東京タワー
                                                                                     〜〜〜〜中沢新一著 「アースダイバー」より抜粋

アメリカ先住民の神話

世界の始まりのとき、一面は水に覆われていた。
陸地を作る材料を探してビーバーやカモメが水中深く潜ったが失敗した。

すべての生き物が失敗したあとで、カイツブリが挑戦し、何とか海底の泥を持ってきた。
この「グニュグニュ」した泥を元にして陸地が作られた。

このとき以来、カイツブリは名誉ある「アースダイバー」となった。

泥みたいな材料で出来た心を無意識と呼ぶ。
一神教の文明は人間の心のおおもと、泥臭い「無意識」を抑圧してしまい、
スマートで合理的な文明を築くことが出来た。

その抑圧された文明が、いまさまざまなテロの形によって、グローバル社会に挑みかかろうとしている。
9・11の出来事があからさまに見せたことの本質とはこういうことなのである。

抑圧された無意識の形を求めて「アースダイバー式」の心構えで、縄文人の視点を持って
「ママチャリ」に乗って東京を散歩すると、いろいろなものが見えてきた。

無の場所

どんなに都市開発が進んでも、寺や神社は開発の侵食を受けずに「無の場所」として留まっている。
猛烈な速度で変化していく都会の真ん中に、時間進行にかかわりのない「無の場所」があり、
そこは決まって縄文地図における、海に突き出た岬や半島の突端部なのである。

縄文人は岬のような場所に、霊力を感じていた。
そのためにそこには、墓地を作ったり、石棒などを立てて神様を奉る聖地を作った。

沖積期の大地が海に突き出した岬で、たくさんの古墳が作られ、その場所に寺が作られ、
天皇家の所領になり、あるいはそのような土地を戦後に買い占めた大資本がホテルを作ったりしているが、
そのあたりは必ず特有の雰囲気をかもし出している。

つまりそういう場所からは、死の香りが漂ってくるのだ。

「トリビアの泉」のおかげで「東京タワーが、朝鮮戦争で壊されたアメリカの戦車をつぶして作られた。」
という戦後秘話を知ることが出来た。
何もかもが焼き尽くされた東京で、「世界一の鉄塔」を建てるという話しを持ち込まれた人々は
さぞかし胸が高鳴ったことであろう。

その昔、坪井正五郎が前方後円墳を発見した、芝の広大な丘陵には
増上寺のほかに立派な宮家がいくつも立ち並んでいた。
その廃墟に、縄文時代以来の死霊の王国あったその場所に、
たくさんの人の命を飲み込んだ戦車をつぶした鉄材で、世界一の高さの鉄塔が建ったのだ。 

       
タナトスの塔・東京タワー

東京タワーの鉄塔は天と地を結ぶ橋であり、鳥居の朱色に塗られた、
あの世とこの世を結ぶ橋なのだ。

その昔、密教の教えは南天の鉄塔のなかで龍樹菩薩に伝えられたという。
アースダイバー式思考法(密教的思考法)は一つのものを一つとは見ない思考法だ。
認識が世界を作っているのだから。

せっかく復興を遂げ始めていた東京に、今度は水爆実験で目ざめた怪物(ゴジラ)が上陸して
威勢のいい破壊をほしいままにしていった。
それを見ていた人々はなんとなく、スカッとしたところを感じていた。

この都市に住む人々は建物が出来ていくそばから、それがまた破壊されていくのを楽しんでいるところがある。
東京という都市にはどうやら死の衝動(タナトス)が潜んでいるらしい。

東京タワーにたどり着くためには、どの方向から目指しても、
大なり小なり墓地のそばを通り抜けなければならない。
コンクリートで出来た鳥居をくぐり、増上寺の脇を過ぎ、お地蔵さまを眺めると、
南極に置き去りにしたカラフト犬の荒御霊(あらみたま)の鎮魂碑が目に入る。

中空での展望を終えて下りのエレベーターに乗る。
エレベーターの上昇と下降がギロチンの断頭台を連想させた直後に、
エレベーターは三階のマダム・タッソー由来の、蝋人形館の前に止まる。
都市生活の真っ只中に、こんな形で生と死が一体になった不思議な混在物が人目にさらされている場所は、
他にはめったになくなってしまった。

