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これから参加する活動に対して、否定的な見方をして過ごすのはいやなので、
すぐに滞在中の目的意識を切り替えました。
すると、この事態も修行であると気づいたのです。
いつも単独行動の私には、団体行動という最高に難しい修行をしなければならないのです。
参加した多くの方々からいただいた言葉が私に対する聖なるものからのメッセージなのです。
中でも通訳のJさんの言葉は一番印象的でした。
ワインを飲んだせいでしょうか、語気が荒くなった彼女が
「死んだら阿弥陀仏になるなんて!!」と語りました。
愛した夫を長期の看病をして病気で亡くしたあとに、唯物論的なお坊さんから聞いた話が、
あまりにもおとぎ話のようで真実味がないと語ってくれました。
その後2年間も仏教の勉強をしたけれども満足せず、たどり着いた場所が
ここダマヌールだったようです。
しかし私の見解では、現在のパートナー・フェリーチェさんが講義で語った
「アストラルの世界にイルミネーションした人々がいる」は
「上位の意識世界(浄土)に神我一体境地(光の存在)となり、存在するひとがいる」と考えられます。
アミダとはサンスクリット語で「無糧の光」ということです。
チベット死者の書では、死ぬと光に包まれ49日の後に転生すると考えています。
ダマヌールではこれをイルミネーション(魂の光輝)と表現していました。
1930年に書かれた不思議な書、エメラルド・タブレットには次のように書かれています。
『すべてのシンボルは、真理へと導く扉の鍵に過ぎないのである。
その鍵となるシンボルがあまりにも偉大なので、それをさらに超えたものは見ることができないから、
真理の扉は開かれない。・・・エメラルド・タブレット・アトランティス人 トート著』
阿弥陀仏は真理を指し示す、シンボルに過ぎないのです。
アフガニスタンでイスラム教タリバンの軍隊が、バーミヤン石窟の仏像を大砲で破壊したことがあります。
彼らにとっては単なるシンボルを拝む人々は、姿のない神を冒涜している行為に思えるのです。
日本では道元禅師が「月(真理)刺す指は切り捨てよ!!」と語っています。
シンボルとしての指は、真理(上位のシンボル)が見えた段階で必要なくなるのです。
お坊さんの簡単すぎる説明で、仏教を離れていってしまう人々は彼女だけではないでしょう。
「もっとわかりやすく、仏教を知っていただくホームページを作らなければならない。」
というメッセージを彼女からいただきました。
またMさんには「しゃべりすぎる、知ったかぶり過ぎる。」とおしかりの言葉をいただきました。
「賢者の説・黙は人を待ち、時を待つ」と言っていながら自分では・・・と考えさせられました。
言葉では伝えられないことが、たくさんあるのです。
そしてKさんの「神様ごめんなさ〜い!!」は懺悔することの大切さと、彼女の純粋さと、
他力の教えのすばらしさを学ぶことができました。
旅行に参加された方々に再度感謝いたします。
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