ザ・ウェイ・トゥ・ヘブン
----覚りへの道----
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この絵は私たちの意識が、いかにして浄土へ行けるのかを描いています。
絵の下の部分から眺めてみましょう。

  第一段目

右端の僧院に仏教の先生(阿闍梨)がいます。
左の縄は瞑想による集中を象徴します。
心を、いまここに(Be here now)、つなぎ止めるのです。

右手の引っ掛ける法具は、嫌がる心の本体(黒いゾウ)と散乱する心(黒いサル)を、
誤った道から正しい道へ導こうとしています。
煩悩の炎は燃え盛っています。

  第二段目

心の本体(ゾウ)と散乱する心(サル)に少し変化が見えてきました。
でもまだ意識の集中のための、心をつなぎ止める瞑想(止観)はしていません。

  第三段目

瞑想を指導されていますが、怠惰な象徴のウサギが出てきてしまいました。
ゾウ(心の本体)もサル(散乱する心)も、先生のほうを見るようになりました。

  第四段目

それまで追われていたものが、自ら従うようになっています。
右端になると修行も進み、怠惰な心(ウサギ)は消え去っています。
煩悩の炎も小さくなり、消えそうになっています。

  第五段目

修行を続けた忍耐の力により、サル(散乱する心)は消え去り、
心の本体が自ら覚りへの道を歩んでいきます。

左端の立ち止まっている阿闍梨は、一ヶ所を指差し「一道無為心」を象徴しています。
左端の洞窟での瞑想は、阿闍梨と自分の心とが一体化しています。
自他不二の心境(無境界)を得た状態なのです。

  第六段目

虚空にかかる虹の道を登り、文殊菩薩に会いに行きます。

空を飛んでいる姿は、修行の結果(クンダリーニの上昇)現れてくる、歓喜の状態を表しています。 
空を飛ぶような、さまざまな神通力が得られるのです。


右端は文殊菩薩に会って、すべての妄想を断ずる、智慧の剣(文殊の利剣)を持って
この世に降りてくる姿です。

この時の背後の炎は煩悩の炎ではありません。

人々を救いたいという大欲の情熱の炎です。

妄想を断ずる智慧の炎なのです。

なぜこの世に降りてくるのでしょう?


この修行は、人々を妄想から救うために始められたのです。
決して、浄土(ヘブン・天国)に行くためのものではないのです。

仏教ではそれを、無住所涅槃(むじゅうしょねはん)と表現します。

心を平安にする(涅槃)ために覚りを得るのではなく、
人々を妄想から救うために、まず自分が修行をしていたのです。