チベット・カイラスに天空の城を見た・2
虹の橋をくぐる


シガツェは標高3900m。
この日越えたギャムツォ・ラ峠は5220m。
峠の頂上にはオボという石の塔が立ち、五色のタルチョがはためいています。

タルチョ(地・水・火・風・空を意味する五色の旗)は、
チベットの仏教徒がそれぞれの祈願を込めてオボに巻いていくのです。

峠からの風景を楽しんでいると、行く手の谷から突然竜神のように風が舞い上がり、
立っていられないほどの強風が吹いてきました。
あわててランクルに戻り、車はラツェへの道目指し峠を降り始めます。

峠を降りきったところで風が止み、後ろを振り返ると道路には大きな虹がかかっています。

「虹の下をくぐって、聖地に入ってきたんだ!!」

車を止めて広大な風景にかかる虹の橋を見ながら、
この土地の神に歓迎されている思いを仲間同志で口にしました。

「ラッキーシンボル・吉兆だ!!」
ガイドのプンチョまで笑顔で答えます。

カイラス巡礼を目指しチベットを訪問したインドの巡礼者たちの中で、
カイラスを歩いてコルラできる人は1割程度だといいます。
私たちも高山病に心配しながらここまで来ましたが、
人間の努力のバックには神の助力が必要なのです。

身体的な努力のほかには神仏に祈念することが残されています。
私たちは富士山での祈念や、出発2日前に奥多摩・御嶽神社での滝行による禊ぎまで済ませてきているのです。

やれるだけのことはやりました。後はその結果を素直に受け入れるだけなのです。
その結果がこの虹のように思えました。

           
シェルパと出会う


ラツェでの一泊もそこそこに早朝出発です。
今日は250キロの行程。
高速道路なら2時間でいける距離ですが、ランクルの走る砂漠では8〜10時間。
走り始めると車は左右にゆれ、うとうとすると窓に頭をぶつけます。

毎日が移動の旅を3日も続けると疲れが出てくるのです。
夕方たどり着いたサガでは青いテントが4張り、緑の大きなテントが2張り、
緑の草原の上で待ち構えていました。

黒く日焼けした中年のシェルパが笑顔で「ティー・サー」と一言。
差し出されたネパール・ティーの甘さも疲れている身体にはとても心地よく感じました。

チベット人スタッフのぶっきらぼうな対応では味わえない、シェルパたちの人柄に、
ついこちらも笑顔になってゆくのがわかります。
聞くと、1週間前にイタリア人とカイラスをコルラをしたばかりだそうです。

シェルパとはネパールの山岳民族の名前です。
ヒマラヤ登山のサポートにイギリス人が教育し、規律正しい態度と英語教育が行き届いているため
チベット、ネパール、北インドのトレッキングのサポートには欠かせない存在です。

リーダーのペンバはエベレストに2度も登っているのです!!
2回目の時は日本の三浦雄一郎がエベレストを登山している時です。
彼もすぐそばのイタリア隊に参加したので、最高年齢の登山には感激したと語ってくれました。

河口慧海の足跡とアネハヅルのヒマラヤ越え


サガからバルヤンまでは250キロ。
砂漠の中を一路カイラスを目指します。

周囲は草原のみ。ところどころに遊牧民のテントと羊やヤクの群れ。
見えるものは遠くの山と空と地面だけの単調な風景になります。

バルヤンからは南にヒマラヤが見え始めます。

    

100余年前、日本人の僧・河口慧海はネパールのジョムソン地域からヒマラヤの峰を越えて、
このチベットに歩いてたどり着きました。
身分を偽りカイラスをコルラ(巡礼)し、ラサに潜入しました。
そして最後にはダライラマ法王の御殿医にまでなってしまったのです。

遙かに見えるヒマラヤの峰を見ながら、こんな距離を歩く人の心が知りたくなりました。

そのヒマラヤの麓ジョムソンでは、80歳の近藤亨先生がボランティア活動をしています。
メンバーのAさんは2ヶ月間その農場でお手伝いをしていました。
私も先生をサポートする会のメンバーです。

野鳥の会のIさんも同じメンバーで35年前ジョムソンに行ったことがあります。
その時、彼はアネハヅルのヒマラヤ越えを見ているのです。

10月インドからの上昇気流に乗ってチベットからアネハヅルが飛んできます。
ツルはネパール・インドの温かい地域で冬を過ごし、3月にはまたチベットに戻ります。

「チベット高原にいるアネハヅルの写真を撮りたい。」

これが彼のカイラス巡礼の第一の目的だったかもしれません。
ところがバルヤンの高原をランクルで走っていると、すぐ横で鶴が一本足で立っているのです。
あわててカメラを構えた彼は飛翔する姿をキレイにカメラに収めることができました。

「こんな広い高原なのに、何でこんなところにいるの?」

運が良い!!
これがすべてに重要なのです。

でも運の良い理由はなんなのでしょう?

