神は「どこに」降りるのか?
神は「どこに」降りるのか?


日本の仏教とチベットの仏教やタイの仏教とは・・・同じ仏教なのでしょうか?

このような疑問が、チベット仏教を研究しているうちに、起こってきました。

「仏教とはなにか?」を調べるためには、日本の仏教の元になっている、
神仏習合思想についての理解が必要になりました。

そこで神道についての研究が必要になります。
日本書紀・古事記の中に書かれている「神概念」を発見しなくてはなりません。

神は天から降りてくるものです。

降りてくる先のことを「神籬:ひもろぎ」と呼びます。
依代というコトバもあります。

ピラミッド状の神奈備山がその一つです。
また、大きな磐座にも降臨します。
そして、神社の天に伸びている大木にも。

     

伊勢神宮には20年後に移動する先に「心の御柱」が埋めてあります。

もっと小さなところで、常磐木・・門松になります。
松竹梅は常盤木の代表です。

生け花やお茶では「立てる」という言葉を使います。
立てることにより・・降ろすのでしょう。

仏像も「金銅製」が耐久性にもすぐれ、祀るには最適なのですが、
日本だけは「一本の木」で出来た仏像彫刻が流行りました。

神様の数は・・一柱・・二柱・・と数えます。

神とは示す編に・・申すです。
申すとは、漢和辞典で・・田に降りてくる、雷の意味と書かれています。
示すは密教では人差し指を伸ばす「印」になります。
気功では「一指禅」のことを暗示します。

鹿島神宮の入り口の雷の落ちた木の切り株

ネイティブ・アメリカンも、錬金術でも、チベット密教でも・・・
雷(サンダーボルト)を神の象徴として使います。

それが、バジュラ(サンスクリット語)・・ドルジェ(チベット語)・・金剛杵(日本)なのです。

いつ私の頭頂に・・雷は落ちてくるのでしょうか?

神の形

 

葦原の中国の平定

天照大神の国:高天原にいた神々は、混乱している地上を平定するために、
出雲の大国主命に使者を送りました。

最初の使者、天穂日命(アメノヒボコ)は大国主命がすばらしいことを知り、
この国に留まることにしました。

なかなか使者が帰ってこないので、次に天稚彦(アメノワカヒコ)を使者として送りました。
彼は大国主の娘、下照姫と結婚してしまいました。
国津神の大国主命の懐柔策は見事なものでした。

そこで天照大神は高御産巣日神(タカミムスビノカミ)と軍師:思金神(オモイカネノカミ)と
相談し、建御雷之神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)を
地上に送ることにしました。

副官として天鳥船神(アメノトリブネノカミ)に送られて、
出雲の稲佐の小汀(おはま)に着きました。

建御雷之神は海岸に十握の剣(トツカノツルギ)を逆さに立て、武威(戦闘意欲)を表わしました。

これを見た大国主の命は、戦闘意欲を失い、降伏の意味で平国の広矛(クニムケノヒロホコ)を
受け取りました。

しかし息子の事代主神(コトシロヌシノカミ)を呼ぶと、彼は戦っても無駄だと知り、
呪術「天逆手」を打ち「青柴垣」をつくりそこに隠れてしまいました。

次の気の荒い息子:建御名方神(タケミナカタノカミ)が岩を片手にやってくると、
建御雷之神と取っ組み合いになりました。これが相撲の始まりです。

建御雷之神(タケミカヅチノカミ)は組む手を氷の柱や刃の手に変えて、
建御名方神を諏訪に追いやってしまいました。


    香取神宮の絵画

今でも出雲大社には大国主命が、諏訪大社の上社には建御名方神、
下社には事代主神が祀られています。
また、建御雷之神は鹿島神宮に、経津主神は鹿島神宮に祀られています。

本居宣長はこの物語を事実と考えましたが、物語は「誰かの言ったコトバ」です。
その奥にある真実を探すことが叡智(グノーシス)となります。

この物語の背景には、記紀(古事記・日本書紀)を作った
大和朝廷の出雲支配の歴史が隠されているのです。

もう一度、歴史を見直してみませんか?

    日の丸とさざれ石

         「さざれ石の巌となりて、苔の生すまで・・・」