カトマンズ・コード
真実は隠される

小説・そして映画化したダ・ヴィンチコードは、異端派キリスト教の隠した秘密を
ハーバード大学教授ロバート・ラングドンとフランス司法警察暗号解読官の美しい女性・
ソフィー・ヌヴーが、ヨーロッパ中を追っ手から逃げ回りながら、謎を解き明かしていく物語です。

ここには「歴史の中で、真実は隠される」という考え方が潜んでいます。

歴史とはその当時の勝者が描く事実に過ぎないのです。

そしてキリスト教の歴史は、異端派を排除してきた正統派キリスト教の歴史です。
それは歴史の最後に残されたものが、最善なのではなく「悪貨が良貨を駆逐する」という
経済のコトワザのように、強いものの歴史なのです。

異端派は叡智(智慧)の宗教を説きました。
正統派は信の宗教を説きました。

「信じるものは救われる」と説いたのです。
仏教の初期には総合学問として密教が最初に日本に入ってきました。

しかし「密教=複雑系」は深い叡智がないと解けないので、「貴族の仏教」と非難され、
一般大衆向けに「信の仏教」浄土教が普及しました。
はたして大衆に理解できる簡単な宗教が良いもので、複雑な宗教が悪いものなのでしょうか。

さてあなたも美人解読官になって、この世の中のカトマンズ・コードを解いてみませんか?

シンボリズム=宗教象徴学

信の宗教=正統派キリスト教・浄土教は、言語(コトバ)によって智慧が得られると考えますが、
叡智の宗教=異端のキリスト教・真言密教は、言葉や説明では真実を伝えられえないと考えました。

そこで彼らは宗教的シンボリズムにより、教えを伝承しようとしたのです。
日本人が英語を学ぶと最初に戸惑うことは、辞書を引くとたくさんの意味が併記されていることです。

日本語の文字と英語の文字がまったく同じ意味ではないということは、
言語概念が違うということに由来します。
あなたの「境界のない・水晶のように澄み切った・永遠の心」がとらえた体験の真実は、
ヴィジョンやイメージやバイブレーションに過ぎません。

ところがそれを言語化することは、真理を断片にちぎっていることになってしまうのです。
シンボルとは、それを見ることにより、さまざまなイメージを受け取ることのできる形態エネルギーを
内在している形のことを言います。

シンボルも外国の言葉と同じで、多くの概念を同時に内在し、発信しています。
そして受け取る方の受像機次第で、いろいろなメッセージが受け取れるのです。

形態エネルギーの声を聞く・・・叡智


ブッダの眼・智慧・目覚めた人

宗教象徴学の中で、眼を考えてみましょう。
カトマンドゥの中央はスワヤンブナート寺院です。

写真では多くのチャイトヤ(仏塔)の奥にストーゥパ(卒塔婆)がそびえ、
その中央に半眼になった目が描かれています。
眼は覚りの智慧の象徴です。

   

私たちはまだ眠っていて目覚めていません。
その状態を無明(知らない)といいます。

まだお母さんのお腹の中(マトリックス=胎蔵世界)にいるのです。
あなたにそのことがわかるようになると、目がそっと見開かれます。
半眼になるのです。智慧が手に入るのです。

瞑想の際の半眼は、肉眼の二つの眼で見るのではなく、
額の眼(サードアイ)で見ろという教えの象徴です。

   
マトリックス・物質世界・胎蔵世界

それではお母さんのお腹の中はどのような象徴でしょう。

ヒンドゥー教の世界ではヨニとシヴァリンガの合体がそのシンボルです。
天に向かって突き上げているシヴァリンガ
(精神世界と物質世界を結ぶもの=天の御柱=ヤッキン・ボアズ)。

   

それを囲んでいるヨニ(物質世界)の合体像がカトマンドゥのいたるところところにあります。
今、生まれたと思った私たちは・・まだお母さんのお腹の中なのです。

そして世間の人たちが言っている、死とは・・・宗教的価値観では再生であり、
死ぬこととは精神世界(魂のふるさと)に帰ることなのです。
スワヤンブナート寺院にはチャイトヤ+シヴァリンガの石造もあります。

   

宗教象徴学において死を思え(メメント・モリ)こそ、覚りへの道筋なのです。

バジュラ・精神世界・金剛界

スワヤンブナート寺院入り口の仏塔前には石のバジュラが置かれています。
これは仏教におけるシヴァリンガ(男性性・精神性)の象徴です。
下に置かれている丸い円盤は、女性性・物質世界(マトリックス)の象徴です。

   

この円盤こそが、曼荼羅世界であり、四角と丸と三角で、神聖幾何学の図形が描かれています。
バジュラは1と2と5と10の象徴性のシンボルです。

この道具を持つことで私たちは高度の意識に変容でき、
精神世界の強力なエネルギーを手にすることができるのです。
映画スターウォーズのジェダイの騎士たちは、この棒をエレクトリックソードとして使用できました。

修行者にとっては、念を氣のエネルギーとして照射できるのです。

曼荼羅・マンダラ・イデア世界

マンダラは覚りを得るというサンスクリット語からきています。
真如の世界のことをマンダラと呼びます。

ところが日本語の語源として、「マダラ模様」となり・・・
バラバラでよくないというイメージが付加されてしまいました。
個というものの存在しない真の世界は、みんな違ってみんな良い・・・
マンダラ世界なのですが・・・!!

