月さす指 

あるときネパールの曼荼羅画家、ロク・チェトラカール氏と話していました。

「小林さん、ネパールにはこんな物語があります。」
彼は流暢な日本語で語り始めました。

昔々、お釈迦さまが弟子達と池のそばにたたずんでいました。
それは満月の夜でしたので、美しい月が池のおもてに映っていました。

弟子達が口々に池に映る月の美しさをめでていると、
お釈迦さまが右手で上を指差してこう言いました。

「これが真実だよ!」

この声を聞いた弟子の一人は下を見ていた顔をあげて、
声のするほうを見つめました。

人差し指が拳から突き上げている形を見て、「そうか、わかった!!」
彼は一人でうなずきました。

その翌朝、人ごみでにぎわう町角にその弟子はたたずみ、
人々を前にして、崇高な教えを説き始めました。

彼は自分の人差し指を天に突き出しながら
「みんな、聞いてくれ、これが真実なんだ!」と叫びました。

不思議そうに指を見つめる人々に向って彼はまた叫びました。

「あの偉いお釈迦さまがそう言ったんだから、間違いではないんだ!!」

語り終えた彼に、私は道元のことばを返しました。

「ロクさん、日本では「月刺す指は切り捨てよ!!」と言うんだよ。
 真実(月)を見つめるだけでいいのに、どうしても人々は
 残された指(経典・言葉・先生)にこだわってしまうんだよね・・・・。」

真実(月)を見つめる指の角度がインドでは90度でした。
アラビアでは60度、イスラエルでは45度かもしれません。
この角度の違い(神仏を見る方法の違い)で永遠に争い続けるのでしょうか?

30年間曼荼羅を描きつづけている彼は、絵を描くときの体験をこう語ります。

「資料を調べて神仏のことを考えるときから、絵を描くことは始まります。
構図が決まり絵筆を握って描き出します。

やっているのは自分なのだけど、そうさせているのは、
自分の中にいる神様や仏様なのです。

だから私は神仏のパイプ役に過ぎないのですよ。
そのために昔からの伝統でネパールの曼荼羅には作者の名前は書かないのです。」