューヨークがやがて嵐になるという「バタフライ効果」として知られています。
経済の動きも同様に、地球規模で変化しますので、閉鎖系の科学では解明できません。

スマトラ沖地震の情報で私たちの魂は悲しくゆすぶられました。

華厳経では私たちの心は、すべてを照り映す水晶の玉だと言います。
その玉がお互いに繋がっていて、帝釈天の世界では大きな網となっています。情報のネットです。
そしてある人がその網の端を引くと、次から次へと伝播して、玉はベルに代わりこの世界に交響曲を流しだすそうです。

バタフライのような小さな動きが、世界を動かす大きな動きに変わるのです。
環境も情報も開放系なのです。

非線形性とはそのような動きを示しています。
1+1が2にならないで、予測不可能な変化をするのが一般的なのです。

男と女が結婚しても2とならず、子供ができて3になったり、ならなかったりします。
この理論を華厳経では「因」と「縁」と「力」の要素によって世界を作るというのです。
中村先生はこう言います。

「たとえばコップを考えてみてください。
 コップには容器の有の部分と、液体を満たすための空の部分があります。
 空の部分が無ければコップの意味をなさないことは自明です。

 ところが近代科学は実体の無いものを対象にしてこなかったために、
 有と密接に繋がっている空の重要さがわからなかったのです。

 実体としてのコップの容器ばかりを分析し、研究していたらどうなるか。
 そもそも液体を注ぐためにあるコップの本来的な意味が見失われてしまう危険性がある。

 科学に有と無をトータルに見る視点が無かったから、
 今の環境問題や生命操作などの諸問題が生まれてきたと言っていいでしょう。」 

組織化とは無秩序な状態から、何らかの秩序の状態になることを示します。
ところが生命のような複雑なシステムはどんな構造を作り出すかを自分で選び取っていく、
自己組織化をして成長していきます。

その自己組織化が華厳経では、善財童子の求道遍歴の旅に表現されています。
王様、長者、仙人、医師、外道・・・さまざまな人との出会いにより、
それまでの自己と照らし合わせながら、意味付け自己を変貌させていくのです。

人と会い話しを聞くたびに、過去を乗り越えアウフ・ヘーベンしていくのです。
アウフ・へ―ベンとはヘーゲルの言葉で否定して・高めて・保持するという三つの意味の含まれたドイツ語です。

過去を大切にしながら、否定し、含んで越えていく、この思いがあると人は成長します。

そのような自己組織化・認識成長の過程が次に述べる四種法界です。

認識成長の旅

法界(世界)には四種類あります。

事法界(現象世界)、理法界(真理世界)、
理事無礙法界(真理と現象が重なった世界)、事事無礙法界(縁起の世界)です。

あなたの意識の成長とともに、この世界が順に見えてきます。
現象世界しかないと思っていたら、実は精神世界があると分かり、
精神と現象が重なっていると分かった後で、縁起の世界が分かるのです。

最初と最後が同じように見えますが、まったく違うものです。

それを禅では「覚り終わって、山はまた山、川はまた川。」と述べているのです。
すべてのものが縁起により成り立っていることを、身に付け自覚することが重要なのです。