臨死体験報告会 
2004年9月25日 まんだらやにて

1982年2月14日早朝。
羽金和恭さんは借りていた車で、千葉県・東金有料道路を走っていました。

有料道路の周辺には車は一台もなく、ワンボックスの車を抜いた、抜かないで
カーチェイスになってしまいました。
ゆるいカーブを高速で曲がっていると、一瞬意識がなくなりました。

気づくと電柱の高さぐらいのところから、下の車を眺めているのです。
ガードレールに衝突し、ボンネットのつぶれたスカイラインのバンの助手席には
彼女が意識を失って横たわっています。
そして自分も横たわっているのですが、上空から二人の姿が車の屋根が透けて見えるのです。

『あ〜車だ〜。』『僕が寝ている〜。』
上空ではぬるま湯に浸っている気分です。
恐怖心はありません。心がすごく安定しているのです。

10分ほど上空を漂っている時間感覚でした。
突然まぶしい光が現れ、見つめると集中治療室の明かりです。
それに気づくと同時に、重い蒲団がのしかかってきたように感じました。

肉体の感覚が戻ったのです。全身の痛みも同時にやって来ました。
たまらない激痛が全身を包みました。
頚椎骨折で72時間意識不明だったのです。

それから一ヶ月間、瞼のみが動く生活をしました。
ベッドの頭上方向には窓がありました。
白い天井を見つめるのに飽き、しばらくしてから天井に鏡をつけてもらい、
ひもで角度を調整し外が見えるようにしてもらいました。

『初めて外を見たときは、外の景色があまりにも綺麗でさ〜。感激してズーっと見てたんだ。
 どんな風景も、みんな輝いてたんだ。』

こう語ってくれた羽金さんの眼は輝いていました。


東金病院の外は、もちろん日常の風景です。
でも本当は、すべてが輝いているのではないでしょうか?

仏教・密教では「認識が世界を創っている。」といいます。
すべてを認める認識になると、すべてが輝くのではないでしょうか?
彼はそのことを、体験して知っているのです。

この臨死体験が、彼を一流のフォトグラファーにさせたのです。
今でもカメラに向かっていると、忘我の状態になり、自分の作品を
「誰が撮った作品だ?」などと助手に聞いてしまうそうですから。