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萩原先生の体験は英国のスピリチュアリズムの交霊界を思い出させます。
中でも有名な霊はモーリス・バーバネルをチャネラーとして降りてきた高級霊シルバー・バーチです。
なんと1920年から1980年までの60年間ものメッセージを残しているのです。
ハート出版からたくさんの本が出ていますので、参考にしてください。
真言宗でも霊の存在は常識です。
護摩行の後には低級霊に対しての供養もしますし、毎日の施餓鬼(飢えた霊に対する供養)は欠かせません。
先祖供養自体が先祖の霊なしには存在しない考え方なのです。
この翌日、哲学者で仏教思想家の苫米地英人さんと対談しました。
彼によれば霊魂は仏教からは遠く離れた考え方なのです。
儒教では死者の霊は魂魄(こんぱく)に分かれ、
魄は骨に、魂は遠い山に住んでいてお彼岸の時に魄のある墓に帰ってくると考えています。
霊魂の考えは純粋な仏教思想の中には無いのです。
ですから真言宗は儒教化・ヒンズー教化した仏教なのです。
しかし私にとっては仏教思想が大事なのではなく、
多くの人々が霊魂を信じているという思いに興味があります。
タイに行っても、ネパールに行っても、もちろんチベットでも、
そしてイギリスでも霊の存在を信じるのです。
苫米地さんによれば「心の内部に刷り込まれた思いが作り出している幻想=霊」となるのですが、
人はそのように簡単に理性的にはなれません。
同席した中国人気功師チャン・ツーのおばさんは中国大陸で霊を降ろすチャネラーとして生活しているのです。
認識が世界を作っているのですから、霊があると思えば見えるし、無いと思えば見えないのかもしれません。
ヒンドゥー教のサドゥーは墓場で瞑想しますし、チベット仏教では霊が骨につかないことを確信するために
僧侶は大腿骨の骨で使った笛を吹いたり、頭蓋骨の杯で儀式をします。
でもそれは一般信者の思想とはかけ離れたものなのです。
私自身の体験では意識がボンヤリとなる時に霊を感じるときがあります。
若いころヒッチハイクをしながら旅行し、房総の社で寝袋で寝ていた時には、
憑依霊の存在を感じ眠れない体験もありました。
苦しんでいる時に夢枕に立った男の人の助言で、救われたこともあります。
その日は亡き祖父の命日でした。
真言宗のお経は多くの仏の名前を唱えますが、これは大霊(ハイヤーセルフ)の霊団を呼ぶようなものです。
真言宗では思いが物に憑くと考えています。
神社などの御祓いという行為は、身体についたネガティブなエネルギー(思い)=霊?を払い落とす行為なのです。
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