先日、尼崎列車転覆事故の現場に供養のため訪れました。
線路の脇にテントが張られ焼香台が用意され、JRの担当者が10名ほど整列し、
カメラマンが4・5人いるだけで周辺は元の日常性を取り戻していました。
尼崎の駅からタクシーに乗ると「いや〜130キロも出して急がなくても良いのにねー。」
と運転手さんが語っていました。
事故の原因は運転手個人の責任なのでしょうか?
JRの管理体制の責任なのでしょうか?
事故後の報道で気付いたことがあります。
ベテランの運転手さんがブレーキをかけると、車両の込み具合(乗車率)がわかるというのです。
乗客が多いときには思ったよりも前に進んでしまいます。
軽ければ手前で止まってしまうでしょう。
この運転感覚は容易に伝えられるものではありません。
先日、免許を取って3ヶ月目の息子の運転で、高速池袋線を走りました。
息子は曲がりくねった高速道路をためらいなく運転していました。
そこで私はカーブを高速で曲がるときは「スローイン・ファーストアウト」だよと指示しました。
加速して曲がることにより駆動輪に重力がかかり安定するのです。
その際ドライバーはハンドルしか触っていなくても、四輪の動きに意識をおいているのです。
横Gがかかる感覚と駆動輪が道路を捉える感覚を、意識しながら運転しているのです。
ところが運転暦30年の妻にはこの感覚がわかりません。
何度も注意するのですが、そのうちに怒り出して「うるさいー!!そんなこと言うならあなたが運転しなさい!!」
となってしまいます。
空海はこんなとき
「聖人の薬を投ること機の深浅に従い、賢者の説黙は時を待ち、人を待つ。吾いまだ知らず。
言うべきを、言わざるか・・・」と言うのです。
「相手の理解力を見て、そのレベルにおいて正解の言葉を投げかけなさい。
賢い人は相手の理解が向上するのを待って説明するのです。
黙っていることも時には必要なのです。」と言います。
どうも私は言い過ぎて反感を買ってしまうようです。
言葉の能力を信じすぎて、他の伝達方法や、黙することを選べないのですから。