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大黒天作法は龍樹の中論で始まります。
ナーガルジューナ(龍樹)は中論の冒頭において「不生・不滅・不断・不常・不一義・不異義・不来・不去であり、
戯論(けろん)が寂滅(じゃくめつ)して吉祥(きちじょう)である縁起を説いた正覚者(しょうがくしゃ)を、
諸々の説法者の中での最も勝れた人として稽首(けいしゅ)する。」と説いています。
この意味は『(宇宙においては)何ものも消滅することなく、何ものも新たに生ずることもなく、
何ものも終末あることなく、何ものも常恒であることなく、何ものもそれ自身と同一であることなく、
何ものもそれ自身において分かれた別のものであることはなく、
何ものも(我らに向かって)来ることもなく、(我らから)去ることもない。
というめでたい縁起のことわりを、仏は説きたもうた。』となります。
縁起の理法を重視しているのです。
縁起についてはダライ・ラマ14世が来日の際、
『縁起には三種類あります。一つ目は因果律、二つ目は相互依存、三つ目は言葉にすると顕れる。』
と説明なさいました。
因果律とは「原因があるから結果がある」という考え方です。
悪因悪果、善因善果という原則が導かれます。
相互依存とは「すべてのものは相互に依存して存在する。独立して存在するものはありえない。」という考え方です。
三番目はきわめて密教的考え方ですが、言霊信仰の由来ともなっています。
すべてのものは言葉を発することによって、現象として現れるという考え方です。
すべてのものは個人が意識したことが、口で語られ、身体を通じて現象として作り上げられています。
これを密教では身・口・意の三密といいます。
世界のすべては、我々の心が創り上げ、音として表現され、現象化しているのです。
だから我々の心が変われば、世界のすべてが変わるのです。
ところがマトリックス(仮想現実の社会)の中で何年も生活してしまうと、
過去の価値観が絶対の真実になってしまいます。
そうすると別のパラダイムの社会がありえないと、思ってしまうのです。
先日あるキリスト教のパンフレットを手に入れました。
そこには「一度だけの人生、あなたはどう生きますか?」との質問がありました。
密教では死はありません。
一度だけの人生ではなく、何度も生まれ変わり、死に変わりしている人生なのです。
空海はその著書、秘蔵宝鑰で「三界の狂人は狂せることを知らず。四生の亡者は盲なることを知らず。
生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。」と述べています。
その暗さ、冥さから抜け出るために智慧の光明が必要なのです。
そのためには生死を繰り返し、体験を積んできた意識の奥に、
光り輝く仏性があることを気づかなければなりません。
これは、「何かこの世は変だな〜。」と思う心がきっかけになるのです。
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