マンダラとはストゥーパ(卒塔婆)を上から見た平面図であり、
見つめるだけで覚りを開けるるという絵画なのです。

   
ヒマラヤ・雪蔵(ヒムアーラヤ)・無意識世界

密教では心の世界は階層的に出来上がっていると考えます。

表層に自我意識があり、その奥にある最初の無意識をマナ識(自我にこだわる心)といいます。
次の無意識がアーラヤ(蔵)識です。
ここには多くの前世体験が埋め込まれていますので、夢の中や催眠療法により、

前世の記憶を導いてくることもできます。
この埋蔵物(埋もれた記憶)を掘り起こし浄化させるために、
密教では瞑想やお経による修行が必要になると考えているのです。

足の裏・フットステップ・目に見えないもの

犯人が去ると足跡を残します。

お釈迦様が亡くなってから人々は彼の業績をしのびその思いを残そうとしましたが、
直接の形を描くことははばかられ、足の形を描くようになりました。

その足型は毎朝ティカによって祭られています。
この写真はカトマンズ旧王宮の御神木の祠にある足型です。

「すぐれしもの」は眼に見えないという象徴なのです。

   

「眼に見えないものしか信じられない」近代人の叡智とは、何なんでしょう?
「次元を超えたものの存在」は低次の次元では見えないのです。

蛇・ナーガ・龍神

お釈迦様が覚りを開いたとき、雨が降ってきてそれを避けるために
多くの龍が傘のようにお釈迦様を守ったとされています。

この写真ではその中央にシヴァリンガがあり、
黄色い三叉戟と赤いオームの文字が描かれています。

     

ナーガは流れるエネルギーであり、水の神、竜巻の神なのです。
クンダリーニを上昇する三巻半の覚りのエネルギーなのです。

雲がこの形になることもよくありますので、観察してみてください。

仏像・レリーフ・天上世界

カトマンズは周辺を低い山々に囲まれた円の形をした都市です。
宗教者はこれを蓮華世界と呼び、神の世界がこの世に降りてきたものと考えました。
日本では江戸が風水の智慧を込めた都市として天海上人により作られています。

その天上世界というイデアを、この地に降ろすため多くのレリーフや仏像を、
町のいたるところに散りばめたのです。
錬金術ではこの考えを「上にあるものは下にあるものの如し・As above So below」と述べています。

そのために風水都市として、エジプトのオベリスクをパリのコンコルド広場に持ち込んだり、
ワシントンに持ち込んだり、ペンタゴンという五芒星の形態エネルギーを軍事基地に使用しているのです。

これは深層意識における最先端科学なのです。

太陽・日の出・大日如来
 
         

カトマンズの西200キロメートルの地、登山基地ポカラの朝日です。

太陽は熱エネルギーを地球に与え、緑の世界を作り出しています。
太陽系惑星・地球は太陽の存在なくして考えられません。

だから大日如来というシンボルは、太陽をあらわしているのです。
その力(エネルギー)はすべてに浸透し、生きとし生けるものを育んでいます。

そのことを仏教用語で「神・仏が内在している」といいます。
ところが日々の生活では、なかなかその太陽を見ることはありません。

朝昇る太陽は、昼の太陽よりも多くの「気力エネルギー」を持っていて、
病気を癒す力にもなるのです。

ぜひ皆さんも、たまには早起きをして朝日のエネルギーを受けてみませんか?

大黒天・マハカーラ・降魔尊

スワヤンブナート寺院の中に、ブータン寺があります。
その本堂の横にある大黒天のお堂からは風のように氣エネルギーが流れてきます。


上部の扉が開いて金網になっているのです。
扉の周囲には死を乗り越えたものの象徴として、頭蓋骨拝(カパーラ)や頭骸骨の絵が描かれています。

   

紺色の顔は大黒天がアシュク如来の化身(アバターラ)であることを示しています。
魔を持って魔を懲らしめる、密教思想の象徴性があふれているのです。

修行者・サドゥー・坊主

ネパールのパシュパティナート寺院には、ミルクしか飲まずに生きる行を選んだ
(どこが偉いんじゃい!!)ミルク・ババが居ます。

欲望が人の心を虜にしてしまい、メクラ(無明)にさせると仏教やヒンドゥー教では考えています。
ヒンドゥー教では髪の毛を伸ばし放題にして、顔にペインティングをすることで
行者であることのしるしとなり、バクシーシ(布施)を受け取る資格を得るのです。

日本では髪の毛を切ることで、異形の風体となり修行者となるのです。

     

欲望からの誘いを断って、気楽に生きていきたいものです。