東京タワーの一角に、こんな素敵でいかがわしい見世物を持ち込んだ興行主の天才に、
深い感銘を受けざるをえない。
シャーマニズムとミイラ技術が、この鉄塔を通して一つに結び合っている。
なんとこの鉄塔は古代エジプトの宗教思想にも、深い地下水脈でつながっている。

生命は死に触れているからこそ豊かなのである。
死とのふれあいを失った生命は、もはや別の意味での死を生きることになる。

宗教というのは生と死が別々のものでなく、二つが一体となって、この豊かな現実は
つくられていると教えてきた。
東京タワーはその存在自体が一つの生きた宗教的思考なのである。

密教的思考法  ・・・宗次郎記


その東京タワーの真下に浄土宗・増上寺がある。
もとは光明寺と称する真言宗の寺であったが、1393年浄土宗に改め増上寺と称する。

1598年徳川家康が菩提寺と定め現在地に移した。
以後寛永寺(1624年・天海上人開山)と並ぶ江戸の大寺となる。

この徳川家康の支配戦略を指導したのが、天台宗の天海上人なのだ。
家康は自らの墓は江戸から近い、日光の東照宮に、
諸大名の墓は奈良からも遠い高野山の山地に置くようにした。

墓が荒れると、その家は滅びるという信仰がある。
しかし高野山まで墓参りをするのは当時の大名にとっても大変な金銭的な負担だ。

徳川家康は諸大名に、参勤交代でお金を使わせ、霊的な世界でも支配をしようとしたのだ。
おかげで、いまの高野山は寂れた諸大名の墓が観光名所となっている。

     
広辞苑・天海上人

天海上人(1536−1643)は江戸初期の天台宗の僧であり慈眼大師とも呼ばれている。
会津出身。徳川家康の知遇を得て内外の政務に参画。<br>
延暦寺の復興と日光山の復興にも尽力。

上野寛永寺を鬼門に、芝増上寺を裏鬼門にし江戸城の守りとする。
107歳まで生きた怪物であり、最近では天海上人・明智光秀説もある。
ペルリ提督像

その増上寺の真正面には「太平の眠りを覚ます蒸気船、たった一杯で夜も眠れず。」
と江戸後期の人々を安眠の眠りから目覚めさせた、ペルリ提督の銅像が建っている。

1854年、日本に開国を迫ったぺルリは、アメリカの膨張主義思想の体現者で、
日本にキリスト教文明を及ぼすことが米国の歴史的使命だと確信していた。
彼はフリーメーソンのメンバーだといわれている。

     
船形石
増上寺の南隣に東照宮が祭られていて、その隣に丸山古墳がこんもりとした森となって存在している。
石段を登り頂上の広場に立つと、中央には船形石を囲むようにマンダラが作られている。
船形石はあの世とこの世を結ぶ、スピリットの乗り物だ。
     

古神道で舟を漕ぐ動作をするのは、天の釣り船に乗り幽体離脱をして情報を得ていた時代の名残なのだ。
エジプトのルクソール神殿の最奥にも、船の形をした石が奉られていた。

     

石は巨石文化が象徴するように、聖なるエネルギーを降ろしてくる依り代なのだ。
そういえば増上寺の真後ろ、徳川家の廟の前にも、船形石が置かれていた。

     
フリーメーソン

タナトスの塔・東京タワーの足元には、疑惑の話しが出るといつも浮かんでくる名前、
「フリーメーソン」の中心、メーソンロッジがひっそりと静かに建っている。

北側の二枚のステンドグラスには、定規とコンパス、三本の柱などの象徴的な絵画が
外からも散見できる。

     

建物の前には、メソニック38MTの文字が意味深げに掲げられている。
奥のオランダ大使館前にあるオレンジ色のモニュメントも何かいわくありげだ。

     
あなたの視点は?

このように、視点を変えてみると不思議な光景がここ芝界隈には散見できる。
このような時間も空間も畳み込まれた世界を発見することが、アースダイバーの喜びなのだ。

密教的思考法を持って、君もこのような世界にもぐって見ないか?
真実の世界は限りなく深いのだから。