マナサロワール湖・4588mとナムナニ峰・7728m


バルヤンから250キロで第一の目的地マナサロワール湖です。
そのありさまを河口慧海の言葉を借りて述べてみましょう。

「マナサロワール湖の景色の素晴らしさは、豪壮雄大、清浄霊妙のありさまが湖辺に現われている。

 池の形は八葉蓮華の花の咲いたごとく、湖中の水は澄み返って空の青々とした色と、
 相映え浄玻璃(じょうはり)のごとき光を放っている。

 広い湖面を隔ててマウント・カイラスの霊峰が巍然(ぎぜん)として青空にそびえ、
 その周囲には小さな雪峰がいくつも重なって取り巻いている。

 そのありさまは五百羅漢が釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を囲み、
 説法を聞いているようにも見えてくるーーーー。」

マナサロワール湖はインドの人々にはガンジス川の源流とも信じられていて、
夏には多くのインド人が訪れ、海水浴場のような賑わいになるのです。
ヨガの行者たちは、ここで沐浴することがカルマを浄化する最高の方法だとも言います。

ネパールのミルクババジの館にも、彼の沐浴するペインティングが描かれています。
しかし私の感激したのは別の原因です。

マナサロワール湖を挟んで真南に、カイラスの妃と言われているナムナニ峰・7728mがあります。
その形を見て驚きました。
北に傾斜した白い雪山のその姿は、沖縄の墓のように受けていて、
中央に穴が開いているような凹みがあるのです。

ヨガの行者にとって男性性器の形をしたリンガと、女性性器の形をしたヨニは最高の信仰の対象です。
カイラスが岩峰の男性自身とは想像できましたが、女性自身の象徴も用意しているとは!!

チベット仏教ではオン・マニ・ペメ・フンと言う観音様のマントラが有名ですが、
マニは宝珠(珍宝=金剛)と蓮(胎蔵)のことを指します。

どの国の宗教性の奥にも、性をシンボルとした不思議な象徴性が隠されているのです。

カイラス・コルラを始める


コルラの出発地点はマナサロワールから車で2時間のダルチェンです。
この日はゆっくり休んで翌日から二泊三日、50キロメートルの右回りのコルラです。

チベットの昔からの宗教ボン教徒はここを左回りに回ります。
ヒンドゥー教徒と仏教徒は右回りです。

カイラスは別名カン・リンポチェ(グル・パドマサンバヴァ)、チベット仏教徒にとっては、
前世のカルマ消滅の一大聖地です。

河口慧海は天然の曼陀羅巡りと称しています。


       カイラスは神の山

実はここに来る2日前に、「雪が多くて登れなかった。」と話していたアメリカ人達とすれ違いました。
ガイドに聞いたら彼も心配そうです。

そこで山を回るのは無理かもしれないと弱気になって、シェルパに聞いたところ
「馬で行けるところだよ、誰でも行けるよ〜。」との返事です。

エベレストに登っている人にとっては、カイラスなどは山とは言わないのです。
彼の言葉に勇気付けられ一同勇んで歩き始めました。

渓谷に沿って奥に進むと右側はカイラス末端の岩峰です。
左側の岩峰からは滝が落ちていますがほとんど凍っているのです。

テントに泊まっているときはマイナス12度。ランクルの中はプラス25度。
1日の中に夏と冬が同居しているのです。

日差しは暑いのですが、5000mの高地は早く歩けるはずありません。
羽毛服を着てゆっくりゆっくり歩く旅が始まりました。

一行は15頭のヤクに荷を乗せ、2頭の馬を雇い、いざと言う時は馬で登ると言う覚悟です。
同行はシェルパ三人とガイドのプンチョです。

          

1日目の行程は5時間。ゆっくり歩いている内に今日の宿泊地ディラ・プク4980mに着きました。
ここまで来るとカイラスは雪の積もった南面ではなく、男性的な北面の岩峰を見せ始めます。

ここまではどうやら高度順応にも成功し、頭痛や睡眠不足に苦しむ方もいません。
しかし明日は最後の登り標高650mが待ち構えています。
そしてその日の内に急坂を標高800m下らなければなりません。

日本の山とは違い現在でも三分の二ほどの酸素量です。
パルスオキシメーターの計測でも日本出発時の20パーセントダウンになっているのです。

不安を胸に抱えながら、夕焼けのカイラス北面に五体投地で祈念しました。

夕食は男性の部屋に集まりシェルパが紅茶と「おじや」を持ってきました。
フリカケ、胡麻、塩昆布などをかけながら食事を始めるとFさんが
「私、駄目みたい〜」と不調を訴えます。

咳と熱で風邪の症状か高山病かわかりません。
心配していると横からガイドのプンチョが、「おれも高山病だ!!明日降りる」と言うのです。

ガイドのチベット人が高山病?!
あっけに取られましたが、しかたがありません。
ガイドには彼女の案内を頼んで翌日は六人のメンバーとシェルパ三人で峠を越えることになりました。

高山病対策は多くの水を飲むこと。この日もその結果として夜、トイレ通いが続きました。
寝つかれないでうとうとしていると、夢を見ました。

赤く燃える情景の中で、逃げ惑う人々の群れ。地球が炎に包まれた滅亡の夢でした。
何度も夢にうなされ、そのたびにトイレです。

チベットのすぐ南、インドとパキスタンはいま、臨戦体制を迎え、
いつ核兵器を使用するか分かりません。

そのような思いがこのような夢を見させたのでしょうか?