チベット人にとってシャンバラという世界は、極楽浄土と日本人が言うような死後の世界ではなく、
今この世の特定の地域に存在する現実世界なのです。
現実世界が一時的なものであるという思考から、仏教は始まりました。
私たちの魂は輪廻を繰り返し今ここにいるけど、
この世界だけが現実であると考えることは、幻であると考えています。
仏典の言う現実世界とは何でしょう。
華厳経の華厳世界品によると、世界は数多くの風輪が重なっていてその最上階に香水海があり、
海の中に一本の茎が突き出ていて、その上にある蓮華世界を支えていると考えています。
蓮華の花弁は雪山の形で香水の海を囲み、中央の大地は金剛(ダイヤモンド)で出来ています。
その中心にある花托は果実を収める穴がいくつもあいていて、それがまた香水海となっています。
その香水海の一つ一つに同じ様な世界があります。
その数は「不可説仏刹微塵数(ふかせつぶっせびちんざすう)」というのです。
その多数の世界のひとつに娑婆世界(この世)があるのです。
哲学者デカルトは「我思うゆえに我あり。」という言葉によって
精神と物体の二元論を後世に残しました。
しかしこの「ゆえに」は何の意味もありません。
「我思う」と独断することにより自我の存在を創造してしまったのです。
この考えが西洋近代の世界を作り、今その世界が崩壊しかかっています。
この世界観と相反する世界を真言密教では唱えています。
空海は「世界の構成要素は六大喩伽(ゆが)である。」というのです。
世界は六大(地・水・火・風・空・識=固体・液体・エネルギー・蒸気・氣・意識)の物質と
精神が混ざり合い(喩伽)出来上がっていると考えています。
それは重々無尽(華厳経)に重なり合って存在しているのです。
シャンバラが重なり合って存在しているとは、このような現実世界の見方が仏教(密教)にあるからなのです。