女性が始めた仏教の歴史(善信尼)

538年、百済の聖明王が、中国文化の象徴(プレゼント)として仏像・経典を日本に寄贈したことから、
日本の仏教文化は始まる。

その後、物部と蘇我の確執を乗り越えて、仏教は伝来される。

そして587年、飛鳥寺(元興寺)の造営が蘇我馬子の発願により開始された。
翌年百済より仏舎利が献ぜられ、寺工、路盤博士、瓦博士、画工などが来日した。

ところが仏像寺院だけでは、仏教は成立しない。

583年蘇我馬子は、飛鳥寺の本尊・飛鳥大仏を作る鞍部止利の娘、善信尼(鞍作の嶋11歳)ら
三人の娘を得度させることになる。

彼女らは蘇我氏の館の石川精舎に住まっていた。
ところが彼女らを指導する僧が日本にはいなかった。

そこでなんとか探し出された法師が、日本在住の高句麗の恵便だった。
彼は仏教弾圧の中で還俗し、法明という妻がいた。

三人の女性に、慧便の妻である法明が指導者として付き添っていたのだろう。

この様子を見て百済の使者は「この国にはただ尼寺ありて、法師寺および僧なし」
と述べていると、「元興寺縁起」に記されている。

587年、15歳の善信尼は馬子に
「出家の道は、戒律を守ることを持って本分とする。
 願わくば百済に向かって、戒律の法を守ることを学びたい。」と懇願する。

翌年、希望通りに善信尼は百済に行くことになる。

そして2年後に帰国した18歳の善信尼に従って、多くの女性が得度を希望した。

日本書紀には、「この年、度せる尼は、大伴狭手彦連が娘、善徳と妻狛夫人。
新羅の媛、善妙。百済の媛、妙光。漢人、善聡。善通。妙徳。法定照。善知聡。善知恵。
鞍作司馬達等の子、多須奈(善信尼の兄)同時に出家す。」と書かれている。


このようにして、日本の仏教は女性から始まったのだった。


百済の使者の疑問のように、なぜ女性から仏教が始まったのだろう。


日本には、女性は神に近いという信仰が存在しているのだ。
3世紀半ばの卑弥呼の歴史がこの時の人々の心に残っているのだった。

593年に推古天皇が女性として始めて天皇に即位したのも、
女性が神と近い斎王になれるという日本の歴史なのだろう。

推古天皇は、聖徳太子(厩戸皇子)の父・用明天皇の妹であり、
太子は摂政として天皇の補佐にあたることになる。

日本の仏教の歴史は、このように純真な18歳の善信尼から始まったのだった。



飛鳥寺=元興寺(明日香村)


飛鳥大仏(609年鞍部止利作)