はしら・はし・はしご
 
すべてのものは習合的に存在しています。
だから仏教的な存在と思われている五重塔も、仏教以前の思想から来ているのです。

日本最初の五重塔、法興寺(飛鳥寺)には593年に刹柱(五重塔)建ったと日本書紀に記されています。
この通し柱の下に、仏舎利が埋め込まれました。

まだこの時に仏像は出来ていませんでした。
この後、五重塔を囲むように、三つの金堂が作られました。

当時は五重塔と仏舎利が信仰の対象だったのです。

さてこの信仰はどこから来たのでしょう?


ピラミッドと立柱信仰

 

       


秋田・玉川温泉から車で1時間のところに縄文後期の遺跡、大湯環状列石(ストーンサークル)があります。
面前には二等辺三角形の山、日本のピラミッドといわれる、黒又山(クロマンタ)があります。

縄文人はなぜこのような場所に、ストーンサークルを作ったのでしょうか?
   


昨年はロンドン郊外のストーンヘンジやエイヴズベリーの環状列石を巡りました。

世界には多くの古代遺跡としての柱があります。

エジプトのオベリスク、アショカ王の石柱です。

日本でも伊勢神宮の心御柱は、柱の信仰そのものです。

三内丸山遺跡には高さ20メートルンの柱、吉野ケ里には10メートルの木柱があったそうです。

柱を尊敬する古代人のイメージはどこから来たのでしょう?


カオスから曼荼羅へ

              

縄文時代の大湯には多くの縄文人が住んでいました。
彼らのうちの一部の人が、太陽の運航を眺めていて規則性のあることを直感的に知りました。

そこで定点観測をする場所に、大きな石を立て周りに細かい石を並べて、天の宇宙図を地面に描きました。

春分、秋分を知り一年を知ることにより、カオスであった大自然の営みが、秩序を持った曼荼羅に変化したのです。

        



世界と宇宙


世の中には二つのものしかありません。

私と、それ以外のもの(宇宙・世界)です。


宇宙とは仏教では器世間と呼んでいる唯物論的世界です。

ところがその器世間で生きている私たちは、自分の認識で世界を理解していますから、
太陽の運行という叡智を知ると、わけわからずに動いていた宇宙(器世間)が、
秩序ある世界=曼荼羅にと変容するのです。

柱を立てるという行為は、物質性の宇宙に時間軸を創造する、自我の確立の物語なのです。


宇宙を身体に降ろしてくる呪術


呪術の基本は見立てです。(吉野裕子氏)

当時は身体の五体に当てはまる紙型に念を込めて、病気を治していました。
五体が世界であり、その時の時間軸として、真言宗では散杖、ハリーポッターではワンドという聖なる樹の棒を使いました。

杖を立てるという行為は、民族学者・柳田国男氏が「杖立神樹」と語っています。
弘法大師空海が「杖をついたら水が出てきてそのあとで大きな樹になった。」という神話は数多く残っています。

天橋立に行くと、天にまでとどいていた柱が倒れて、海がせき止められたとの物語が残っています。
その横たわった洲の奥にある神社が「六芒星を印とする元伊勢・籠神社(このじんじゃ)」です。

一本の柱は神の依り代なのです。
だから神様の数も、一柱、二柱、と数えるのです。


では二本の柱には意味があるのでしょうか?


柳田国男氏は「箸立神樹」の物語を伝えています。

人が亡くなると、白いご飯を山盛り盛って、その上に二本の箸を立てます。
ピラミッドのような白いご飯はこの世の世界です。
そこから天に向けて橋(箸)を超えてあの世に行くのです。

チベットの米曼荼羅は、ピラミッド状の米の一番上に、法珠を仏の依り代として置きます。

三輪山のご神体の蛇も、白い身体のウロコが米曼荼羅の山のようです。

周りを海に囲まれた日本では、あの世が橋で越えていけるところと考えていました。


多層塔と多宝塔


多層塔には、五重塔と三重塔があります。

どちらも通し柱が地面まで降りています。
柱の信仰です。

ところが多宝塔は中に仏像が入っていて、通し柱にはなっていません。

高野山の根本大塔は、一層目は方形、二層目は白い円形になっています。
これを亀腹と呼んでいます。

インドやネパールのストゥーパの模型なのです。

亀腹はシヴァ神の生み出した宇宙卵、その上に九輪(九会曼荼羅=金剛界)の塔が立っています。

世界と世界軸のシンボルなのです。


        



現代の科学は普遍性を重要視するあまり、他者である宇宙に翻弄され、
心の内側にある大いなる世界を見失ってしまいました。

自我の世界軸を失ってしまったのです。

もちろんこの自我は、大我と呼ばれる、「自分が世界を救うという、大いなる自我=キリスト意識」なのです。


タロットの秘密

1番:手品師   

彼は左手に持っている杖(ワンド=バジュラ=金剛杵)をどのように使うかわかっていません。
くるくる鉛筆のように回しています。

真言宗では、この段階は金剛サッタ(バジュラを持つもの)とされています。
他の三大要素もうまく使えないので、振り向いてテキストを覗き見ています。

杖(ワンド=バジュラ)は、発菩提心(知的探求心)のシンボルです。
覚りを開こうと新しい世界で、学び始めた初心者なのです。

人に合わせて救う方法を学ぶことこそが、その世界における成功者になることです。


真言宗ではそのことを「立て金剛杵!」と呼んでいます。

縄文時代の、叡智を求める人が、石を立ち上げて世界を把握しようとした行為と同じなのではないでしょうか?

あなたもあなたの心の中の金剛杵(知的探求心)を、立ち上げてみませんか?


5番:手品師   
椅子に座っている法皇の背後には、「はしご」が隠れています。

旧約聖書の創成期に書かれた物語では、天使の降りてくる天から地に至るヤコブの「はしご」なのです。

でも、もしかすると、法皇は現世での贅沢が災いして、この「はしご」には登れなくなっているかもしれません。

だから、人々に教えを説く(ドクサ=臆見)ことができても、
ともに歩く(エピステーメー=智慧)ことはできないのです。

愚者(探求者)としての杖を失ってしまったからなのです。


はしら・はし・はしご


「はしら・はし・はしご」はどれも神仏の世界との上方向への懸け橋です。

それでは下方向にはないのでしょうか?

日本書紀ではそれが黄泉の国に、坂道を降りていくというイメージになります。

同じ地底の国のイメージは、映画マトリックスで描かれています。
その土地の名前は「Zion=ザイオン=シオン=ユダヤの約束された土地」なのです。


ダヴィンチ・コードでは「シオン修道会」のメンバーがマリアの秘密を隠しているとされました。

ダヴィンチの書いた、ヨハネ像は人差し指(バジュラ・ムドラー)を立てて、右回りにひねっています。
弘法大師空海も、右手の金剛杵をひねっています。

印(ムドラー)は何を教えようとしているのでしょうか?


             

気功の身体観に従えば、会陰から頭頂までの中央脈管に「クンダリーニ」のエネルギーを流せという指示に思えるのですが?

あなたも、呼吸に同調させて、中央脈管を開発してみませんか?