1982年2月14日早朝。
羽金和恭さんは借りていた車で、千葉県・東金有料道路を走っていました。
有料道路の周辺には車は一台もなく、ワンボックスの車を抜いた、抜かないで
カーチェイスになってしまいました。
ゆるいカーブを高速で曲がっていると、一瞬意識がなくなりました。
気づくと電柱の高さぐらいのところから、下の車を眺めているのです。
ガードレールに衝突し、ボンネットのつぶれたスカイラインのバンの助手席には
彼女が意識を失って横たわっています。
そして自分も横たわっているのですが、上空から二人の姿が車の屋根が透けて見えるのです。
『あ〜車だ〜。』『僕が寝ている〜。』
上空ではぬるま湯に浸っている気分です。
恐怖心はありません。心がすごく安定しているのです。
10分ほど上空を漂っている時間感覚でした。
突然まぶしい光が現れ、見つめると集中治療室の明かりです。
それに気づくと同時に、重い蒲団がのしかかってきたように感じました。
肉体の感覚が戻ったのです。全身の痛みも同時にやって来ました。
たまらない激痛が全身を包みました。頚椎骨折で72時間意識不明だったのです。
それから一ヶ月間、瞼のみが動く生活をしました。
ベッドの頭上方向には窓がありました。
白い天井を見つめるのに飽き、しばらくしてから天井に鏡をつけてもらい、
ひもで角度を調整し外が見えるようにしてもらいました。
『初めて外を見たときは、外の景色があまりにも綺麗でさ〜。感激してズーっと見てたんだ。
どんな風景も、みんな輝いてたんだ。』
こう語ってくれた羽金さんの眼は輝いていました。
東金病院の外は、もちろん日常の風景です。
でも本当は、すべてが輝いているのではないでしょうか?
仏教・密教では「認識が世界を創っている。」といいます。
すべてを認める認識になると、すべてが輝くのではないでしょうか?
彼はそのことを、体験して知っているのです。
この臨死体験が、彼を一流のフォトグラファーにさせたのです。
今でもカメラに向かっていると、忘我の状態になり、自分の作品を
「誰が撮った作品だ?」などと助手に聞いてしまうそうですから。