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「聖なる科学」の著者、スワミ・スリ・ユステスクワは、アメリカにヨガの偉大さを広め、
そろそろ死ぬよと、マハーサマーディーを実践した、パラマハンサ・ヨガナンダの先生です。
彼はこの本「聖なる科学」でヒンドゥー教とキリスト教の一致を述べていますが、
真言密教の教義とも一致するのです。
月(真実)指す指の表現が違うだけで、真理は一つなのです。
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パラマ・ブラッマ(神・至上霊)は、始めもなく終わりもない不生不滅の存在であり
完全無欠である。
それは一体にして不可分のものである。
人間は五感によって構成された属性のうちに住んでいるため、
同じ次元の属性しか理解できない。
この物質界の人間は、マーヤと呼ばれる「神の幻術」によって映し出されている
その属性の中から自己意識を引き上げて、本来の神性を取り戻さない限り、
この唯一の実体を識ることはできないのだ。
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五感によって構成された属性とは、感覚器官のことであり、
背中にプラグを差し込まれ、感覚器官を制御された人々は、
流れ込んできた情報を現実と認識する。
世間から与えられた認識レベルを超えて真実の世界に行くには、
プラグアウト(自己意識を引き上げる)しなければならない。
コンピュータが支配している仮想現実世界マトリックスを
「神の幻術世界=マーヤの世界」と呼ぶ。
プラグアウトするには、自分とは何かを知ることが必要だ。
自分が神の化身(アバターラ)であると気づいたときあなたはNEOになるだろう。
真言密教ではそれを「ワレは大日如来なり」と言う。
またチベット密教では意識体が輪廻するという。
だから不生不滅なのだ。
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そこでイエスは言われた。「あなた方は人の子(自我意識)を引き上げたとき、
初めて私がそういうもの(世の光・上の世界から来たもの・真の実体)であることを知るだろう。
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パラマブラフマは、潜在するその性質から万物を顕現させる。
全能の想像力の現れはオームで、これから時間と空間と
宇宙原子(波動による創造物構成の原理)が生じる。
オーム・時間・空間・宇宙原子は一つの同じものであって、
本質的には単なる観念に過ぎない。
このオーム(コトバ・アーメン)が外的諸条件(肉)となって現れ、
この可視的世界を作り出しているのである。
このようにオームは、父なる神の性質である創造力が直接現れたものであって、
いわば神ご自身の現れであり、神そのものと同一不可分のものである。
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初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
・・・すべてのものはこれによって出来た。
出来たもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
・・・・言葉は肉となり私たちのうちに宿った。
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五大にみな響きあり 十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり 法身これ実相なり
真言とは言霊のこと。
言葉の波動が交差したところで粒子(宇宙原子)になる。
華厳経では一即一切(時間・空間は)重々無尽(畳み込まれている)という。
だからすべては阿字(オーム)に畳み込まれていると考えるのだ。
真言宗の阿字観の入り口、阿息観という発声法(瞑想法)は
音の波動により宇宙を創りだしているのだ。
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「それが果たされるまで、人は何回でも生まれ変わって、不満足と苦悩を経験しなければならない。」
人はなぜ苦しまなければならないか?
人は自分の肉体を自己と誤認し、真の自己の中にある真の満足を見失っている間は、
本心の願望は決して満たされず、不満としていつまでも残る。
そしてそれを満足させるために、彼は何度も肉体という衣装をまとって、
人生という舞台に登場してくるのであるが、マーヤの支配下にある限り、
生死に伴う苦悩から逃れることは出来ない。
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生死に伴う苦悩を離れるには、自分の中に二人の人格が存在していることを知る必要がある。
お遍路さんを実践する時に「同行二人(どうぎょうににん」という。
一般には「空海さまと二人づれ」といわれているが、
肉体が自分であると思っている私と、それを見つめる私(意識体・アートマン・如来蔵)の存在だ。
私たちが多くの苦しい人生を体験するのは、神である真の自分を発見するためなのだ。
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「スワーディヤーヤ」(深い集中力による学習)とは、霊的真理について読んだり、聞いたり思索したりして、
それについて明確な概念を確立することである。
(明確な概念とは:自分とは何者か、自分はどこからきてどこへ行くのか、自分は何のために来たのか。)
「プラナヴァ」(聖音オーム)を瞑想することは、ブラフマンに至る道である。
これは聖なる宇宙音・オームの河に浸って自己の意識を浄化する洗礼である。
これは解脱に至るための聖なる行法であり、人が落ちてくる(マーヤのとりこになる)前の
ふるさと(父なる神のもと・真の自己意識)に帰るための唯一の方法である。
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創造の波動オームとして宇宙に鳴り響いている宇宙原音に意識を合わせたヨギは、
その音を直ちに自分の理解できる言葉として聞くことが出来る。
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《無辺の生死いかんがよく断つ、ただ禅那(ディヤーナ=瞑想)正思惟のみあってす。
・・・・修習思惟すればすなわち道(悟り)を得、通(神通力)を起こす。》
聖なる科学の「スワディヤーヤ」が思惟にあたり、
「プラナヴァ」が阿字観・阿息観・真言読呪にあたります。
空海が「五大に響きあり」といっているのは、宇宙原音を聞いた体験なくしては言えないでしょう。
「乾坤は経籍の箱なり」とは宇宙は本箱であるとの意味です。
これは虚空蔵求聞持法により、意識を虚空に揚げ、
宇宙原音をコトバとして聞いた空海でしか言えない言葉です。
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あるものは、神は水(大自然)の中に居ると考え、
また、ある者は、神は天に居ると考えている。
愚者は神を石や木(偶像)の中に求めるが、
ヨギは神が自分自身の内奥の聖所に居ることを知っている。
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《それ仏法・遥かにあらず、心中にしてすなわち近し。
真如(真実)他にあらず、身を捨てて何処か求めん。》
「神を聖地に探しに行かなくても良い」と空海は言う。
魂(意識体)は輪廻し続けているのだから、すべてを知っている。
真言を唱え虚空蔵に行けば、私の中にすべての情報(一切智)は眠っているのだ。
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